いしずえ

第二 戦後の國民運動(八 飯塚市 共産党・朝鮮人連盟との立会演説)【続】

 「おい、見ろよ」

 「満員だ、入りきれんほどだ」

 満員だ。超満員だ。青年たちの胸に歓喜があふれた。この日のために何日も前から宣伝につとめてきた彼らは、わくわくと心が弾み高ぶるばかりだ。レース前の競争馬のように、興奮と緊張の面持で、人又人の海を見渡していた。

 二千人入りの会場が人の顔で埋め尽くされ、堂外にまであふれ出た人の波を見ては、青年たらずとも武者振いを覚えずにはいられない。須藤氏も反共連盟の中心者である島津定康氏も、緊張のためか青白んでいた。

 この夜の演説は会場から有線放送によって、全市の辻々に響きわたる事になっていて、彼らの一声々々が、全市の関心の的になっていると言ってもよかった。

 会場に集まっている人々も、駆り集められてきた低意識の聴衆ではなかった。興味と関心をもって自発的に集まってきた者や、立会演説によって主催団体を粉砕してしまおうと、闘志を燃やしている者たちばかりであった。

 色分けするならば、戦後の怒濤のような共産党の進出に不安をいだく反共的な者と、今こそ既存の文化精神を打倒して、一挙に革命にもっていくべき絶好の時機であると勇み立っている者との集合であった。初夏という陽気のせいばかりでなく、のぼせ気味な熱気が満場を覆うていた。

 開会宣言とともに、場内に湧きかえるような拍手の嵐がおきた。人々の眼は、これからおこる一大ドラマに期待して、一斉に壇上にむけられていた。

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  1. 2012/05/01(火) 09:47:45|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(八 飯塚市 共産党・朝鮮人連盟との立会演説)【続】

 はじめに、昼間炭鉱地帯を遊説して歩いていた青年たち数名が、代る代る立って、火を吹くような激しい演説をした。いづれも20分前後の短いものであったが、交響楽のように、この夜の演説会の激しさを印象づけていた。

 立会演説をひきうけて立つのは、私と主催団体の中心者島津氏である。長崎事件の決着をつける意味もあって、私が北鮮系の朝連に対応し、島津氏が日本共産党と対決する事になっていた。まず、私が演壇に立った。演壇に立つと、場内にどっと動揺がおきた。紹介者が、戦後の英雄のように大げさに紹介したせいもあったが、一部は待ちかまえていた朝連側の戦闘的などよめきであった。

 パンフレットの一頁がまきおこした長崎での私と朝連の対立は、やくざのような獣的な攻撃をくわえてきた朝連側の方に、いつまでも深いしこりが残っていて、その執拗さはこの会場にも荒々しい風を巻きおこしていた。

 実際この頃の朝鮮人の常識では、私のような屈服を知らない日本人の存在を、許す事が出来なかったかもしれない。なにしろ、一億総懺悔の時代である。

 戦後独立した朝鮮人は、今では戦勝国の側に立って、敗戦国民になり下った日本人に、1にも2にも3にも、懺悔を要求しているのであった。

 人間の不満怨恨を、革命エネルギーに結びつけようとしている共産党が、彼らの感情を見逸すはずはない。只でさえ日本人の統治に怨みをもち、戦争に駆りたてられた事に怨みを抱いている彼らが、革命思想という強力な武器を持ったのであるから、狂暴さが一通りでない事は、当然であった。

 その勢いには、戦地から帰ったばかりの日本の男たちも、手も足も出なかった。列車の中の横暴、闇市での横柄ぶり、この野郎、と思っても、ほとんどの日本人が、見て見ぬふり聴いて聴かないふりをして、取り合わないようにしていた。罪深い日本人には、これを抑える気力も、主張する資格もないのだ。

 日本人は啞のように黙って、小鹿のようにおびえ、同胞である左翼主義者に、その罪状をあますところなく暴かれ、袋だたきにあっていたのだ。

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  1. 2012/05/02(水) 09:47:07|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(八 飯塚市 共産党・朝鮮人連盟との立会演説)【続】

 壇上に立った朝連の幹部は、ほとんど泣きわめんばかりの表情で、私の演説に猛攻をあびせ、戦争の罪はことごとく日本人にあった事を反論した。

 (1)関東震災の際の朝鮮人、同胞5千数百名を殺害された。これは反共を旗印とする国家主義軍国主義者、ファシズム思想をもった者のやった事である。戸松はその典型である。

 (2)天皇が大阪に巡幸された時橋の上に白衣の傷病兵が道ゆく人に窮状を訴えていた。その道路を天皇が通り、見て見ぬふりをして走り去った。何百万の日本人を戦場で殺して居りながらその責任をとる事もなく逃げ去るのが天皇という男だ、この卑怯者に騙されてはならない。天皇は封建性の遺風だって国民を搾取する最大の存在である。戸松等は天皇を重視しているようだが天皇こそ民主主義の敵である。この天皇を廃せずして民主主義は成り立たない。

 (3)30余年間韓合併の名の下に帝国主義的侵略等をやった日本人は、ことごとく、戦後反共の側にたっているような日本人のやった事で、日本人のこうした性格を撲滅せずしては、民主主義は成り立たない。反共的な日本人は民主主義の敵である。

 これに応えるために私は壇上に立った。堂をゆるがさんばかりの拍手が暫く続いた。

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  1. 2012/05/03(木) 06:00:00|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(八 飯塚市 共産党・朝鮮人連盟との立会演説)【続】

 「第1関東震災の際朝鮮人が5千有余殺害されたことは事実である。なぜこのような事件がおこったのかについては今日に至るも明らかではない。原因はさまざまあるであろうが、おこるべくしておこった問題だと思う。それは日頃の日鮮関係及び民族感情の齟齬があのような不幸な事件をおこしたものと思う。その底流は今日尚はっきりと流れている。即ち敗戦後占領された日本人を仇敵の如くありとあらゆる方法で復讐し呪詛し危害を加え侮辱し軽蔑し、罵倒したのは、占領軍にあらずして、君たちの共産系朝鮮人ではなかったか。君たちが真に日本の同情者であり、日本の協力者であるならば、なんで敗戦民の日本人を勇気づけることに努力しなかったか。かつて日本人と自称しながら、戦後は日本人の弱点のみをあげつらい、傍若無人の振舞をかさねている事は、陰険にして卑怯な人間である証拠ではないか。今後そういう行為を持続するならば、他日日本が独立したとき、一人のこらず国外に追放される事になるだろう」ときめつけた。

