いしずえ

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:野村茂久馬翁の吉田茂総理への書翰の意義)【続】

 更に私は歩を進め宗教と国教(宗祀国教)について意見を延べた。吉田元老は野村翁からどのように説明されたかわからないが、長野の渡辺薫美師と混同しているようなところもあって仲々聞き上手であった。当方もまた政治的真剣勝負の決戦場であると思っているのであるから一切を遠慮ぬきにして自己の信念を吐露し、その手応を求めた。

 日本の神道を、憲法は一般宗教と見做し取扱っているためにこれからおこる弊害は実に夥しい。国教を規定できないのもそのためである。信教の自由という言葉を国家宗教否定に用いているが、これは個人の信仰の場合と国家の統治の場合とを混同し区別していないからである。国家統治の場合は国教が唯一つに決っている。

 抑々宗教(Religion)の原義は「教祖があり、教義があって、戒律のある」ものをいう。日本の神道は宗教ではなく宇宙の理法を説いた宗道である。

 明治政府以降多年にわたる西洋模倣と立身出世に眩惑され、真理、真実を見失って来た国民全体の罪である。

 もとより宗道も宗教も神を人間完成の至高至上の存在として抑ぎ信ずる以上、マックス・ウェーバーの言う「人間の行動要式」であるというべきであろう。その意味では宗道の神道を宗教の規範に捉えて差支えない。そこで神道が日本の宗祀国教として成り立つわけであり成り立てなければならないのである。

 「成る程」と吉田翁は頷きながら「あなたにはもっと早く会うべきであった、本当に残念に思う」

 その時、私はフト10年前の野村翁の事を思い出した。

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  1. 2012/07/01(日) 09:58:46|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:野村茂久馬翁の吉田茂総理への書翰の意義)【続】

 「吉田の権力と戸松の知略」もしあの時2人が結ばれていたとしたら、昭和27年4月27日講和条約発効と同時に、独立国家として成立した時、米製憲法(占領基本法)を放棄し、国家の本質に基づく憲法を制定すべきであったし、3日後の血のメーデーを絶好のチャンスとして戒厳令的革命手段をもって、分裂主義者の敗戦利得者、共産主義過激分子及び馬鹿の一つ覚えの戦略的平和主義者を一網打尽し解体打倒すべきであった、と千載一遇の好機を取り逃がした事を悔いたのである。これを私は岸首相に求めたが川島正次郎官房長官は反対した。

 「戸松さん。私が現役だったら、今直ぐでも先程の貴方の案を取って実行するんだが、残念だ。野村先輩から幾度も電話や手紙をもらい、土佐に行った時にも話を聞いていた。私も貴方のお仕事については色々調べさせてあるので、立派な事業である事も十分知っていた。野村先輩の御生前に会っておくべきであった……このことは非常に大事なことなので、いずれ池田君が総理になる時も近いと思うから、池田君(勇人)佐藤君(栄作)はじめ、出来るだけの議員を集めて、講演して下さい。場所と時間は私の責任で決めますがよいでしょうね……」と言われた。

 後日談であるが吉田先生は、早速池田派代議士の秘書を全部呼んで、プリンスホテルでの講演会の準備をさせると共に「戸松先生は非常に取扱いの難しい人ですから、失礼のないように注意する事です」と念を押したとも言われている。

 この一事をもってしても、吉田元老が戸松を非凡な人物であると印象を深くし、その処遇について注意を払ったものと思われる。

 翌5月10日プリンスホテルで池田勇人を中心とする自民党議員グループに講演する事になった。当日の司会者は鈴木善幸であった。

 多くの議員の中に国家宗教の意義を理解したものは浜田幸雄、灘尾弘吉、馬場元治外数名であった。

 彼がヨーロッパ諸国を歴訪の際フランスのドゴール大統領に会った時、国防軍は自国民をもって編成するもの、憲法は首相の手で指定するものだと諭された。外交問題は常に軍事問題であり、国家には軍事的な背景がなくてはならぬ。

 池田の本心は憲法改正論であった。改正された憲法によって軍事力を持つべきだと考えていた。そればかりでない。彼は原爆をも持つべきであると考えていた。原爆を有せずに軍縮会議の席につく事はできないと確信していたという。

