いしずえ

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:北海道炭坑地帯遊説)【続】

 「黙れ」「やめろ」「共産党に話させるなっ」

 とうとうたまりかねた一般聴衆の労組がわから、罵声が乱れとんでくるありさま、司会の松本氏は、頃合いをはかって、一般聴衆の声援をもとに、閉会を宣した。

 敗北を挽回しようとして、共産党はアジ演説を始めた。が、聴衆は聴く耳をもたぬという素振りを露骨に見せ、さっさと散会して、後には彼らの一団だけが残った。

 こうして、10日も11日も遊説旗をおしたてて町々を歩き、鉱業所前、東町、うづら町などで、街頭演説を行った。

 「どの町内も坑内も、遊説隊の評判でもちきりですよ。今まで小さくなっていた共産党ぎらいの労働者が、非常に元気づいて活潑になってきましたねぇ。反対に共産党は毎日会議をひらいて対策をねっているようですよ」

 始めから一行の世話をし続けてきた植田は、子供のように、はしゃいで喜んでいた。

 彼の言葉を証明するように、鉱業所前では、かつてない程の千名を越すおびただしい聴衆が集まった。ここでも共産党との言論闘争が起きたが、遊説隊に対する聴衆の圧倒的な声援で終った。

 しかし、2回や3回の敗北で諦めるような共産党ではない。彼らも共産主義革命の信念に燃えているのであるから、必死であった。わずか3人の遊説隊に、数百名を擁する上砂川三井炭鉱の共産党が敗れたとあっては、前道組織の士気に影響する。彼らはあせり、その言動も粗暴になってきた。

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  1. 2012/06/01(金) 10:04:30|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:北海道炭坑地帯遊説)【続】

 「こんな反動分子は、われわれ炭坑労働者の名にかけて打ち殺してしまわねばならぬ」

 立会演説で、若い党員は絶叫した。

 行く先々で彼らは立会演説を申し込み、ある時は、首領の内田が内容のない平凡な演説をし、またある時は若い党員が、ヒステリックに喚くなど、さまざまの手法をもって迫ってきたが、柴田と笠原がその一つ一つに的確に反論し、彼らの論陣を崩した。

 崩れても崩れても、彼らは打ち寄せる波のように、すぐまた波頭を揃えてやってくる。その執拗さと陰険さは、とうてい日本人のものとは思えなかった。

 思想的洗脳が人間を変え、民族の気質を変えていく。日本人は今、音をたてて変わりつつある。変えるべきものと変えてはならぬものとの区別を、はっきり立てねばならぬ時だ。つまり、自国の固有性をあきらかにし、外来文化を吸収消化して、新しい文化を興さねばならぬ時だ。我々の主張も、常にこの点におかれているのであるが、炭坑町では、つい痛烈な反共演説になってしまう。自身まだ若く、凛々たる覇気に溢れているのであった。

 反共的な労働者が、本能的に感じているのも、これと同じ危惧であったといえよう。だからこそ、松本氏や黒滝、若狭氏などが、寝食を忘れて遊説隊に協力したのである。松本氏は日中の遊説隊とともに演説し、夜は3番方で坑内に入り、3日間というもの不眠不休の活動をし、黒滝、若狭の2人も、放送道具をのせたリヤカーを曳いて、終日協力を続けた。

 そして最後の夜は、彼らは遊説隊のために慰労会を開いた。この時、組織編成の話が持上った事は言うまでもない。

 12日朝上砂川を出て、帯広に着いたのは夕刻であった。

 石狩、夕張、日高の大山地からなる北海道の屋根を、3人は例によって例の如く、ほとんど死んだように眠ったまま通り過ぎてしまった。汽車に乗ると、彼らは緊張から解放され、ぐったりとなってしまうのであった。

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  1. 2012/06/02(土) 09:34:28|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:帯広市事件・朝鮮人集団)

 帯広は、背後を大山脈に囲まれた十勝平野の真中にある。ここに私の友人佐藤善治氏がいた。佐藤氏は友人の河合道夫氏をつれて、一行を出迎えた。(佐藤は支那事変解決時代北支軍時代の同志である)

 翌日からの街頭演説には、この2人がマイクの準備、連絡、司会などを、一手にひきうけて協力した。九州、四国、秋田では、肉声で徹してきたが、青森以来ずっとマイクを使用し続けてきた。街頭演説での効果は、肉声の比ではなかった。

 帯広での街頭演説の特色は、はからずも、戦後日本の人種関係を、まざまざと見せつけられた事であった。

 それは、2回目の駅前広場での出来事であった。柴田の演説中、労務者風の男が、言いがかりをつけてきた。演説内容の一部を、すぐ取り消せと言うのである。

 「反論があるなら、全部終ってからにしてもらいたい」と、一蹴すると、

 「あとで泣面かくなっ。朝連全員でやってきて謝罪させて見せるからな。覚えておれっ」

 憎々しげに、捨て台詞を残して立去った。長崎での監禁強迫、秋田での暴力などで、彼らの手口はすでに体験済みであったから、聴衆に訴えた。

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  1. 2012/06/03(日) 09:50:58|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:帯広市事件・朝鮮人集団)【続】

 「帯広のみなさん、私供はこれまで、日共朝連の妨害迫害をうけながら、遊説を続けてきました。今回も、おそらく彼らは、、これまでどうり多数を頼んでおしかけてくるものと思う。彼らと我々の闘いを十分見守っていただきたい。我々の言うことが正しいか、共産党朝鮮人連盟の言動が正しいか。公正に判断してもらいたい」

 だが、柴田、笠原の演説が終わり、私が済んでも、彼らは姿も見せず来る気配も見えない。

 聴衆は朝連の来るのを待って、立ち去ろうともせず、いつまでも共感と激励の拍手を続けている。と、最前列で眼をしばたいていたアイヌの老人が、顎を覆っている白髭をふるわせながら、私に近寄ってきた。老人は手にした籠の中から、財布をまさぐり出し、底を振るうようにして金を出し、100円たらずの全額を捧げるように差出した。

 「誠に少しで恐縮だが、私の心です。何かの足しにして下さい」

 これを見ていた他の聴衆も、我も我もと差し出し、たちまちの中に、5000円ほどになった。感動は連鎖反応をおこし、筋向いの雑貨店の若主人までが、100円紙幣を5枚持ってとび出してくる有様であった。

 その間にも、私は、朝連がおしよせて来るのを心待ちしていた。聴衆も、双方のやりとりに興味を抱いているのであろう。一人も立ち去ろうとはしない。

 ついに柴田が、解散を宣言した。毒舌を叩いたものの、急には人数が纏まらないのであろう、皆がそう思った。

 放送道具を片付け、若い柴田と笠原が荷物を背に、先頭に立って帰り始めた。すると、どこから出てきたのか、20数人の朝鮮人がどっとおしかけて来て、私共を取り囲んだ。

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  1. 2012/06/04(月) 16:08:30|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:帯広市事件・朝鮮人集団)【続】

 またもや、反動ファッショの嵐である。彼らは、共産主義を批判する演説を止めろ、といきまいた。おそらく、日本人聴衆が散ったのを見て、襲いかかってきたのであろう。この卑怯者めらが……と思ったとき、怒りが全身を波打った。