 痛いところを突かれたものだ。その上場内に「わっ」という共感の声と拍手がわきあがったものだから、私はいよいよ民衆の代弁者としての意識を高めた。

 「第2の天皇の問題に至ってはマルクス主義者の公式論であって、他国の国王ならいざ知らず、わが国の天皇が搾取の権化であるなど見当外れも甚しい。これは朝鮮人の創作であって事実に反する事はもとよりいうまでもない。敗戦したとはいえ日本に警察が存在する限り天皇の御巡幸路上に白衣の軍人を蓆に坐らしておくはずはない。日本人と朝鮮人は民族が違う。これは天皇の権威を傷つけ廃帝を企図する彼ら北鮮系共産党の謀略に外ならない」割れんばかりの拍手がおこった。

 「次に第3の日韓合併の問題であるがこれは世界史的意義において論ずべきものであって区々たる一片の民族感情で左右すべき簡単なものではない。近世のヨーロッパ先進諸国の英・仏・蘭・スペイン・ポルトガルは力の支配を正当視し帝国主義侵略及び植民地獲得が一般化していた時である。喰うか喰われるか、ロシアはシベリアを略し満州朝鮮に迫っていた。両国が浸されれば日本の独立は危くなる。座して滅びるか、立って自存自立の道を開くかその何れかを選ばねばならなかった。かくて我が国は朝鮮の独立を保護し、国運を賭して戦うこと2回(日清・日露)に及んだ。今後再びこのような事態をおこさぬよう日韓両国合意の上日韓合併条約を結んだのである。この世界史的潮流を無視して日本を侵略国であるというならば、朝鮮は鴨縁江から切り離し隣のない大洋のど真中に宿替するかソ連の隣北極圏に引越せ」と叫び

 「私の意見に賛成のものは拍手して下さい。屁理屈をならべる共産党の北鮮人を叩き出せ」と叫んだものだから、堂内は騒然となった。

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  1. 2012/05/04(金) 10:30:30|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(八 飯塚市 共産党・朝鮮人連盟との立会演説)【続】

 私の反論は、朝連にはよほど不満であったらしく、幹部の一人がやにわに演壇にかけのぼってきて、反駁を試みようとした。

 司会者は混乱をさけるために、これをはねつけた。するとこれを見ていた朝連と共産党が猛然と立上り、野犬の群が吠えたてるように、わんわんと喚きだした。吠えるだけでは足りなくて、足を踏みならす者、拳をふりあげる者、蜂の巣をつついたような騒ぎである。

 こうなると他の聴衆の方も黙ってはいなかった。腕自慢の壮漢の一群がとび出してきて、騒ぎたてているのを、叩いたり殴ったりして静めてしまった。炭鉱地帯だけに、敵味方がはっきりしていて、やる事が徹底していた。

 やっと落付いたところへ島津氏が立って、共産党の攻撃を一つ一つ粉砕していった。島津氏も学識ふかい人であるから、理論的にはとうてい地方の共産党の敵ではなかった。

 理論的にくまれた快弁をもって、めった切りに切りつけていった。これに又共産党がかみついてきて野次る。それを再び切る。聴衆は節々で歓声をあげた。

 場内ばかりではない。有線放送を通じて町々にこの様が流れていくのであるから、全市をあげての騒動であった。

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  1. 2012/05/05(土) 05:05:05|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(八 飯塚市 共産党・朝鮮人連盟との立会演説)【続】

 この夜、須藤氏宅にひきあげると、高等学校の教師をしているという氏の実弟が来ていて、「大成功だった。こんな講演会ははじめてだ」と、相好をくずして大満悦であった。

 無口な須藤氏は顔の筋肉をゆるめ、眼にも口にも満足の色をうかべ、一人ではしゃいでいる実弟の言葉に相槌をうつように肯いていた。

 この夜の演説会は、翌日の市内の話題を独占した。ゆうべの演説会は面白かったな。共産党と朝連が、すっかりやられてしまったな。いい気味だった。清々したよ。

 べつに演説の内容そのものが、噂のたねになっているのではなかった。理論のつよい共産主義者を、理論で打ち倒した事に感激しているのであった。

 当時の一般民衆は、共産主義的理論にせめられては一言半句もなく、押しつぶされるだけであった。しかし彼らは、体質的に共産主義にたいする拒絶反応をおこしていた。共産党の宣伝やスローガンが、どきつい魔語か黒い罠のように思えてならないのだ。とにかく本能的に信ずる事が出来ないのであった。

 こういう種類の民衆は、誰かが共産党の理論をうちやぶり、敗退させてくれる事を待ちのぞんでいた。この夜の演説会は、こうした民衆の期待を十分に満足させた。

 勝った勝った。彼らは自分らの勝利のように喜んでいるのである。だが、しかし、それではこの日本をどのように建設していくかという事になると、理想も情熱も、とうてい共産主義者には及ばなかった。積極的な共産主義者の攻勢のまえに、こうした民衆はただ感情的に防御しているだけであった。

 神主である須藤真一氏が、理論には理論を、組織には組織をもって対決しようとして、住居まで解放して青年隊を育てようとしていた姿勢は、当時としては稀にみる篤志家のものであった。

 飯塚市の組織は須藤真一神主が中心になり、同じ神主青柳正寿氏が三井、三菱、住友及び日鉄等鉱山従業員労働組合に強大な組織をつくり筑豊炭鉱から三池鉱業所まで3千人の組織を編成した。

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  1. 2012/05/06(日) 09:17:30|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(八 飯塚市 共産党・朝鮮人連盟との立会演説:兵庫県)

 岡山からまっすぐに大阪にかえった柴田、貞夫、笠原の3人は、木崎為之氏や森孫治郎氏から、帰還勇士のような歓迎をうけた。森孫治郎氏は、先に帰っていた牧田や園田もくわえて全員の宿舎を提供し、寝具までそろえてくれるという心の配りようであった。

 柴田から各地での劇的な活動の報告をうけた森孫治郎氏は、若者のように感奮して、自らも何かせずにはおられない感情にかられていた。

 氏は経営者協会のメンバーを説いて国民運動を応援させようと考え、奔走の結果、7月7日講演を開くことになった。飯塚でその報を受けたので5日発ち7日の朝尼ヶ崎に着いた。午後商工会議所で森孫治郎氏の司会による講演会が開催され、そのあと懇談会に入った。

 思いもかけない豪華な料理がならべられ、ビールがつがれると、世話役の森孫治郎氏が立上った。「戸松氏はじめ遊説隊の諸君が、機関紙をせおい片道切符だけをもって40日余の長い間、無銭遊説を続けてこられたという事を聞いて、その勇気と忍耐と情熱には、まったく驚嘆しております。

 敗戦で国民が自信を失い、自分の事だけに汲々としているとき、民族の理想を訴えて日本全国を無銭遊説して歩くという事は、とうてい凡人の行い及ぶところではありません。まことに尊い救世的な行動であります。

 先程戸松氏が話されましたように、今は戦後の自己喪失と自己中心主義から目覚めて、日本の再建をはからなければならぬときであります。共産党の活動も日に日に拡大暴力化し、もはや無視する事のできない実情にあります。力ある者は力を、金のある者は金を、勇気のある者は勇気を、何でもいい、自分のもてるものを出して、国乃礎を築かねばならぬ重大なときであると思います。