 佐藤栄作首相は、現役を離れ、大倉ホテルに事務所を開いた時、西郷隆秀氏を介して頻りに会いたいと申入れて来た。西郷、柴田、宮原と一緒に私邸で會った時、吉田さんにも言われている事である、10年の借を返すよと言った。懇談中竹下登は恩知らず、人倫を弁えない、あれに政治的責任のある内閣をやらしてはならぬと言っていた。

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  1. 2012/07/02(月) 09:35:08|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:全国遊説)

 第三次全国遊説は9月7日から12月17日までであった。関東各県、近畿各県、中国各県の後九州に入る。

 飯塚駅に着いたのは午前6時であった。弟武男を明治町の静山荘に訪ねたが不在であった。あがり込んで帰宅を待つ事にした。部屋の片隅に机が一つあるだけで家財らしきものは一つもない。やがて楢木野英雄がやって来て駅で擦れ違った事を弁解していたところに松本武義がやって来た。間もなく上山田に行っていた弟も帰って来た。まるで狼のように痩せ、目だけがギラギラ光っている。飯塚を中心とする筑豊炭坑工作に入ったのはこの春である。丁度半歳になる。この時渡した金は旅費を差引いて残り幾らもなかった。機関誌とパンフレットが運動費であり生活費であった。自給自足を原則とする我が団体の財政は志のない者には到底堪えられるものでなかった。食うものも喰わずに闘い続けていたのであろう。何より痩せ衰えた容貌が苦労を物語っている。彼は後輩に立候補(国会)を譲り、兄の私の意見と思想に共鳴して国鉄を退き国民運動に飛び込んで最初は北海道の炭鉱労働組合指導にあたり、後九州労組指導に当たったのである。

 革新者の道は嶮しい。

 生活のために働くのではなく志のために働くのである。

 世俗の名誉、地位、財産を求めず国家民族のため尽し国運を開くのが国士や志士の使命である。

 志が我々の財産である。

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  1. 2012/07/03(火) 09:17:02|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:全国遊説)【続】

 3人からそれぞれその後の活動報告を受け、今度の対策を討議した。半年間の活動で筑豊全山に組織ができ、特に三井田川、山野、住友忠隈、三菱鯰田、上山田、日鉄二瀬には多くの同志ができ活動は活発化し、共産党の一大脅威になりつつある。遠からず共産党と雌雄を決することになるであろうということであった。

 その翌日八幡に出て日鉄の竹内に会い、大牟田の三井鉱山倉田次長を訪ね、打合せ後熊本に入る。東坪井町の永鳥義孝、練兵町の四番地清島翁を訪問、そして、池上町の福田邸に居る療養中の妻登志子を見舞う。2ヶ月間で見違える程の健康回復である。体重も3㎏も増え食欲もあり、気分も爽快であるという。熊本に2日滞在し飯塚に戻り、11日15日武男、楢木野をつれて長崎、佐賀、福岡、大分、宮崎、鹿児島、再び熊本へ帰り、熊本から永鳥義高、高田すず、尾藤しづ女史同行、住友忠隈、日鉄蓋二瀬鉱業所に於て演説会を開き、多くの賛成者入会者を獲得した。飯塚市と福岡市では藤野正人、須藤真一の協力で懇談座談会を数ヵ所で開き宣伝の徹底と組織の拡大を計った。殊に石坂飯塚市長は須藤宅に来て反共工作と組織拡大に関する7項目を提示し協議すると共に実行を約した。

 12月3日3度八幡工作にかかる。松島八幡署長の特別な協力を得て八幡製鉄の組織化に見通しが立つ、彼はその頃まだテレビが普及されていない時代であったが、テレビ時代の来ることを確信し、その方面の進出を計っていた。それだけ警察官としては異質である。彼が我々のために多くの便宜を与えてくれたのは愛国的信念をもった人であったからである。

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  1. 2012/07/04(水) 22:49:05|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:昭和二十六年度以降の活動)