 近くにいた佐藤氏と河合氏が、争いの中に踊りこんできて、私を守る体勢をとった。彼らの手が私にかかったら、いっせいに戦闘開始する決意であった。

 このとき、この模様を聞きつけたアイヌの集団10数人が、あわてて駆けつけてきた。中に船員だと言う、威勢のいいのが2~3人いて、名乗りをあげて朝連にとびかかろうとした。状勢は転じて、アイヌ人と朝鮮人の対立になったのである。

 まさに激闘が開始されようとするとき、これもまた急報を聞いて駆けつけてきた警官隊が、どっとばかりに間に割り込んできた。

 こうして事なきを得たのであるが、アイヌの一青年は、義憤やり方ない身ぶりで、大声をあげて弁じだした。高橋と名乗る40過ぎの人であった。

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  1. 2012/06/05(火) 09:51:07|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:帯広市事件・朝鮮人集団)【続】

 「私はアイヌ2万人を代表して申上る。私共アイヌは、朝鮮人と保守党が大嫌いだ。社会党はまだよしとするも、しかし最近の社会党は、天皇を何とも思っていない。天皇を無視するような存在は、我々アイヌの許すところでない。

 日本民族の中で、天皇ほど公平無私な人はない。保守党はアイヌを軽視すること、異国人のごとくであるが、天皇はアイヌを日本人として、区別しておらない。

 朝鮮人は怪しからん。日本人でもない癖に、天皇を否定したり、政治に干渉したり、戦勝国民のようにふるまっている。一番最後に日本に移住しながら、戦後は一番威張っている。なんといっても、我々は日本の先住民だ。先住民の我々が、天皇を信頼しているのに、一番後からやってきた朝鮮人やロシアかぶれの共産党が、否定だ打倒だと暴れるのは何事だ。

 我々は先住民だ。そして天皇護持だ。天皇のいらん奴は、日本から出ていけっ。これが我々先住民の権利だ。我々は、この無銭遊説隊の日本道統を守り開いていく主張と運動に、大いに賛成し、日本人として感謝するものである」朝連もこれに負けずに対抗しようとしたが、一度散った日本人聴衆が再び集まってきて、この時とばかりに誹謗の声をあびせかけたため、しどろもどろになり、癇の強い馬のように、もがくように全身を波打たせていた。このままいけば、騒ぎは、アイヌ人と朝鮮人の増悪を深める方向に発展しそうに思えた。

 「まあまあ、警察でゆっくり話し合うことにしよう」

 警察は双方をおし静め、事件の当事者である遊説隊と朝連と促して、先に立って歩きだした。

 警察でも、朝連は遊説隊の演説を非難して、一もめ揉めた。アイヌが言ったとおり、確かに彼らの意識は、戦勝民そのものであった。敗戦国民になり下った日本人に対し、優越感を持っているのであった。

 そうと分かれば、こちらも一歩も退く事は出来ない。いや、他国民に演説の内容を干渉されて、おめおめ屈服し引き下がる事は出来ない。

 ここは彼らの国土ではない。

 「反動演説を止めろ」

 「何が反動だ。そういうお前達こそ、大反動じゃないか。私達の言う事が正当だ」

 論争は平行のまま、どこまでいっても終結しそうにもない。

 とうとう朝鮮人連盟の副委員長だという男が、仲間を必死になってなだめ、彼らもついに我意をおし通す事を止めて、別れる事になった。副委員長は態度を改めて、何度も頭を下げた。

 帯広の組織は佐藤義治、河井道夫等に委ね、札幌に出た。

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  1. 2012/06/06(水) 16:25:48|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:札幌市)

 19日、北海道最後の遊説地である札幌に向かう途中、我らは上砂川に立ち寄ってみた。なんといっても、炭坑町は活きた運動の地である。そこでは、生活の中で思想戦が行われており、松本氏らが中心になって、熱心に組織づくりを始めているはずだ。状況に応じて、もっと具体的な指導を加えなければならない。

 左翼新聞社がでたらめまじりの悪口を書きたてているのであるから、労働者が動揺するのも無理はなかった。殊に北海道新報に投書記事を出すなど捨てておけないものがあった。

 わずか数日の間に、この変化である。そこで、2日間にわたって、鉄を鍛えるような情熱をこめて理念と方法を説き聞かせ、幹部の強化をはかった。さらに私は、北海道新報より発行部数の多い「新北海新聞」に、我々の運動の趣旨、性格、行動を載せ、赤旗や北海新報のデマを告発した。

 その日は仲々宿泊所が見当らなかった。警察に頼んで探したがどこの寺院も神社もなかった。

 ふと通りがかりの婦人に「この辺に天理教の教会はありませんか」と聞いてみた。

 「ありますよ。南七条41丁目にあります」

 婦人は親切に、道を詳しく教えてくれた。

 天理教の教会主は、50過ぎの小柄な思慮深そうな男であった。私は一通り説明し、3日間実費で宿泊させてもらいたい、と頼んだ。

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  1. 2012/06/07(木) 10:55:01|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:天理教は生きている宗教)

 「承知しました」

 教会主は、なんのためらいもなく、即座に応じた。あまりにも抵抗なく事が運んだ為か、かえって途惑ったほどであった。

 「あなた方のような方をお泊めするのに、実費も何もいりません。どうぞ、ゆるりとお泊りになって下さい」

 教会主は、国士を扱うように、丁重に言うと、女中風の婦人を呼んで、奥の部屋に案内させた。

 我々はほっとして、申しあわせたように太い吐息をもらした。ああ、神様はここにおられたのか……。天理教の神は生きていると思った。

 翌22日、私は笠原をもう一度上砂川に派遣し、新北海新聞発刊後の情勢を調べさせる事にした。私自身は国家警察を訪ね、雑誌の販売による思想宣伝と旅費の獲得にあたった。

 国警は市警と違って、思想問題に対して真剣で、課長と係長の2人が昼食に案内し、時間をかけてゆっくりと懇談した。問題に取り組む感覚と姿勢が、市警、自治警とはまるで違っていた。彼らは見識と体験を、高く評価しているようであった。

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  1. 2012/06/08(金) 10:26:17|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:天理教は生きている宗教)【続】

 このあと、夕暮まで、有力といわれる活動家を何人か訪ね、協力を得ようとした。しかしどういうものか、ハッタリ屋が多く、ほとんど田舎大名のような、感覚のずれた人物ばかりであった。

 夕方になって、砂川から笠原が帰ってきた。彼の報告によると、やはり共産党の勢力が定着しているところだけに、たえまない指導と工作が必要で、通り雨のような運動では、組織化は難しい、という事であった。上砂川から帰った笠原の報告では、新北海の声明書は思ったよりも効果を奏し、支持者等の動揺を防ぎ組織化に大きな力を加えたというものであった。

 ああ堀内がいてくれたら、この遊説を契機に力強い組織化を始めていた事であろうに。堀内が中心になって、松本・植田の線をまとめていたら、上砂川に根を深く下す事が出来るのだが……私が北海道にかけていた希望は、その1点にあったといってもいいほどだ。

 翌23日、私と笠原は狸小路に出て、街頭演説の準備をしていた。すると、そこへ待望の堀内が、ひょっこり現れたのである。

 「おおっ」私は思わず、大声をあげた。「よく来てくれたなぁ」

 帰山した堀内が、植田から連絡をうけ、飛んで手伝いにきてくれたものと思ったのである。

 堀内も懐かしそうに笑顔をくずした。

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  1. 2012/06/09(土) 09:08:36|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:天理教は生きている宗教)【続】