 わたくしは戸松氏の卓抜な思想識見と一行の殉教的な行動に深く感動しておりまして、この運動をたすけ育て、強化発展せしめる事が、日本を真に再建する道であり、われわれ国民の任務であり、責任であると考えております。」

 森氏は力をこめ、累々として語り、繰返し今後の運動の後援を求めた。

 この講演会後参加していた利昌工業の利倉社長に招かれ講演し、深い縁ができ永い間資金の援助を受ける事になった。

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  1. 2012/05/07(月) 09:44:14|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(八 飯塚市 共産党・朝鮮人連盟との立会演説:大阪府)

 7月9日、木崎為之氏の主催で堂ビルの近く文化教室で大阪演説会が開かれた。京都から倉田由松、増田正雄、田中宗太郎、河野武男(陸軍少将)夫人等数名参会した。遊説隊員等は前々日からビラを貼ったり、準備に大奮闘したが梅雨期明けの晴天のためか土用の暑さを凌ぐ熱気で人寄せには困難であった。それでも、共産党との立会演説歓迎のビラに誘われ、通行中に立ち寄る者、勤務時間をさいて来る者等大体100人程度であった。この日の弁士は貞人、立垣、柴田、倉田、私の順で4時間近い演説会であった。聴衆者は真剣な面持で聞き入り、力強く拍手をおくった。

 その夕、木崎為之氏は、遊説隊員全員を料亭に招き酒宴をはって労らってくれた。

 又堂ビルの8階にかなり広い事務所を設けてくれた。この事務所に南方軍時代の安東恒夫部隊長が訪ねて来られた。戦犯容疑も晴れ帰国の途についたという事であった。京都の丹後船井郡に居を定めたという。部隊長は肺を患っているらしくその後入院治療につとめたようであったが、再び会う機会はなかった。京都駅の駅長をしていた戦友高井等氏に会った時、安東部隊長の死去を知らされたのである。安東部隊長と親しく語らい会食しなかった事が残念であったと今尚心に残っている。


 東京出発前日の18日、木崎為之氏の肝煎りで堂ビル9階にある清交会で反共講演会が開かれ広く大阪にも知られるようになった。又木崎氏は淀川製鋼の浜田正信社長を紹介してくれた。浜田正信社長とは深い関係を結ぶ事になった。

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  1. 2012/05/08(火) 11:05:12|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(八 飯塚市 共産党・朝鮮人連盟との立会演説:京都府)

 大阪府遊説に参加した京都の田中宗太郎、倉田由松、増田正男ら数名は京都の思想混乱を憂い、特に田中氏は伏見区の顔役を説いて講演会を開催するところまで盛上げていった。

 既に7月20日秋田市記念会館、21日能代市護国殿、そして花輪鉱山で共産党及び朝鮮人連盟との立会大演説が決っていた。

 そこで東北出発前の17日に、京都の演説会を開催することに決定していた。

 土地の人々が勢ぞろいして、宣伝したせいか会場の伏見区板橋小学校の講堂は満員となった。

 準備した椅子にぎっしり詰まり、尚その三方を立ったままの人々が幾重にもぐるりと取り囲んでいた。

 ざっと2500人ぐらいであろうか。

 この日は民主同盟の松本秋重、倉田由松氏も壇上に立った。

 占領下の社会で国民は、生活のことのみ明け暮れていながらも、胸中、この国は一体どうなるのか不安が鉛のように重くよどんでいた。

 演説を聞いている中に、方向を確信したように深く肯き強く拍手するものが多かった。

 この時の世話人田中宗太郎氏は、生涯私を救世の英雄のように崇拝し傾倒していた。

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  1. 2012/05/09(水) 00:25:45|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説)

 九州における活動は、郷里秋田の朝連支部にまで響きわたり、弟武男の活発な国鉄労働組合活動と、小競り合いが続けられていた。長崎の敵を秋田でとろうと考え彼らは、20歳を出たばかりの年若い武男を、復讐の餌食にしようとしていたのである。

 能代の私の実家に大勢おしかけてきて、「放火してやる」と家族を脅迫した事もあった。武男も気性の烈しい男であるから、多勢におされてのめのめと退くような事はなかった。脅迫され屈服をせまられると、ますます強くなり、反撃を加えていった。彼は朝連を批判するビラを秋田地区一帯に配布して、彼らの暴力を暴露した。

 騒ぎは火に油をそそいだように拡大し、彼と少数の同志では抑えきれない状態にまで、激烈になっていった。

 武男は私に打電して、東北遊説の予定を早めて秋田に直行し、事件を解決してくれるよう要請した。

 先ず、前もって情勢を把握するため、柴田と貞夫が、機関誌2000部をもって京都を出発した。伏見の演説会の数日前であった。こうして、長崎いらいの朝連・日共との決着をつけるための秋田大会と能代大会が決定したのである。

 私は陣容をととのえるために、京都からは倉田由松氏を同行し、一時幹部の席を離れていた東京の石井氏にも秋田行をもとめ、信州に帰っていた笠原にも連絡した。

 朝連は朝連で、蝗の群が移動するように、近県から秋田にむかって集合を謀っていたのは、言うまでもない事である。

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  1. 2012/05/10(木) 07:16:36|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)

 道統をかかげて立上れば、必ず、はげしい非難攻撃が待っていた。

 道統、伝統を抹殺しなければ、日本の民主革命は成りたたない。戦後の進歩主義文化人、ジャーナリズム、左翼主義者らは、一丸になって、道統否定による民主革命の路線を進んでいた。

 当時は、自国の過去を批判し、否定する事が、善であり正であり、進歩であると考えられていた。このため「自国の文化的伝統を分析し、継承に値するものがないかどうか検討してみてはどうか」という、アメリカ側の良心(アメリカ教育使節団の忠告)さえも、理解する余裕がなかった。

 自国の道統が、継承するに値するものかどうかを、分析してみようとする者など、殆んどなく、指導的人々は、アメリカに阿附迎合し模倣追随する者と、ソ連を模倣憧憬する者とに大別されていた。

 7月19日、私たち一行は秋田市に着いた。すでに東京から石井もかけつけていた。京都を先発した柴田、弟貞夫、秋田地区の責任者である武男等も待ちうけていた。

 ただちに会議にうつり、演説の順番、内容の打ち合わせをやり、立会演説の策戦をねった。

 秋田の町の辻々には、相当数のポスターが貼られ、共産党、朝連との立会演説が、市民の関心を集めていたから、満員の聴衆と激しい演説戦が予想された。ここで敗北するような事があったら、遊説旗を降ろさねばならない事になる。郷土であるだけに、彼らも真剣であった。