 人の出会い程人生に大きな影響を齎すものはない。

 三井鉱山の倉田興人次長が実兄に当る日立製作所の倉田主税社長に私を紹介した事が、運命を大転換させる事になったのである。倉田社長を知るに至ったのは、或る時緒方竹虎先生に「福岡ではどういう人物と交っているか」と尋ねられた際に、主だった数人の名をあげた。「福岡の藤野正人、飯塚の須藤真一、青柳正寿、八幡の松島剛三、若松の幡掛正浩、大牟田の倉田興人さんたちです」と答えた。緒方さんは「倉田興人というのは日立の倉田主税社長の弟だな」と独言のように呟いた。その時、早速緒方さんに倉田社長への紹介方を依頼した。

 倉田興人氏を最初に紹介した人は北海道の三井鉱山上砂川鉱業所次長の甲賀庄平氏であった。二人は同期の仲であった。

 倉田社長を訪問したのは常盤橋公園の近くにあった日立製作所の仮本社であった。

 その時倉田社長は、「私は技術屋であって、社会運動とか政治活動については全く門外漢であり、また関心もないので、そういう関係の人には会った事もないし、会いたいと思った事もない。唯弟や緒方さんから話があったので会う事にしたのです。

 人は縁によって交り、縁によって結ばれて行くものであると思っている。

 君は労働運動を志して共産主義者と闘っているそうだが、日本は敗戦という大きな打撃と占領という懲罰を受けて苦しんでいる。その上日本の知識階級と労働階級の中に敗戦と占領を利用して自己の野望と栄達を計っている者がいる。彼等を支配している迷信は、民主主義と自由主義である。民主化とは、共産化の事であるという痴言である。敗戦直後の大混乱に乗じて彼等は日本の道統を根底より破壊し去ろうとした。これを相手に真向から立向って闘う事は容易尋常ではない。しかし日本人の中には勇敢な國士が居ると信じていた。

 君はその代表的なものの一人であろうと思うし大いに期待する」

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  1. 2012/07/05(木) 13:18:36|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:昭和二十六年度以降の活動)【続】

 「敗戦の大混乱に陥った時、多くの国民が茫然自失なす術もなく、空白と虚脱状態に這っているその隙間を巧みに捉えた共産党と進歩主義文化人は、我こそ民主主義の使徒だ、我々に反対するものは非民主的で反動だと、絶叫した。赤旗をかついで、デモだ、米よこせだ、人民政府だ、天皇制打倒だ、戦犯追放だ、人民裁判だ、生産管理だ、と騒ぎまわった。恰も占領軍の別働隊であるかの如く振舞った。国民の一部は彼等の煽動をまともに信じた。ジャーナリズムは赤一色に塗りつぶされ、労働組合の過半数は共産党を支持した。何時クーデターが発生し革命動乱がおこるか知れない状態に立至った。

 これは明らかに明治以来西洋模倣による西洋文化と思想の虜と化した日本人の謬れる行動である。幼少の頃から1にも2にも西洋文化を崇拝し模倣した結果日本の本質を喪失し、自国の道統を破壊し否定し抹殺し蔑視するのが文化人であり進歩であると考えるに至った代償である。しかも立身出世というエゴイズムが裏付けとなっているから仕末におえない。

 戦後の国民運動は、日本を誤まらしめた「模倣と立身出世」の2つの中毒によって非日本人となり西欧人となり敵国人となった日本人を叩き直す事からやらねばならないと、22年以降この道をひたむきに進んで参りました」

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  1. 2012/07/06(金) 08:55:06|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:昭和二十六年度以降の活動)【続】

 「日立もストで非道い目に会いました。共産党は極めて執拗に陰謀をめぐらし、戦犯追放を名として大新聞と大雑誌の編集部を占拠し、ジャーナリズムは赤色に塗り潰され、資本家経営者は悪いものとされてしまった。何も知らぬ国民は民主化とは共産化する事だと信じた。彼等は反共的な存在を「戦犯」の名をもって宣伝し、少しでも批判的なものを反動だと攻撃した。陰謀をお家芸とする共産党は自己の行動、宣伝の一切を占領軍の指示のもとにしているように印象づける事に成功した。この状態に気をよくした共産党は思い上り、民主人民戦線の名の下に共産党以外の指導者をことごとく人身攻撃し、戦犯者と罵りおどしつけ、あたかも政権奪取の前夜が到来したかの如く幻想してゼネストによる革命を計画した。彼等の武器はストライキである。これを粉砕しなければ反共にならないと私は堅く信じている」