 「話は宿へ帰ってからだ。演説を始めよう。君は笠原の次にやったらどうだ」

 「いや、僕はすぐ失敬するよ」にべもなく言う堀内の顔を、私も笠原も意外の感をもって見つめた。

 「大分長く欠勤したのでね。明日から出なきゃならんのだよ。君が砂川で待っていてくれたという事を聞いてね、今日は札幌だというので来てみたんだ。何も手伝いができなくて、済まん」

 こうして堀内は、演説一つ聴こうともせずに立ち去ってしまったのである。中国時代以来十数年来志を誓合ってきた友との、味気ない袂別であった。なぜなら、それ以後、堀内は意識的に遠ざかってしまった。その後、堀内は再び私に姿を見せたことがない。私も呆然たる思いで、友の後姿を見送った。

 この後の私の演説は、これまでにまさる活気あふれるものであった。そのせいであろうか、半ばにして、すでに数百人の聴衆がつめかけていた。

 ところが、演説がいよいよ最高潮にさしかかった頃、群衆の一角にまたもや朝連の一団が現れたのだ。彼らは遊説隊が少数なのを悔り、露骨な揶揄まじりの妨害を始めた。

 「一応話が終ったら、立会演説をやろう。それまで黙ってきけっ」

 私は制したが、彼らは汚物にむらがる青蠅のように、口々にしつこつ野次りまくる。

 その間にも、聴衆は刻々と増えて、狸小路を完全に遮断してしまった。おそらく、1000人はいたであろう。遊説隊と朝連の立会演説を聞こうとして、立ち去るものは一人もなかった。

 さて、いよいよ立会演説となった。

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  1. 2012/06/10(日) 14:46:13|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十一 北海道遊説:天理教は生きている宗教)【続】

 朝連の代表がマイクの前に立った。彼らのいう事は全国共通で、1に天皇の悪口、2に朝鮮侵略の罪、3に関東震災のときの殺りく事件である。彼らはまるで吠えるように、日本の非をならしたて、我らがその罪を継承するものであるといって、批難した。

 これまでに何度もきき、そして何度も反論してきた内容である。すでに馴れきっていた。私は彼らの雑然たる理論を逆手にとって、一つ一つを論破していった。

 その胸のすくような鋭さに、聴衆は「万才々々」を連呼した。

 その夜、どこでどう嗅ぎつけてきたのか、昼間の暴徒たちが、天理教会におしかけてきた。

 私が玄関にでて行こうとすると、教会主がおしとどめて言った。

 「あなたが出てはいけません。どんな事がおこっても、決して出ないで下さい。天理教で起こった事は、天理教の責任においてやります。あなた方のお宿を引受けたのは、私共です。一切任せていただかねばなりません」

 澄んだ水のように、冷静な声であった。そして教会主は、なんら不安の色も見せず、すたすたと玄関に出ていった。

 やがてのこと、玄関で教会主と朝連との押問題が始まった。約半時の間、緊迫した声が乱れとんだ。しかし、それも次第に治まり、教会主に説得されて、朝連は何事も起こさずに帰っていった。

 いったいこれはどうした事であろうか。今まで警察が間に入っても、彼らは一度も素直に退いた事がなかった。その彼らを教会主は、ものの見事に追い返してしまったのである。

 これは明らかに、信仰の力である。一目にして我々を信用し、温かく客分として受け入れた心が、表裏をなして朝連をやわらげ静めたもので、この適時適処に滑脱に働く豊かな心は、絶対的な存在を対象に、練り鍛えあげられたものである。

 信仰は人間を、超越的に高め強くする。人間個々の理性に限りがあるが、神という無限の存在を把握したとき、人は自己の限界を超えた力を発揮する事ができる。そしてその力を、人のため世のため怖れもなくためらいもなく捧げるとき、世界に光を放ち、自己の内面をいよいよ気高く充実させていく。信仰とはそういうものなのだろう。

 天理教は生きている。大本教も共に神道教派である。私が天理教という教団に関心をもち始めたのは、この時からであった。のち、私は「中山みき」という教祖を研究して、天理を体得し、神と人のために捧げきった光明の人生を知ったとき、この教会主から受けた感動を、あらたにしたのであった。

 私達は天理教会に6日間も滞在した。この間笠原は単独で砂川工作に出かけ、私は札幌市内に人材を求めて歩いた。不思議な事に、この都市では、警察から紹介されて訪ねた人物は、ことごとくが売名の士で、日本思想の開明建設のため人生を賭けようとする行き方とは、およそ程遠いものがあった。

 私は札幌に見限りをつけ、予定どおり26日の夜、函館に向った。函館では不籍社の幹部と打ち合わせを重ね、2日のちの正午出帆の船で北海道を後にした。埠頭には不籍社の幹部が、いつまでも手を振りながら見送っていた。

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  1. 2012/06/11(月) 21:21:45|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十二 共産党の猛攻)

 私達夫婦が京都に転居したあと、東京の全国連絡事務所は、中野新井町に移った。弟貞人と妹ユキ子が事務担当にあたった。

 北海道遊説をおえた私が、東京事務所にひきあげてきたのは、9月5日の早朝であった。

 「兄さん、大変ですよ」

 「『真相』が兄さんを大攻撃していますよ」

 私の顔をみるや、兄妹が口々に言った。貞人のさしだす共産党機関誌月刊誌「真相」を見ると、遊説隊の行動を、超国家主義的な右翼団体の、謀略的反共活動と非難している。

 「真相」というのは、戦後共産主義グループによって発行されていた月刊誌で、戦後社会問題の告発と暴露を売りものにしていた。もちろんその記事が、偏向的独断的であった事は、言うまでもない。

 「ほほう、真相まで俺の悪口を書きだしたのか。面白いな」

 笑いながら月刊誌を読んでいる私を、貞夫とユキ子は、不可解な思いで見つめていた。新聞「アカハタ」で攻撃され、こんど月刊誌「真相」で非難され、始末のわるい悪徳右翼のように社会に宣伝されて、2人は狼狽し気が滅入っていたのであった。

 ジャーナリズムは、右翼を、戦中軍部と相呼応して、日本を戦争にかりたてた元凶のように書きたてている。戦争を講和に導くために運動し続けていた兄が、右翼という名で呼ばれ、侵略主義者の先鋒のように書かれているのは、なんとしても無念な事である。兄は戦中の右翼とは無縁で、純粋で無色のはずであるのに、社会ではすでに着色し、極右におしやっている。こんな不条理な烙印にたいして、兄は面白そうに笑っているのだ……貞人とユキ子には、どうしても腑におちない事であった。

 「共産党が、こんなに我々を重大視している事は、愉快な事ではないか。彼らから攻撃されるようでなければ、我々の再建運動も本物とは言えないからな。道統をかかげて立ち上って、反対勢力から歯牙にもかけられないようでは、張り合いがないというものだ。
 事実とデマをつきまぜて、こんなに攻撃してくるという事は、相当我々を意識し、社会的には抹殺してしまおうと、考えているのだろう」

 好敵手を得たように、私はかえって勇み立っていた。貞人は、兄と自分の気宇と気性の違いを感じながらも、自分の中に今、敢然たる気迫がみなぎってくるのを感じていた。

 「真相」は、翌25年2月に、再び私に関する記事を、5頁にわたって大々的に発表した。

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  1. 2012/06/12(火) 21:34:43|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十二 共産党の猛攻)【続】