 そろそろ会議も終ろうとするころ、宿の女中が走りこんで来て、告げた。

 「栗原組(土建会社)の社長さんが、面会にみえました」

 栗原源蔵という人物、女中を走らせるだけに、この土地では著名な事業家であった。秋田市に本社をもつ東北一の土建会社の社長で、自由党の秋田県支部長もしていた。

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  1. 2012/05/11(金) 17:17:41|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)【続】

 名前は知っていたが、会うのは初めてである。どんな人物か。そして何の用か。一同は好奇と期待の眼で、栗原氏をむかえた。

 会議の席であったから、私は床の間の前に座ったまま、この老人の挨拶を受けた。

 「明日共産党との立会演説があると聞いて、じっとしておられなくなり、お願いに上がりました」

 老人は一息ついて、私の顔を凝視した。

 「秋田の共産党の驕慢増長ぶりには、とてもがまん出来んものがあります。世の中がこんな状態では、私ら年取った者は、安心して死ぬ事も出来ません」

 話しているうちに、老人の義憤は、しだいに煮えたぎっていくようであった。顔付にも語調にも、がまんの極限がにじみでていた。一座の者は、ただ唖然として見守っているだけであった。

 老人は、ひとりで捲したてた。

 「つい先だっての事です。石田博英代議士が、記念館(明日の会場、公会堂)で共産党との立会演説をやりました。あの人は国会の猛虎といわれていますから、みんな期待しておりました。ところが、何のことはない、共産党の野次りたおされてしまったのです。敗北したと言いたくありませんが、共産党を圧する事ができず、癇癪をおこして降壇したのですから、けっきょく負けたも同然です。秋田学芸大学を中心とする共産党の勢力は、今まで、誰の手にも負えませんでした」

 一座は黙って、老人の話を聞いていた。石田博英が歯がたたなかったというからには、この土地の共産党はよほど手強いのであろう…みんな肚の中で、そう考えていた。

 老人が、やにわに、服をぬぎ、裸になった。80とは思えない頑健そうな肩や背、筋ばった腕に、数ヶ所うす黒く刀傷が食い込んでいた。

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  1. 2012/05/12(土) 00:12:00|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)【続】

 「この傷をみて下さい」

 老人は腕を張り、自らも傷跡を、愛おしむように眺めまわした。

 「土方でも一人前になるには、この通りです。命を張り、死線を越えねばならぬものです。いわんや、政権を目的とする政治家は、常に決死の覚悟で自の信念を貫かねばならぬものです。私は、石田君が勝負を捨てて、降壇した事に不満であった。

 石田君のときは、共産党だけだったが、今度は共産党と朝連が、連合してかかってくるというではありませんか。これは容易な事ではない。どうか、壇上で倒れるとも勝っていただきたい。

 あなた方は何処からおいでになり、どんな方々であるかわかりませんが、私は、あなた方にお願いしたい。どうか、共産党に勝って、安心して死ねるようにして下さい。私はもう80歳になるので、日本の将来が、ただもう心配でならんのです。

 失礼ですが、秋田における費用は、全部わたしが責任をとります。あなた方は身体を張って戦って下さるのだから、その位の事をしなければ、罰があたります」

 80歳の老人は縷々として訴え、自分の責任であるかのように、歎願し激励するのであった。

 老人の一途な表情に、私は善意のこもった微笑で応えた。秋田の共産党の勢力が、どれほど強いかは未知数であったが、相手が強ければ強いほど、自分もまた、予想外の力が湧くであろう事を、これまでの体験で信じていた。

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  1. 2012/05/13(日) 07:49:19|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)【続】

 ただ今まで心配していたのは、金のことであった。秋田能代と大会が続けば、遊説費のほとんどが消し飛んでしまう。金を生み出すことが、苦労のほとんどのようなものである。それを栗原氏が受けもってくれるというのなら、こんな楽な大会はなかった。

 私の顔色をうかがっていた倉田由松氏が、一座を代表するように、はじめて口を開いた。「栗原社長、勝つとか撃退するとか、今ここで大言壮語する事を、我々はいたしません。ただ我々は全力をもって、立会演説に臨むだけです。我々の実力は、明日ごらんになれば判ることで、その上で、勝ったか負けたかをお聴きする事にしましょう。戸松隊長をはじめ、みんなのこの自信にみちた顔を見て下さい」

 柴田や貞夫らも、これまでの遊説の体験から、絶対的確信に満ちていて、鷹揚にかまえ、微笑をふくんでいた。

 一座の余裕ある雰囲気に、栗原氏もやっとゆとりと安らぎを感じたのか、息を静めて、ゆっくりと顔の汗をふいた。「あなた方の出身地はどちらですか」、柴田が上半身をのり出すようにして告げた。

 「栗原先生、戸松先生も秋田県の出身ですよ」

 「おおっ、それは、秋田市ですか」

 「いや、能代市ですよ。ここにいる者大半が、能代の出身です。これまで隊長は九州・四国・関西方面で共産党及び朝鮮人連盟と激烈な立会演説をして参りました。明日の立会ぶりを見て下さい」

 「ほ、ほう…これはいよいよもって力強い。郷土の出身なら、一段と頼もしい。嬉しい話です」

 同郷と聞いて、老人は再び激して、涙ぐんだ。

 翌日20日夕、開会6時前には、すでに公会堂は3000人の超満員であった。

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  1. 2012/05/14(月) 09:20:07|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)【続】

 この建物が建っていらい、どんな政治家も芸能人も、これほど人を集めた事はなかった、と、人々が囁き合ったほどだ。共産党や朝連との対決が、この土地でもいかに人々の関心事であったかが、わかろうというものである。

 会場の前の方は、朝連と日共の大群によって、陣取られていた。400人ぐらい居たであろうか。彼らは酒気を帯び、そこだけ殺気立った空気が波立っていたから、すぐにわかった。

 型どおり国歌、君が代によって開会され、最初に、石井が「始動意図」という演題で三鷹事件をとりあげ、共産党の社会攪乱、暴動計画を攻撃した。

 三鷹事件というのは、つい5日前の7月15日(昭和24年)東京三鷹駅で、車庫から無人電車が暴走して死者を出した事件で、共産党の仕業として多くの党員が逮捕され、国民の怒りと憎しみを買っていた。

 この事件の前、7月1日には、国鉄総裁下山定則が、行方不明になり、その死体が線路上に放棄されていた事件があり、これも又共産党や国鉄組合員に嫌疑がかけられていた。さらに、こののち8月17日には、東北本線金谷川と松川の間のカーブで、貨物列車が何者かによって転覆され、乗務員3人が死亡するという、いわゆる松川事件がおきるのであるが、この頃相つづく一連の惨事は、ことごとく共産党と国鉄労組に、嫌疑がかけられていた。

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  1. 2012/05/15(火) 09:13:57|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)【続】

 というのも、当時はアメリカの指示による経済安定政策が強行されており、中小企業の倒産、大企業の首切りが増大し、各所で過激な労働闘争が続発していた。この機会をとらえての、共産党の活動は激烈をきわめ、35人の大量衆議院選出とあいまって、「九月革命」がまことしやかに流れていた。度重なる惨事は、九月革命の噂とむすびついて、国民の恐怖と疑惑を、あおっていたのである。