 これによると、戸松の団体は、謀略的に朝連排撃をすすめてきた排外的な団体で、第2第3の三鷹事件を計画して、共産党を罪禍におとし入れようとしている反共スパイ団とも、関係しているという事になっていた。

 そして、こういう悪辣無道な団体が、団体等規正令の取り締りの対象にならないのは、その背後で、緒方竹虎、頭山秀三らが、直接援助しており、黒幕の元陸軍中将の前田正美、松井卓郎等の知人縁者、政財界および警察庁、法務庁につらなる、権力の手先がひかえているからである。と、書き立てていた。

 戸松の知人先輩を、ことごとく運動の関係者と見立てているばかりでなく、芋蔓をひくように、その横のつながりを調べあげ、それが殆んど政財法会の重要な地位にある事から、侵略者どもの一大謀略と、きめつけているのであった。

 なかでも、滑稽なほどの思い違いは、小玉誉士夫、渡辺渡(北支十二軍作戦参謀大佐)らと通じあい、その尖兵的役割をはたしていると、見ている事であった。

 これらの記事は、私にしてみれば、想像も及ばなかったものである。ほほう、これはなかなか手のこんだ一大ドラマだ……とほとほと驚嘆した。

 一つの事実と事実を故意につなぎ合わせて、妄想をはたらかせ、現実めいた虚構をつくりあげる……戦後反乱した爆露的攻撃的情報なるものは、大なり小なりこういう種類のものだったのである。

 それに、当時の共産党の性格は、反共的存在を容赦しない激越さをもっていたから、各地で堂々と立ち向ってくる私を、無償のまま放任しておくはずがなかった。彼らは既存の思想や勢力を片っぱしから粉砕して、いちはやく共産主義体制を勝ちとろうとあせっていたのである。

 毛沢東による中国革命はすでに成功していたし(この年の10月1日に中華人民共和国が発足した)前年23年には、朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)も成立している。中国でも朝鮮でも、アメリカの巨額な軍事援助にもかかわらず、共産党は勝利をおさめているのだ。

 日本の共産主義者だけが、おくれをとってはいられない。時あたかも、日本は敗戦の虚脱の中で、伝統の精神的殿堂が音をたてて崩れている。こんな絶好のチャンスが又とあろうか。伝統にしがみつく亡者どもを根こそぎ打ち払って、すばやく革命的土壌を培わねばならないのだ。……

 しかもこの頃、左翼勢力を焦燥疑懼にかりたてる世界的不穏な雲行きがあった。日ましにつのる米ソの対立による、占領政策の転換がそれである。これまで国家主義者にむけられていた圧迫が、一転して左翼の取り締りに変じようとしていた。

 私達の遊説を、行く先々で妨害した朝鮮人連盟が、破壊的行動のために、団体等規正令により突然解散させられたのも、多分にこうした国際的背景の変動によるものであった。

 私達の再建運動を封じようとした朝連が、反対に見えざる手により、不意に転落させられたとなれば、共産主義者の懐疑と妄想が、一段と深まるのも当然の事であった。

 日本の新生は、世界対立の波にもてあそばれ、こうした欺瞞、妄想、謀略の充満するなかで、年ごとに汚れを深めつつあったのである。

 私は清浄なる日本を、求め叫ばずにはいられない。道統否定の共産革命に限らず、日本の本質を穢すもの、それが私の敵であった。

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  1. 2012/06/13(水) 16:09:50|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十三 花輪鉱山の共産党及び朝鮮人連盟との激突)

 全国遊説の反響はさまざまであった。

 真相やアカハタは、非難と攻撃の矢をあびせかけ、一方大阪の木崎為之氏、京都の田中宗太郎氏などは「全国遊説報告会」の準備をととのえて、待っていた。

 その外、北海道上砂川の三井鉱山鉱業所の松本、植田等からも、渡道の要請があった。

 一方秋田県下の横手、湯沢、鹿渡の遊説をおえて、能代市の生家にもどると高校教員をしている友人佐藤富治氏が、花輪町長の依頼をうけて、私のかえりを待ちうけていた。

 花輪鉱山には、戦時中鉱夫として朝鮮からつれてこられた朝鮮人がたくさんいて、戦後それらが解放され、町政に反抗し妨害をくわえていた。

 しかもそこへ共産党が入りこんできて、旧日本に恨みをもつ彼らを、北朝鮮支持の朝連にくみいれ、猛烈な革命活動を展開しはじめたのである。近頃はほとんど、無警察状態が続いているのであった。

 この事情を聞いた私は、能代の同志20数名をつれて、花輪町にのりこんでいった。

 その夜、演説会は7時から始まることになっていた。一行が小半時前に会場に着くと、すでに数百名の朝鮮人と共産党員がつめかけていた。丁度朝連が解散させられた直後であったから、彼らは一段と兇暴性をおび、会場の半分以上をうめた彼らの間からは、殺気が立ちのぼり、睨み見る眼には、敵意と怨恨がきらめいていた。

 両者暗黙の対立のうちに、一般の町民もぞくぞくとつめかけてきて、定刻までには満員となった。開会とともに野次が乱れとび、騒然たる雰囲気のなかで演説が続けられた。4番目に葛西が壇上にたったとき、怒号が百雷となって爆発した。葛西が「日本」を「大日本帝国」と言ったのである。

 「大日本帝国とは何だっ。とうとう帝国主義を出したぞっ」

 「取消せっ。吉田首相でも『帝国国会』といい失言を取消したんだぞお。お前らも取消せっ」

 口々にどなったり喚いたりする中で、さすがの葛西も立往生し「取消しますか」と司会者の立垣に相談した。立垣は後ろの戸松遊説隊長に「とり消しますか」と聞いた。戸松隊長はすっくと立ち上り、

 「戦闘中取消しなし、射撃開始、3回射てっ」と、大声で命じた。

 葛西も一段と声を張りあげ「大日本帝国は」「大日本帝国は」と、3回くり返して、本論に入った。

 この戦術は的中した。声を張りあげて喚いていた連中は、驚き呆れて、ぴたりと静かになったのである。彼らははじめから妨害をくわだてているのであるから、一歩でも譲歩すれば、それにつけこんで一層攻めたててくる。葛西の3声は、まさに奇襲攻撃のようなものであった。

 葛西はこののち、いよいよ高姿勢となり、戦後左翼の行過ぎを、徹底的にたたいた。反撥の嵐のうずまく中を、葛西が降壇して、最後に立ったのは戸松隊長であった。

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  1. 2012/06/14(木) 21:43:25|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十三 花輪鉱山の共産党及び朝鮮人連盟との激突)【続】

 語りすすむにつれて、やがて場内の騒ぎは沸騰点に達し床板を靴で踏みならし、蜂の巣をつついたような混乱状態となった。なんとかして演説を粉砕しようとして、彼らは野次の限りをつくし、共産党は壇上にも何度かとびあがって、取り組もうとした。

 彼らの暴力はすでに体験ずみの遊説隊は、その都度沈着に処置していったが、魚河岸の混乱の中で演説しているようなもので、このまま続行する事は、ほとんど不可能な状態となった。

 「疲れるまで、声が枯れるまで騒いでおれっ。弁士はしばらく休憩する」

 戸松は演台に後向きに腰かけ、ポケットから新聞をとり出して読みはじめた。

 「無礼だぞっ。そんな事をしたらみんなに嫌われるぞっ。愛される団体にならんぞっ」

 彼らは、逆上してどなった。彼ら自身、愛される共産党をめざしているはずなのであるが……

 「お前ら共産党や朝連に愛されたらこちらが大迷惑だっ」

 隊長も負けずに、振り返って叫んだ。もはや演説会などというべきものではなかった。彼は騒ぎを背に、いつまでも新聞を読んでいる。降壇すれば敗北になるので、彼らが妨害に疲れ倦むまで、根気くらべしているのであった。

 鎮まったところで演台からとび降りて叫んだ。「お前等には口で話しかけてもわからぬようだ。お前等によくわかる挨拶をするから耳をほじくってよく聞け」、と言ってマイクをお尻にもって放屁一発放った。拡声器に拡大された屁はヴォ―と場内を圧した。

 朝連もさる者、何人かが飛び出して、電源を切ってしまったため、場内は人の顔も見定められぬほどの暗闇になってしまった。そうしておいて彼らは、一勢に「わあっ」と奇声を発して、壇上壇下の弁士をめがけて、攻めよせてきた。4人の警官はすかさず外に飛び出して行った。逃げたのではあるまい。おそらく警官全員出動し制止するための処置であろう。

 戸松は電気が消えると同時に「危ないっ」と感じた。闇に乗じて彼らがおしかけてくれば乱闘となり、収拾つかない事態をひきおこすであろう。第一数百人に30人足らずの同志では不利であり、多数の負傷者を出しかねない。「わっ」という彼らの歓声がおきると同時に、戸松は壇下にとび降りて遊説隊の前面に腰かけ、後方左右の隊員に命じた。

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  1. 2012/06/15(金) 13:57:37|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十三 花輪鉱山の共産党及び朝鮮人連盟との激突)【続】

 「立上るな、腰かけたまま、私のする通り大声を発して奴らを牽制せよ」

 そして、すでに二米前まで来ている朝連の群にむかってどなった。

 「来るなっ、そこから一歩でも近づけば撃つぞ!拳銃をもっているものは安全ピンを外せ、短刀をもっている者は鞘を取れ、近づいて来たら、心臓を一発で仕末するのだ。いいか」

 彼等は凶器をもっていると思ったらしく2メートル先に立止って動かない。ぴりぴりひびきわたる戸松の号令に、忠実にも彼らは堰止めされた水のように、押しあうようにして止まり、じっとこちらを窺い見た。ピストルでもかまえているのではないかと、恐怖を感じたものであろう。続いて、他の者も、代わる代わる「ぶっ放すぞ」「撃つぞっ」と、真にせまった声を発するものだから、暗闇の中で相手の手先も見定める事もできず、彼らは息をひそめたまま動けないでいた。

 そうしている間に、警官や町民数十人が駆けつけて来て電気をつけ、場内がぱっと明るくなった。警官がすばやく両者の間に飛びこんできて、席につくように呼びかけはじめた。警官に正面から顔をみられては、彼らはがやがやと捨台詞を吐きちらしながら、もとの席にもどっていった。

 戸松も壇上にかえり、ゆっくりと場内を見渡しながら、再び演説にうつった。事々に意表に出られ、すっかり気勢をそがれて、遊説隊の手強さを知った彼らは、もはや攻撃の鉾先もにぶり、反撃の鋭さを失っていた。

 こうして、演説会は結果的には彼らを制圧し、遊説隊の勝利に終った。戸松がこれまで経験した数多くの演説会で、おそらくこの日以上に危険と混乱をきわめた事は、他になかった。そしてこの事件は、戦後民主主義と占領政策の鬼子である彼らの、衰運を早める事にもなった。

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  1. 2012/06/16(土) 13:42:21|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十三 花輪鉱山の共産党及び朝鮮人連盟との激突:青森県下遊説)

 葛西の案内で、青森に入った戸松、柴田、立垣の一行は、青年同志会の計画した県下19ヶ所の遊説を行った。蟹田、藤崎、青森、弘前、三戸、黒石、坂柳、鰺ヶ沢、木造、深浦等。黒石市には大沢久明という共産党の幹部がいた。これと立会演説する事になったので隊員も青森青年同志会も活気づいた。私は演壇に立上るやいなや、第一声大沢久明を糾明してやると叫んだので場内どっと歓声があがった。大沢久明はとうとう会場に姿を見せなかった。この時の論旨は、マンモスの滅亡に関する理由についてであった。象の数倍もあったマンモスが死滅したのは、生存のため闘争に次ぐ闘争をくり返し勝残った彼らはやがて増加し地上にあふれ、マンモス同志が何屯も食する食糧のため争うようになって遂に闘争に明け暮れ滅亡したのである。

 共産党も口に平和を称え救済を叫びながら労働組合を兵器廠となし、それを根城に闘争本部をおき、開けても暮れても闘争を繰返しているのである。彼らのこの闘争のためマンモスの運命をたどらざるを得ないのであるという意味のものであった。この遊説中終始リュックを負い食糧を運び応援に廻ったのが満鉄時代からの友人新岡克己氏であった。

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  1. 2012/06/17(日) 12:39:21|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十四 道炭労主催の四党〈共・社・労農・大和〉立会演説会)

 道説を終え、北海道に渡った。上砂川の同志の要請にこたえるためであった。駅に下りると、地元の松本、黒滝、若狭、植田をはじめとする多数の同志が出迎えていた。最初の砂川入りから、僅か1ヶ月余をへただけであったが、人々の表情には、運命共同意識というか、共に立ち上ろうとする自覚のようなものが、にじみ出ていた。それだけ心のむすびが、強まってきたのであろう。戸松の胸に、じーんと熱いものがしみわたった。

 「お着きになったばかりで申訳ありませんが、4時から、我々と共産党と社会党と労農党との、立会討論会がありますので、先生に出場していただくようお願い致します。三党から立会いを申込まれておりますので、主催は北海道炭鉱労働組合です」

 左翼三党の間に、歴史伝統派の戸松が出ていけば、三方から集中攻撃をうける事は必定である。とすると、この鉱山から、我々の運動を締め出そうと考えているのではないか。炭鉱地帯を、左翼思想の拠城にかためようとしているのに相違ない。

 案に違わずいよいよ立会演説になると、三党の代表が、一斉に右翼攻撃にでてきた。おそらく事前に打ち合わせ、炭坑労働者群の前で惨敗させ、信望を失墜させようというねらいがあったのであろう。

 そこで、戸松も途中戦法を変えて、寸断作戦をとり、柔軟自在の攻防にでた。こうして1対3の凄まじい論争となった。

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  1. 2012/06/18(月) 17:53:06|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十四 道炭労主催の四党〈共・社・労農・大和〉立会演説会)【続】

 やがてのこと、正攻法では容易に倒せないとみたのか、敵は半ばすぎるころから、急に下劣な攻撃に転じた。共産党の伊藤代表が「中央にも地方にも議員1人ももたず、政治団体の真似事をし、資本家の御用をうけてこの炭鉱にやってきたのは、気違いか阿呆かのどちらかである」と、口ぎたなく罵りだした。