 十数年に及ぶ裁判の結果、これらの事件と共産党との関係は解消したが、当時の共産党の活動は、これらの事件を、年内革命の前ぶれと思わせるような、激しいものがあったことは事実であった。

 石井はもちろん、当時の情報どおり、共産党のしわざと信じているから、壇上から激しく攻撃を加えた。

 共産党も朝連も、同志が容疑者として逮捕されているためか、威勢よく反撃する事もせず、黙りこんでいた。石井は、小気味よがって、得意であった。

 次に笠原が立って、シベリア抑留の体験者として、ソ連の全体主義、官僚主義に批判をくわえた。その頃から、野次が猛然と噴きあがった。それは、野次というより、だみ声をあげての罵言罵倒であった。聞くにたえない下劣な言葉が、乱れとんだ。

 司会者が注意すると、いよいよ彼らはいきり立ち、壇上にとびあがり、笠原につかみかからんばかりにして、中止をせまった。笠原は犬に吠えられたほどの動揺もみせず、堂々と所定の時間を終わった。

 日共、朝連の狼藉は、倉田由松氏の演説にうつるや、もはや言語に絶するものになった。

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  1. 2012/05/16(水) 10:06:01|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)【続】

 「世界平和のための革命」と題する演説は、戦後平和主義の仮面をはぎとり、その欺瞞をあばき、平和とは何であるかを論じたものであったが、アメリカ民主主義とソ連共産主義を分析する場面になると、場内の空気は再び騒然と煮えたぎり、手のほどこしようもなかった。

 大声でわめき散らす者、立上って動きまわる者、場内整理の警官と小ぜり合いをする者、あたかも場末の酒場の狂乱のごとく… 一般の聴衆は、演説を聞くのを忘れて、唖然として、彼らの狂態を見つめていた。

 彼等は、秋田県の地酒であるどぶ酒を持ち込み、この頃には、かなり酔いがまわっていたのである。

 ときどき、どぶ酒を飲んだ茶碗が、演壇めがけて投げつけられた。もはや、演説できる状態ではなかった。石田博英はヤジによって撃退されたが、倉田もこの騒乱怒号に、立往生させられるかに見えた。(倉田は戦時中伊達純之介謀略部隊の参謀長をした男である)

 満面朱をおびた倉田は、怒りを抑えてこの狼藉によく耐え、40分間の演説を終えて、降壇した。代って私の番である。

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  1. 2012/05/17(木) 09:43:14|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)【続】

 弁士がかわると、会場はいっとき静かになった。私は聴衆を一わたり見廻し、野獣のように眼を光らせている群に、刺すような視線をすえ、開口一番、抑えつけるような声できめつけた。

 「闘わんとする者は、下劣な攻撃や妨害をやめて、壇上に立って弁論をもってやれっ」

 そう言っておいて、私はゆっくりと語り出した。今までの状況で、日共と朝連が、立会演説よりも演説会粉砕を目的としている事が、わかっていた。彼らの酒の酔いをかりて、この後いよいよ手のつけられない混乱をひきおこすに違いない。

 よし、致命的な砲撃を加えてやろう。私は、彼らの謀略性と反国家性を実証する意味で、戦争中の国際共産党の謀略を暴露しようとした。

 昭和戦争史の裏面において、ある時は北支で、ある時は中支で、又ある時は満州で、そして中央政権の膝下で、日中の争いを拡大させていくような、共産主義者の暗躍があったことは事実だ。それを大衆のまえで、実例をあげて明らかにしようとしたのであった。

 嘘だ!嘘だ!嘘を言うな!騒然と立ち上った彼らは、演壇に向って怒号し、私の声を完全に封じこめようとした。

 もはやどのように大声を張りあげても、この烈しい喚き声の渦を、おしのける事は出来ない。さすがの私も、口をへの字にむすび、腕を組んだまま、壇上から彼らの狂乱ぶりを見守っていた。

 すると、この時とばかりに、彼らはどっと壇上めがけておしかけてきた。

 「反動っ」「軍国主義っ」「ヒットラーっ」「降りろっ」「この野郎っ」

 さまざまな彼ら独特の攻撃用語を喚きちらしながら、演壇の真下につめよってきた。その時私は声を一層大きくして叫んだ。「俺の体に触ってみろ、電流が通っているか通っていないかがわかる筈だ」その中の数人は、飛び上がって私に殴りかかってきた。

 私は襲いかかった暴漢の利腕をつかみ、腰をひねって、ばたっと壇上にたたきつけ、次の奴の腕をつかんで、

 「警官、こやつ等を検束せいっ」

 と、どなった。暴徒らが壇上に飛び上がると同時に、会場後方にいた警官がかけつけ、残る狼藉者を荒々しくひきずり下した。

 「私のいう事が嘘かどうか、今から話す事をよく聴けっ」

 がやがやとまだ騒いでいる共産主義者の群、ど肝をぬかれて呆然としている一般聴衆、3000近い人いきれでむんむんする中で、私は声を張り上げてどなり、本論に入っていった。

 この後、私が主として強調した事は、次のような事であった。

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  1. 2012/05/18(金) 09:29:21|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)【続】

 日本は敗戦以前に、既に精神的に崩れていたこと、それは外来模倣一辺倒による自立性喪失の結果であって、明治いらい模倣してきた近代西洋文化そのものが、人間性のとりあげ方に誤りあること、したがって、人間性を利己的なもの闘争的なものと捉えている資本主義・共産主義にも、行きすぎがあり、そのまま取り入れる事は、危険であること、等々を事細かに解明していった。

 その間にも、野次は機関銃の弾のように、頻繁にとんできた。

 「ノー、ノー」 「貴様の話は、でたらめだ」 「見解の相異だっ」

 彼らはろくに聴こうともしないで、がなり散らした。 そこで私は野次に応酬した。

 「然りっ、いかにも賢者と愚者の見解の相異だ」 と野次をはね返した。

 「どっちが賢者だっ」

 敵はしつこく絡んできて、不用意な問いを放った。 すかさず、

 「私が賢者で、お前等が愚者に決っているではないかっ」

 うろたえているのか、次の声はなかった。

 この種の小気味のいい応酬が、しばしば飛び、一般聴衆は、その都度哄笑し、拍手を送った。栗原源蔵社長は野次を野次り倒す度に腰掛の上に立上って何度も万歳々々と双手をあげて叫んでいた。

 さらに私は、カール・マルクスの学問的経緯から唯物思想と共産主義運動の性格を論じ、その矛盾と欠陥を指摘して、共産主義は決して本当の人間救済にはなりえない事を、明らかにした。

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  1. 2012/05/19(土) 09:29:20|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)【続】