 すかさず、司会者石黒氏(後総評組織局長)からマイクをもらいうけ、反駁した。

 「気違いと天才は、紙一重であるといわれている。医者も大別すれば名医と藪医者にわけられる。我々が天才であるか、気違いであるかは、藪医者に判別できるはずがない(罵倒した共産党弁士は、砂川病院の医師であった)。この男が、藪医者であるか名医であるかを、今ここで判明させてみよう。もし名医であるなら、患者が多く、かかる立会討論会などで、暇をつぶしている自由はないはずである。藪も藪だからこそ、左翼運動にうき身をやつす事ができるのだ。かかる藪医者に診てもらったら、直る病気も、殺されてしまう。

 いわんや、このような藪医者に天才と気違いの区別がつくはずがない。もしここに、名医がいるならば、我々こそ、敗戦後の日本を救う、唯一の天才英才であると判断するだろう。あるいは、栴檀は双葉より芳しと賞讃するだろう」

 攻撃してきた男が医者であったため、病気を治せない藪医者であるから、天才と気違いの区別もつくはずがないときめつけ、自らを天才に仕立てて報復したため、聴衆はそのとっさの機知に、どっとばかりに拍手を送った。

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  1. 2012/06/19(火) 14:50:07|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十四 道炭労主催の四党〈共・社・労農・大和〉立会演説会)【続】

 先ず共産党(伊藤)を叩きのばしてその返す刀で社会党(渡辺弁護士)労農党(岡田春雄代議士)に立向い「何が社会党だ労農党だ、何が世界性普遍性だ、資本と労働を対立せしめ階級闘争を最高至上の理念であると迷信して労働者を自己の野望に利用しているだけではないか。労働者を欺し労働者の犠牲の上にマルクス主義の実現を計っているだけのことではないか。これはマルクス主義を絶対であるとする思想的捕虜たちの考え方であって、日本固有の原理を有していたならばこのような迷信に惑わされる事がなかった筈である。

 抑々近代西洋思想は自我と個性の発見に始まり、後啓蒙思想がおこって自由平等人権を主張し確率したものである。その後進化論がおこり生存競争原理が普及されるとともに自由と平等は分裂し、自由は資本主義を成り立て個人を単位とする弱肉強食、適者生存優勝劣敗を生ずるに至った。これに対し平等を立場とする社会主義共産主義は個々人の自由を抑圧し、私有制を否定して専制独裁を成り立て全体主義体制をとって来た。人間は十人十色である。個々人は能力・才能・力量・人格は異るものである。これを一切平等に取扱ったら忽ち欲望は消滅し生産低下する事になる。又私有財産を否定したら経済の原則である消費の充足がなくなり経済が成立しなくなる。労働者の生活向上どころではない。国家社会は監獄となるのである。もちろん我々は資本主義がいいというのではない。資本主義は経済あって政治はないから統制がなくなり、無政府的傾向を帯びてくる。共産主義は政治あって経済はないから次第々々に生産低下して行詰る。共に欠陥があるのだ。自由と平等は分裂対立すべきものでなく、労働者と資本家は対立すべきものではない。企業に「労働、資本、資源、経営」は共に不可欠の要素である。これを一体的に取扱わなければ産業の発展は期せられない。我々国民は階級闘争するよりも経営協議会をつくり一体観に立って経営内容の問題を解決して行くべきであり、その線に添うて資本主義の欠陥、社会主義共産主義の欠陥を改めて行かねばならない。労働組合は共産党にだまされて徒らに闘争するよりももっと産業機能を研究し、成長して経営に参加すべきである。

 日本は資源がない国である。この資源をどうして得るか、企業が一体となって獲得する他ない。階級闘争で資源は獲得できないのだ。

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  1. 2012/06/20(水) 16:49:26|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十四 道炭労主催の四党〈共・社・労農・大和〉立会演説会)【続】

 我々はマルクス主義に奔走された共産党・社会党・労農党等の思想的捕虜共の頭を改造して、資本主義を合せて濾過し労資一体の実現を志すものである。ここが既成政党と本質を異にするところである。組合たると会社たるとを問わない、我々と同一の志と行動をとるものを同志として合体し強大な組織をつくりこれに反対する直譯外来思想の虜や奴隷共を打倒して健全な体制(混合経済―廃会直公経済)を確立せんとするものであり、そうしなければ、日本の産業発展と将来はないのだ」と伊藤・渡辺・岡田を完膚なきまでに叩きつけた。労働者の声援は場内を圧した。

 このあと、やっきになった三党が、毒舌、罵言雑言の限りをつくしたが、戸松は彼らの言に応じて、適切な逆襲をくりかえした。ついに國乃礎打倒を画していた者たちが、反対に打ちのめされ、疲労困憊の態で、幕をとじる事になった。戸松の逆襲に対する聴衆の拍手は、爆発的で、左翼主義者の多いはずの会場で、予想もしなかった大声援であった。それは、聴衆のなかに冬眠していた感情が、にわかにめざめ、吹き上ってきたかのようであった。

 こうして三党からさんざん罵倒されたにもかかわらず、この立会討論会は、かえってこのあとの運動の拡大に役立ったのである。この会場には労働者ばかりでなく経営者が沢山混じっていた。その夜松本が織田旅館に訪ねて来て、甲賀次長に会う事になった。甲賀さんは戸松に対し「共産党が労働組合を思想的に私物化して妨害し、経営上甚だ迷惑千万な存在である。組織をつくってこれに対抗してくれ、各鉱業所に大和党国乃礎オルグを派遣―組織化を計って共産党に対決願い度い」と頼み更に九州三池鉱業所の次長倉田興人氏に紹介した。

 このあと我々は美唄、芦別夕張の炭鉱に転戦し、すでに思想的城壁を築いている、左翼勢力のはげしい妨害にであったが、これを克服しながら進み、いたるところで一般民衆の支援を集めた。この運動期間で6千人の会員を組織した。

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  1. 2012/06/21(木) 15:47:02|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十四 道炭労主催の四党〈共・社・労農・大和〉立会演説会:労働組合工作オルグ派遣)

 この頃、大山、多田、小野、緒形、桑名、所等を北海道の炭鉱にオルグとして派遣した。

 緒方が先発に小野、桑名、所等は各地の上砂川、美唄、芦別、夕張に赴任した。

 勿論労働組合内部の共産党との対決のためである。

 彼等の活動はめざましく、強大な組織を結成して共産党を制圧した。

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  1. 2012/06/22(金) 22:25:44|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十五 第二回全国大会 ― 妙心寺大会)

 春4月の京都大徳寺大会は主として満鉄時代中国時代の知人友人が多かったが、今回の大会は遊説後の九州、中国、近畿、東北、北海道の同志が多数をしめ而も労働組合のものが多かったから各地より馳せ参じた者が勢盛大で議論白熱化し見事なものであった。殊に飯塚市公会堂立会演説会、秋田県の立会演説会、北海道労働組合四党立会演説を体験した人々であったから労働組合工作、階級闘争はマルクス主義の管理理論であってこれに支配されると共産党、共産主義者が支配者となり他は被支配者となってしまう。彼等に耳を籍し、耳を与え奪われ、耳を牛耳られたら階級闘争思想に流され、溺れ、服従せざるを得なくなる。理論的謀略と詐瞞を打倒しなければ健全なる自己及び自国、産業の発展を期する事はできない。という信念に燃ゆるものであった。大会は上上で終った。