 演説の途中「お前小学校を出たかっ?」と野次がとんだ。マルクス主義について、学問が足りないという意味である。

 私もすかさず、「お前は、幼稚園でたかっ」と、やり返した。

 さんざん野次ったあげく、「ようし、反共理論はよくわかった。そんならお前らの経済政策を言ってみろ。具体的いえっ」「そうだそうが。お前達に政策があるのか。あるなら言ってみろっ」彼らは、口を揃えてどなり散らした。

 「よろしい。今から日本再建に必要な経済政策を具体的にのべるからよく聞け!」

 もちろん、とっさの考えであったが、私はまことしやかな口調で語りだした。

 「第1、共産党と朝連を舞鶴港に集合させる。第2、ソ連引揚船帰りの船室に乗せて、シベリアに移民または移住させる。これが我々の具体的な経済政策だ。どうだ、一挙両得だろう。第一お前達も嫌いな日本から憧れの祖国に移る事ができ、日本も思想問題、食糧問題、失業問題が一ぺんに解決する」

 幼児のやんちゃをあしらうように、余裕をもってびしびしと抑えていったためか、しまいには、彼らの野次も攻撃の威力を失い、しだいに立ち消えになっていった。

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  1. 2012/05/20(日) 09:01:34|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:秋田市の立会演説会)【続】

 私が終わって、朝連の李某が、反対演説に立ったが、倉田氏が立って、その一つ一つを痛烈に論破していった。

 彼らのあの激烈な野次も、酒気をおびての暴行も、ついに大会を粉砕する事が出来ず、万歳三唱と聴衆の堂もわれんばかりの拍手によって、大会はことごとく終了した。

 この会場に中学時代の教師であった大田口正治先生がみえていたが、朝連の暴行ぶりに驚き二度三度退散せと注意した。多分朝連に殺されると思ったらしい。それ程凄まじいものであった。

 朝連数名は、やり場のない憤懣を、控え室に引き揚げた私をめがけて発散させてきた。野獣の群がなだれこんでくるように、彼らは眼をむき歯をむいて、どっと暴れこんできたのである。

 柴田ら若者が、これを制止しようとして、まさに激突せんとする瞬間、会場整理の警官隊がかけこみ、しゃにむに暴徒をおさえつけ、

 「早く引揚げて下さい。会場を出て下さい」

 と、この夜、宿舎まで襲撃にくるのではないか、と、警察も警備してくれたが、私は「絶対に襲撃する事はないから、警官の皆さん、栗原さんが会計責任者だから、料理をとって宴をはって景気をつけて下さい」と言ったので彼等はこういう警備なら毎晩でもいいと笑っていた。

 例の栗原社長がかけつけてきて、泣いて喜んだのは言うまでもない。社長は北海道遊説費まで用意してくれた。

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  1. 2012/05/21(月) 08:56:52|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:能代市の共産党との立会演説)

 翌21日は、能代市停城高校講堂(護国殿)における立会演説であった。

 能代は私の生家があり、何度か朝連の脅迫を受けていた。そういう経緯もあってか、市民の関心は殊の外高かった。

 開会1時間前には、早くも満員となり、それからも、人の波は小止みもなく、おしかけてきた。

 定刻には、窓という窓に人の顔が鈴成りになり、入口も廊下も人垣でうまり、まわりの物置、運動具置場の屋根、冬のストーブ用に積上げた薪の山、校庭の朝礼台、樹木の枝という枝、場内が少しでも見えるようなところは、人の列、人の山ができていた。八幡神社境内は3万人に埋った。

 いうまでもなく、会場は立錐の余地もなく、かろうじて弁士の立つ場所を残すのみ。場内は正しく立錐の余地もない超満員となった。

 庭にあふれ出る事も予想して、すでに拡声器もとりつけてあった。

 立会演説を要求した当の共産党と朝連は、相も変らず、大挙して正面前方に陣取っていた。共産党は県の幹部が、勢ぞろいして集まり、朝連も遠く他県からも駆けつけていて、今日こそは、ぐうの音も出ぬよう叩きのめしてくれようと、手ぐすねひいて待ちうけていた。

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  1. 2012/05/22(火) 21:02:01|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:能代市の共産党との立会演説)【続】

 開会とともに、戸松武男が立って挨拶すると、彼らは急に色めき立ち、不穏な空気が会場をつつんだ。

 演説は昨日と同様、石井から始まり、今日は柴田哲男も加わり、「国民連合結成急務」の演題のもとに語った。この頃までは、思いのほか静穏であった。はじめから酒気を発していた秋田大会にくらべると、大分ようすが違っていた。大衆の悪評に反省したのであろうか…秋田大会を知る者は、そう考えていた。

 ところが、次の倉田由松氏の演説からは、がらりと空気が変り、彼らは再び猛攻の火蓋を切った。

 朝連の主張は①天皇排撃②関東震災の5000人殺害③36年間日韓合併に集中する。(この3点はその後各県ごと繰返し、その度に叩き伸ばされるのにあくまでそれを繰返すのである)

 最後に私が演壇に立つと、彼らはいよいよ本陣攻略めざして、怒号罵詈罵倒の砲撃戦を開始した。

 乱れ飛ぶ野次の嵐、びしびしと制圧していく機知にとんだ応酬、その度毎にあがる市民のやんやの声援、同窓の能代高校後輩の応援。声と声の闘いは、凄まじい爆発力をもって全堂を揺るがし、やがて日共朝連が鎮圧されると、再び熱弁が、りんりんと響きわたった。

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  1. 2012/05/23(水) 11:19:13|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:能代市の共産党との立会演説)【続】

 そのうちに、又もや野次と怒号の連発、そしてまた私の厳しい論駁、市民の声援。もはや、演説会というより、一人と多数の真剣勝負のような雰囲気になっていった。

 柴田哲男は、このときの感想を、次のように日記にきざんでいる。

 「隊長の気魄と情熱は無類であり、思想学識においても群をぬいているだけに、満座の敵に包囲されても、その機略と胆力はこれを制してあまりあり、その論鋒をみだす事はしない。したがって、我々は、いかなる強敵が現れ、学者がきても、隊長ひとたび決意して立てば、絶対に勝つという、一つの信仰をもつようになった…」

 2時間ちかい演説ののち、ついに朝連日共の連合軍を沈黙せしめ、会長は万雷の拍手を背に壇を下りた。

 代って、共産党の県委員候補といわれる米倉樹氏が、立って反論演説をした。米倉は大東亜戦争に参加した、もと海軍中尉であった。

 選ばれて登壇しただけに、さすがに弁舌は爽やかで垢抜けていたが、その内容はいたって貧弱であった。会長の近代日本の分析、近代文明とマルクス主義批判にたいしては、一言の反論もくわえず、ただ共産党の宣伝をし、遊説隊を保守党の御用団体と誤解して、一般的な攻撃をしただけであった。

 彼の皮相な見解にたいし、私が総括的に、倉田が具体的に、反駁をくわえ、再度の発言を求めたが、彼は再び席を立とうとしなかった。

 朝連にいたっては、一人として演壇に立とうとする者もなかった。もともと彼らの方がけしかけてきた昨日今日の立会演説であるのに、一声も交えずに、卑劣な野次だけで終始するとは……、卑怯というより、不甲斐なさを感じさせた。

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  1. 2012/05/24(木) 09:29:25|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(九 秋田市 能代市 共産党・朝鮮人連盟との対決・立会演説:能代市の共産党との立会演説)【続】

 能代大会ののち、大曲市、船川町と、秋田県下の遊説が続いたが、大曲市では例によって例のごとく、酒気をおびた日共朝連の連合軍がくりこんできて、怒号罵声の嵐をあびせ、はては総立ちして、どんどん足拍手を鳴らして喚きちらし、妨害戦術にでた。これが人間の大人の仕業か、聴衆も警備の警官たちも、ただただあきれるばかりであった。

 常套手段では、彼らを静める事はできそうににもない。私は靴のままひらりとテーブルの上にとびあがり、彼らの頭上から叱咤した。「日本軍将校敵状偵察」と両手の親指と人指し指を輪にして睨み、

 「何を騒ぐかっ、この猿どもっ、聴衆諸君家へ帰ってフマキラかD・D・Tを持ってきて、早くこのバイ菌どもの頭にふりかけてやれ!鶏以上の動物は死なないが、此奴等は蚤・虱の類だ早く片付けてしまえ!」朝連は人権蹂躙だと息まいた。「パチルスや虱蚤に人権はない、DDTをぶっかけて抹殺してしまえっ」

 これに応じて、聴衆の中から一人の青年が立上った。

 「おうい、みんな、日共と朝連を始末しろ。騒いでいる奴を一人残らず叩き出せっ」

 彼のどなり声に呼応して、聴衆の何人かが立上ると、狼藉者たちは急に鳴りをひそめてしまった。このとき、立上って叫んだ青年は、大曲市の市会議員山本三郎氏であった。この時も大曲警察が警備についた。丁度金平義雄署長は私の中学時代の同級生であった。彼も大田口先生同様危害を加えられる事を心配して警備についていたのである。

 日共・朝連は、遊説隊がこののち秋田県から宮城県にでる事を探り出し、東北一帯の精鋭を集めて、仙台での行動を封ずる計画をたてていた。警察からこの通報を受けると、私はその裏をかいて、青森に出る事にし、彼らに一人相撲をとらせた。

 彼らのこの下劣で執拗な攻撃は、当時共産革命をうれえる人々を恐怖させ、その発言を封じていた。彼らは反共的な言論を圧する事によって、革命ムードを拡げようと考えていたのであろうが、これは大きな誤算というものであった。

 中央幹部の野坂参三氏が「愛される共産党」のキャッチフレーズを掲げたのも、このような末端分子の行き過ぎによって、大衆の増悪を深める事を、苦慮したあげくの事であろう。

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  1. 2012/05/25(金) 17:54:10|
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第二 戦後の國民運動(十 GHQに朝鮮人連盟訴訟)

 7月朝鮮人連盟は私の率いる大和党の中に元陸軍将校が多数であり組織の中には憲兵や追放者もいると解散を企図する訴訟をGHQに提出した。約1カ月の間、毎日GHQ第2部(部長ウエロビー少将)に呼出され取調べを受けた。係員(検事)はオーマーという人物であった。朝鮮人連盟に関しては形どおりの質問しただけで主として出版物に書かれた文章思想に関しての追求であった。その一節に「弱者敗者の倫理は反抗と正義の2つである」という字句については根ほり葉ほり、表面裏面から取調べ納得するまで追求して来た。私は反抗とは自己の弱点、欠点短所に対する反抗いわゆる反省自省の意味であって他に対するものではない。と申開き、正義は、普遍的正義の意味であると主張した。また彼は「日本のあらゆる団体が民主主義を掲げ民主化を計っているのに、貴団体の機関誌には一言も民主主義を述べていないとはどういうわけか、何か特別の理由があってのことか」何か反抗や正義と関係があるかのような質問の仕方であった。この質問に対して私は次のように応えた。「政治形態を大別すると専制主義と民主主義の2つになる。戦時軍閥専制主義を脱却した今日、敢えて現在占領軍に迎合する事は却って民主主義を誤る事になると思う。真の民主主義は民主主義の流行や宣伝から出てくるものでなくて国民の自由と平等を融合する普遍意思、一般意思から生れるものである。個々人は連帯責任をもつ協同生活を営む秩序ある団体生活を求めるものである。即ちすべての人間が平等の立場に立って、万人悉く自由意思と責任とをもって運営にあたる調和の社会を民主主義は理想とするものと考えている。

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  1. 2012/05/26(土) 15:40:40|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十 GHQに朝鮮人連盟訴訟)【続】

 現下の日本人の称えている民主主義は、万人が万人を支配し、万人が万人を拘束し、万人が万人専制者となる個人我に発し個人欲を充足する危険な性格のもの、即ち人間の堕落を意味するものと見ている。ルソーの言葉を借りるならば一般意思、普遍意思ではなく、全体思想、私的意思、特殊意思の総和であるというべきものである。独りの専制も万人の専制も専制に於いて同質であり、独りの場合はその人の意思の変化によってどうでもなるが万人専制の場合は腐敗堕落の形になるおそれがある。私共はあくまでも連帯責任と共存共栄を目的とする民主主義を一体観によって実現しようとするものである」と応えた。

 一方朝鮮人連盟は警察から提出された37回に亘る暴力事件及我々との激突が不当なる行為と目され9月8日解散を命ぜられ、我が方を解散すべく訴えながら身から出た錆で反対に解散されるという全くの藪蛇となって終ったのである。

 3カ月にわたってつきまとい、妨害、嫌がらせの限りを尽し、ついには私に黴菌あつかいにされた朝連は、この後9月8日、団体等規正令により、とつぜん解散させられ、日本社会から泡沫のごとく消えていった。

 団体等規正令というのは、暴力破壊活動をする団体の規制を定めた法令であって、戦後の一時期、日本社会での横暴をきわめた彼らもついにこの法の適用を受ける事となったのである。

 私らが歩いてきた各地の警察やCICから彼らの暴行を中央に報じた数々の記録が、この解散を決定づける大きな要因となったであろう事は容易に考えられる事である。

 共産主義の闘争性だけを武器とした朝鮮人連盟の解散は、日本の社会のためにも幸いであったが、朝鮮民族の名誉のためにも、また日鮮人連盟の解散は、日本の社会のためにも幸いであったが、朝鮮民族の名誉のためにも、また日鮮感情の悪化をくいとめる意味でも必要な事であった。

 朝鮮人連盟との激突はこうした終幕をもって終ったのである。

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  1. 2012/05/27(日) 09:14:17|
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第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:函館)