 22日上京、そのまま東京事務所の弟貞人と打合せ後北海道行の列車に乗る。北海道の組織強化指導と、状況調査と監察のため渡道した。28日猛吹雪のため夕張行きを中止し、帰京の途につく。30日秋田で柴田、弟(由紀男、貞人、武男)と来年の運動について討議し、明けて31日大晦日朝8時の急行北陸線廻りで京都に向う。夜行列車で越年の除夜の鐘と元旦を迎える。私は12月31日の日記に「今年1年を顧るに生涯の中おそらく今年程多忙な年はないであろう。それだけによく芽生え、生活も安定する域に達した」と記した。

 全国遊説の第1年目は暮れる。4月大会以来5月から遊説隊に尽力してくれたのは第1に木崎為之大阪弁護士会長であった。第2は木崎先生の紹介で大阪淀川製鋼の浜田正信社長等であり、浜田社長は生涯12万円の月収の内2万円を支給した。第3に安岡正篤先生の紹介で機関誌印刷を5回(5万部・生存法則論思想篇)まで引受けてくれた出間照久社長であった。

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  1. 2012/06/23(土) 18:10:58|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十五 第二回全国大会 ― 妙心寺大会:明けゆく昭和二十五年)

 年明けるや共産党は機関誌「真相」2月号特集版16号をもって徹底攻撃に出て来た。

 冒頭にわが方の宣言文を載せ、共産党らしい攻撃を浴せかけている。

 5頁に亘ってあらゆるネタをかき集め巧みな手法でかみ合せ、その上想像逞ましく被害妄想的創作をしている点彼等の本質を暴露している。24、5年は共産党の花盛りである。その共産党がこれほどまでに重大視しているのはむしろ我々にとって真に喜ばしい限りである。宣伝価値100%だからだ。

 敵から攻撃されないような者や中傷讒誣を受けないような者は存在価値のあるものでない。真の日本人または愛国者である値打、能力、力量の測定は、敵から攻撃され中傷讒誣の度合いによって決定される。

 共産党および進歩主義文化人という者は、日本精神や民族性を抹殺せんとする非日本人であり、不倶戴天の敵であって、常に日本を呪い、憎悪し嫌悪する異常精神の持主であって、血統的には日本人であるが思想的には敵国人である。共産党は虚偽と虚言を武器とする破廉恥漢である。故に彼等から受ける誹謗、讒誣、中傷、罵詈攻撃は、我等が戦士の身体に負える名誉の負傷のようなものであり、精神的勲章である。ヒトラーもマインカンプで言っているように「敵共産党から攻撃のない日は休戦の日であり、戦のない日は終戦の日である」敵こそ我々を鍛えぬく相手役であり、錆をとり垢を拭う砥石である。また我々を写す鏡である。

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  1. 2012/06/24(日) 14:54:42|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説)

 まず九州福岡に入り、飯塚の須藤真一氏宅に宿泊して、県下の各市の炭鉱地帯を遊説し、新しい共鳴者を獲得した。ついで熊本、鹿児島、宮崎、大分を一巡して、四国に入った。

 前半の遊説では四国は除外されていたが、今回は愛媛、香川、徳島、高知の順にまわり、松山では大林寺、徳島では瑞厳寺、高知では高野寺に宿り、寺内で演説会をひらいたり、街頭に出て日に何回となく演説した。

 高知の高野寺における演説会は、聴衆が堂にあふれ、庭にスピーカーをとりつけて整理した程であった。さすがは坂本竜馬を生んだところ、黒潮の流れのように、たくましく湧き上るような雰囲気があった。この会場に土佐の交通王と言われ、勅選貴族院議員をされ、高知県政界の大御所と仰がれていた野村茂久翁が聴衆者の中に居て演説が終了すると、使の者が「食事を共にしたいから車で野村邸に同道していただきたい」と申入れがあった。

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  1. 2012/06/25(月) 10:55:37|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:野村茂久馬翁の吉田茂総理への書翰の意義)

 翁は、数人の人に囲まれながら食事をしていたが、自然のうちに本論に引込み私に決意を促した。それは吉田の権力と戸松の知略手腕を結んで日本の大改革を断行する事である。戦後の態勢をこのまま放置しておいたら日本民族は知らず識らずの間に魂の大患に手の施しようもない状態になってしまう。戸松慶議ならば吉田を説得し、抑制し、推進し、牽引し、いざとなったら非常手段をとって目的を貫徹する人物だと見ている。「勇住邁進」「終始一貫」の国士であると信ずる。翁の任務は二人を結びつける事である。

 翁は土佐の自由党発足当時は先輩板垣退助に師事し、吉田茂の親父武内綱の行動隊の一員として活動していた青年であった。そうした意味で野村翁は吉田首相の先輩である。翁は晩年に歩行困難になられてからも私の高知往来には飛行場に送り迎えされる程の無類の国士であった。吉田総理と私を結びつけるのが晩年の執念であったのであろう。首相官邸や大磯に幾度も電話をかけ、書翰を送り両者の会談実現を図ったのである。

 折柄朝鮮事変がおこり、アメリカの国務長官アレン・ダレスが来日、吉田首相に憲法改正、安保条約改革、再軍備を要請した時である。野村翁は吉田首相に電話し、且つ国乃礎高知県連合支部の楠瀬賀文支部長に紹介状を託し三度上京させ「翁が首相に電話してあるから、この紹介状をもって官邸にお訪ね下さい。首相はよく承知しているから」との伝言であった。

 野村翁は吉田首相の権威権力は抜群で当代第一の人物であるが、戸松の明言するように「国家は文武両道・創造と統一・政治経済軍事の独立なくして国家の独立はない」。国家百年の大計は「国民精神統一の国教がなければ成り立たない。国教の確立が何より重要である」。而も千戴一遇にもアレン・ダレスが国家独立、文武両道の絶対条件をもって来日接渉中にも拘らず吉田は経済再建にのみ心奪われ、マッカーサーに相談し協力を求める絶好のチャンスを退け、アレン・ダレス国務長官の要請を拒否するなどは宰相のとるべき態度ではない。この点を戸松の生存法則原理をもって開眼せしめなければならぬと考慮し、再三再四書翰を認めたものである。

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  1. 2012/06/26(火) 14:04:39|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:野村茂久馬翁の吉田茂総理への書翰の意義)【続】

 顧みれば7年前野村翁が電話をかけ最初の紹介状を楠瀬に託して来た時、私はそれを受取るや一読後、吉田総理に長文の手紙を書いて大封筒に同封した。「閣下は内閣総理大臣であり、国家の再建復興に多忙を極め、且つ占領軍相手の政治的接渉に骨身を削っている時、一無名の青年を相手にして国事を談ずる余裕あり得るとは思えない。世界歴史上稀有の英雄偉人天才ならばいざ知らず、最も不利にして悪条件下にある敗戦国家の総理に会っても国運を拓く手助けが現在の私にあるわけもなし、単なる閑談に終るならば全く無意味である。但し独立国家となった暁には、破天荒の偉業策を献上する事もあろう」

 また、その次の紹介状の時は朝鮮事変の最中である。

 「宮本武藏と佐々木巌流とは初対面の際真剣勝負をした。総理大臣吉田茂閣下と無位無官無名の戸松慶議の面会は初対面をもって真剣勝負と致したい。国家国事の大事を決する会談は須く真剣勝負で決したいものである。憲法改正、再軍備で勝負を望むならば場所時間を御指定ありたく、審判は野村茂久馬翁を互の胸に抱いて決したく申し入れるものである」