 いよいよ函館である。船を下り先づ警察を訪ねると「不藉社」という有名な思想団体を紹介され、警官が船場町の不藉社まで案内してくれた。主幹は石田元宏という高校の教師である。遊説隊の突然の訪問に少なからず驚いたようであったが、衣服をあらためて座敷にとおし対面した。彼は戦時中中野正剛の東方会の会員で東條内閣打倒に組し、さんざん憲兵にやられ、眉間の傷はその時の勲章である。石田は話せば話すほど見かけによらぬ深い面をもっていた。熱心なクリスチャンであり乍ら国学にも深く、時代の傾向や不正不道徳を傍観している事のできぬ人間で戦時中は軍閥、戦後は共産党の革命運動に抵抗して、美唄の炭坑で徳田球一と立会演説をし大動乱をおこし流石の徳田も会場から逃げ出した。私と石田氏は年も同じ大正2年生れで互に意気投合し、この夜集った不藉社の幹部7名も異議のあろうはずはなく、共々手を携えて全国運動に立ち上る事を約し、協力する事になった。

 翌8月3日午前中市長に面会し、午後から不藉社の幹部と一隊になって街頭演説を開始した。第1回目は駅前で500~600人、第2回目は中央市場で、400~500名集ったこの時共産党朝連と激突した。遊説隊がここにくるのを待ちうけていた様子が見えた。彼らは示し合わせていたかのように野次と反発をくり返し、執拗に食い下がって来た。一般聴衆者の一人は共産党をおっぱらってしまい、「東京の先生方はこんな奴らにかまわんでやって下さい。赤は我々が相手で沢山だ。このソ連の奴隷共は」といきなり大工道具袋からノミを取り出し共産党集団めがけて振りかざし暴れ出したので一般聴衆も激昂し、口々に罵言雑言をあびせかけ共産党朝連とのもみ合いがはじまり大騒動になった。ところがこの暴動に心奪われ資金の入っているカバンが何者かに盗られ柴田は仰天した。全く無一文になってしまった。

 午後から不藉社の幹部もまじえ再び中央市場にでかけ野外演説会を開いた。群衆は忽ち中に人垣ができマイクの呼びかけに熱狂的喝采をあびせて来た。一方昨日と同じように共産党が怒声を発し、霰のような野次を放って演説の妨害をしようとした。共産党を袋だたきにして追出そうとする聴衆同志の激突と暴動が荒れ狂った。この函館の反共意識は国中でも稀有な事であろう。我々は不藉社の石田元宏主幹等幹部に見送られ、夜汽車で小樽に向った。(小樽は省略)

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  1. 2012/05/28(月) 11:20:46|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:北海道炭坑地帯遊説)

 三井上砂川炭鉱に去年生活のため当分の間働きに行くと言って、上海時代の堀内三郎(小学校中学校の頃からの友)が居り、彼を頼って満洲(奉天)でソ連軍に惨々苦しめられた植田彦治など共産党との立会演説するのを待望している同志が居る。旅館に旅装をとくと鉱業所の本部の植田を訪ねて行った。彼は山の状況を一応正確に分析していた。

 「この鉱山には共産党員が250ほど居ります。労働組合は彼らに牛耳られ、不満をもっている者がかなりあるが、組織力に対してはどうすることも出来ない現状です。反対勢力を結集して彼らの専横を圧えなければ、共産勢力が増大して行くばかりです。出来る事なら貴方がたの力を借りて反共勢力を組織したい。唯気をつけなければならぬ事は会社の御用団体と間違えられないようにする事です。間違えられたら逆効果になってしまいます」

 「なるほど、問題は反対勢力の中核になる人物を獲得する事だ。我々は堀内に期待していたのだが、彼が居ないし、あんな適当な人物知りませんか」

 「一人居ります。前福組合長であった松本茂という人物で、組合員からかなり信用を得ている人です」

 「よし、これからその松本という男を説得しよう」

 植田の案内で松本を訪ねた。彼は運動の趣旨目的をだまって聞いていたが、

 「我々は貴方のような団体が中央東京から来てくれてもよさそうなものだと思っていたほどです。私は双手をあげて歓迎します。私が日頃親しくしている同志を御紹介します」といって家族を知人宅に走らせ、間もなく数人の同志が集って来た。彼らと話し合っている中に、今からでもすぐ街頭演説を始めようではないかという事になった。

 共産主義の渦巻く労働組合の中にも人間性を異にする反共主義者がある。この日は彼らを先頭に、本町の労務所の前にマイクをとりつけ反共演説を開始した。

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  1. 2012/05/29(火) 04:44:41|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:北海道炭坑地帯遊説)【続】

 翌9日は、新たに松本氏から黒龍氏(砂川町々会議員)、若狭氏の2人を紹介され、一団となって奥沢にでかけ高台にマイクをおき、社宅一帯を見下ろしながら演説を放送した。あちこちの軒下には彼らの声に誘い出された労務者が集り一言一言に拍手を送っていた。中には駆け寄って来て手を握り、進むべき道が釈然とした、と感謝する者もあった。自信を失っていた者は自信を取り戻し、迷っていた者は心を決し、心の眠っていた者は眼を覚まし、我々遊説隊がマイクを片付けても立ち去ろうとしなかった。

 さあ、いよいよ仲町である。ここは共産党の本拠地で軒並み共産主義者が住んでいる場所である。我々が街角にマイクをとりつけたのは午後6時半、行き交う人々は、既に遊説隊の噂を耳にしているらしく関心深そうに見ていた。いよいよ演説が始まると人垣ができ、聴衆の一角に共産党が勢ぞろいした。口々に雨霰の如く野次を連発させ、ぐいぐいと押しまくってくるような勢いを見せ始めた。

 ソ連帰りの笠原のソ連批判は、彼らを一段と刺戟したのであろう。笠原が終るや、これもまたソ連帰りだという共産党員がとび出して来て立会演説会を申し込んできた。これを受託して私はマイクの前に立った。

 「共産主義・社会主義・資本主義は産業革命が産んだ三兄弟である。何れも生存競争・利益争奪の類であり「我欲知」の徒輩であって、世界人類生存の解決者ではない。長兄の資本主義は資本を万能とし、次兄の社会主義は労働組合の強力な団結と利益配分の公正を目的とする。末弟の共産主義は私有制を固有性に変え平等と統制を強化し資本主義打倒を実現する。政治経済は資本・労働のみでなく資源と経営能力の四大機能を完備せねば成り立たない。共産党は労働のみあれば天国楽園が地上に築かれるような夢を抱いているが経済機能に対する知識が無さ過ぎる」。更にマルクス資本論の欠陥、唯物史観、労働価値説、経済法則を並べ立て論じたので、先程まで気勢あげていた彼らも歯が立たず野次も出せない有様である。

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  1. 2012/05/30(水) 10:13:28|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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