 こういう手紙を紹介状と共に大きな封筒に入れ柴田哲男を使として議事堂内の総理室に届けさせたものであった。

 而し、その返事はなかった。野村翁は最後の書翰を楠瀬に託すとき、

 「2人はイゴッソ―だのう(土佐弁の頑固だなぁ)と言われたそうである。然し翁の生前に会う機会は遂にはなかった。

 かくして最初の紹介から10年目の昭和35年4月11日、吉田元総理の秘書安斉が国乃礎本部に訪ねて来て「4月18日、1日中体をあけてお話したい、昼食を差上げたいから9時頃までにお出で下さい」という事であった。

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  1. 2012/06/27(水) 14:28:39|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:野村茂久馬翁の吉田茂総理への書翰の意義)【続】

 吉田先生は玄関まで出迎えられ、手をとらんばかりに案内した。附添うて行った柴田と永鳥は別室に待機し乍ら、2階の会談の調子に注意を払っていた。今日の話の重点は「民主主義を基調とする政党政治、政権交代の二大政党は国民精神統一の国教がなければ成り立たぬものである」という事に関する説得であった。

 「17世紀になってイギリスが革命をおこし、専制政治を打倒し、新たに創造した産業革命と相俟って民主主義議会政治を成り立てた。ところが当時のイギリスは人口が1500万であり、全国民を集める共通の広場がないから代議制民主政治を創造し採用した。そこで民主政治に絶対不可欠の条件である「共通の広場」として登場する事になったのが、地理的共通広場は不可能であったから精神的共通の広場としての「国家宗教」を創造したのである。共通の広場とは国家国民全体の中心の事である。

 要するに国教の事であって、これは憲法以前のものであり、あらゆる法律の前提である。昔伊藤博文が憲法の草案を策定した時、その師である憲法学者グナイストから『ヨーロッパ諸国はキリスト教を国教として国民全体の統治基盤にしているが、貴国は何宗教を国教とするか』と問われた時、伊藤公は『わが国に神道もあり仏教もあるが、西欧諸国の国教キリスト教に価するものではない。結局日本では天皇をもって国民精神統一の中心国教にする以外にないと思う』と答えてグナイストを納得させた。と彼の著「憲法義解」に述べている。このように民主主義―議会政治―政党政治には超党的な国民の中心となる『宗祀国教』を成り立てずには国家の統治はもとより政治の運営が出来ないものである。政治は中心と統一が絶対必要条件である。

 民主主義国家にして共通の広場としての国家宗教のない国はどこにもない。宗教のないソ連は共産主義をもって国民精神統一の役割を果たしている。この原理からいうならば、戦後の我が国の民主主義は共通の広場のない形だけの個人主義的民主主義であるという事になる。形式だけの民主主義から出てくる代議士は政党の代表であって国民代表ではない。彼等は国会議員ではなく政党議員である。その証拠は、紀元節、天長説、国旗・国家を野党の共産党及び左翼陣営は戦後ただの一度も守った事がないばかりか、事あるごとに公然と反対し、又憲法第7条の天皇の国事条項に違反し、天皇の臨御される国会の開院式に反対する共産党・社会党左派等を政府も国会も処分していない。要するに、日本政府は政党の政府であって国家国民の政府でなく、議員ではない。

 要するに日本は、分裂国家であり多元国家であって統一国家ではない。これが最大の欠陥であり盲点弱点である。これは国民共通の広場―統一基盤即ち宗祀国教(民族固有の精神・道)を決定し規定して居ないからである」

 黙々と聞いていた吉田はその時ハタと膝を打ってうなった。

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  1. 2012/06/28(木) 13:25:15|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:野村茂久馬翁の吉田茂総理への書翰の意義)【続】

 「私の政治に何か一つ欠けているものがある、締りが足りないと久しい間考えて来たが現わかった。

 実は先般西独のアデナワー首相が訪ねて来ていま貴方が坐っているその椅子に腰かけていた。そこで私は彼に対して『私は政治の質量は別として政権担当の期間が6年7ヵ月で党内が混乱し、とうとう引退してしまったが、貴方は既に13年にもなるのにびくともしない。その秘訣と強さは何か?』と問いかけたところアデナワー首相は、暫く考えていたが『私は常に二人です』と答えた。

 二人というのは妻のことかと初めは思ったが、不審だったので問い返した。

 『神と共に居るのです。神が進むべき道をお示しになる通り、何が何であろうと国民全体が反対しようとも私は神と共にその道を進んで参りました。ただそれだけの事です』と言われました。

 宗教信仰の偉大さをまざまざと見せられました。そして今日再び貴方から中心と統一宗教―国家宗教の話を伺い、考えを新たにしたのです」

 日本人の多くは憲法が国家統一の原理であるかの如く考えているようであるが、憲法は国家統治の基本法であって原理ではない。法はやはりあくまでも法であって手段方法以外の何物でもない。原理は生命であり、存在の根源である。ここに国家宗教が憲法を超越して国家統治の原理、即ち基礎条件―「政体」があって成立しているものである。西洋制度を模倣して来た近世の日本人はこの国体と政体の区別をはっきりつけて居ない。国体は国家の生命であり精神であって、政体は国家の政治体制、国営、国運、国位であって政治の手段方法、個人にとっての職業と同じもので、統治の制度「立法、司法、行政」を意味する。この関係をはっきりさせていない故、無駄な憲法論争(護憲・改憲)をやっているのである。大体憲法の本義はコンスティチューション(constitution)「国家の本質」という意味であり、国家の本質を法文化したものをいうのであって米製憲法は、国体の本質を欠落しており、単なる政体の規定であるに過ぎない。これは日本の国体を危うくするものである。

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  1. 2012/06/29(金) 01:48:00|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:野村茂久馬翁の吉田茂総理への書翰の意義)【続】

 凡そ憲法には、実質憲法(不文)と形式憲法(成分)の二つがある。我が国は明治23年欽定憲法発布以前は、肇国以来実質不文憲法に基づいて国家を統治して来た。抑々形式憲法なるものは、アメリカが独立後国家統治の基本法として制定したのが始まりである。本国イギリスは、今日尚、実質不文憲法であって成分憲法をもたない。

 現憲法は、占領軍が日本を統治するための占領基本法であって、日本国憲法ではない。戦後の日本人は形式成分憲法を唯一のものと錯覚し、これに捉われ過ぎ、国家の本質を見失ってきた。実質不文憲法が国家の本質を顕藏しているものであり、これを基本として法律条文を制定するのが形式成分憲法である。現日本憲法はアメリカの国情を基本としたものであって、アメリカの希望を叶えるに役立っても日本統治には甚だしく不適合であり、徒らに混乱するばかりである。日本が分裂国家となり統一国家になり得ないのは、現憲法が日本の本質を否定し無視しているからである。

 昭和27年4月27日講和条約発効と同時に、独立国家として成分した時、占領基本法を放棄し、国家の本質に基づく憲法を制定すべきであったにも拘らず、革命勢力の野党共産党、社会党が、戦略的に平和を謀略に用い、マルクス・レーニン主義を本質とする平和憲法にぬり替え、分裂勢力の増強につとめてきたのである。

 日本は国家の本質を基本とする日本国憲法を制定し、統一国家を実現せねばならない。

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  1. 2012/06/30(土) 17:02:00|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

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