 私はストライキこそ占領下共産党との決戦場だと帰還以来考えていた。

 「共産党との戦は犬の遠吠や川向いの喧嘩でなく、思想には思想で、暴力には暴力で、組織には組織で対決せねばならない。それにはストライキが最もよい決戦場であると思っております。ストライキは一種の社会の病気ですから、これを健康にする事が医者としてのつとめです。病源をつきとめ、それを撤去するためには手段を選ばない。経済的闘争であればその治療根治は早い。が、マルクス主義的政治闘争になると内服薬では間に合わない。どうしても外科手術を必要とする。
 共産主義打倒の決め手は、その護り本尊となっている「唯物弁証法・唯物史観・剰余価値説・資本主義必然崩壊論」を分析しその欠陥を暴露し、誤謬である事を明らかにする事である。
 唯占領当初、占領の基本政策が、民主化の名により共産党の暴力革命を支持するものであったため、日本の歴史伝統、国体、国民性は抑圧され、これに反し左翼勢力が拡大強化され、一般国民から正当視されている事である。これを打破するには国民的規模をもって啓蒙宣伝に当らねばならないと思います」

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  1. 2012/07/07(土) 09:42:31|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十六 第二回全国遊説:昭和二十六年度以降の活動)【続】

 「私もかねがねそう思っている。まことに力強い事だ。日本の財界人は今財閥が解体され、追放された事を資本主義の解体であり追放であるかのように錯覚しているものが多い。だから一番無気力になっている。
 共産主義を超剋する理論と行動を広く社会に示す事が最も大切な事だと思う。そういう意味で私は、私のできる限りの協力をするつもりです」

 その日倉田社長は、経団連の石川一郎会長と植村甲午郎副会長と、北炭汽船の島田勝之進社長の3人を紹介した。以後共産党、左翼の活動による日本産業の悪化と共に倉田社長との関係は深まり、専従工作要員を各地に配置し組織を拡大する事になった。

 その後倉田社長は、遠山元一日興証券社長、石橋正二郎ブリジストン社長、佐野鉄工社社長、鈴木万平三共製薬社長等の占晴会のメンバーに紹介し協力を計ってくれた。その後私は永鳥顧問と共に倉田社長の紹介する会社を片端から説き廻った。三井鉱山(斉藤)日本電機(猪俣)北炭汽船(島田)日興証券(小宮)日本鋼管(林・肥塚・竹村)ブリジストン(瓜生)三菱電機(高杉)宇部興産(俵田・金谷)5月に入って高杉社長の要請により三菱の菱友会で安岡正篤先生と共に講演し、67社全体を協力態勢に固める日立造船(松原)を説き賛成を得る。倉田社長は三菱の方がまとまったから、今度は三井にかかりましょう、日立関係は私の責任に於て取纒めるという事になった。

 冨士製鉄(永野重雄)、八幡製鉄(三鬼隆社長)大阪久保田鉄工小田原大造社長、名古屋日本碍子野渕三治社長、大阪住友化学工業土井正治社長、松下幸之助社長を小田原久保田鉄工社長が紹介した。

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  1. 2012/07/08(日) 17:38:33|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:ストライキ解決の範例)

 昭和28年1月6日、日立製作所会社倉田主税氏から「日産自動車がストで困っている。この困難なストライキを解決したら社会的に君等の存在が認められる事になると思う。川又専務に紹介するから会って見る気はないか」と申し出があった。

 その翌日川又専務に会った。

 1月11日桜田会館に於いて日産労組批判勢力と会合する事になり、こちらから国乃礎幹部5人(戸松、二村、浅野、柴田、武男(弟)、先方は組合員20人(吉田利弥、宮家等幹部)であった。

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  1. 2012/07/09(月) 02:25:32|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:桜田会館会議)

 会談の内容は総評の最左翼といわれた日産労組をどうしたら健全なものにすることができるかということであった。私は「炭鉱労組のストライキ経験から組合批判勢力を結集して或る時期に新組合を結成すべきである。共産主義者との闘いは倫理と理念を基本にしなければ裏切者の悪名を着せられるおそれがあります。人間性を裏切り、性悪をもって性善を征服しようとする者を打倒することが勝利の要決であります」

 吉田、宮家を中心とする建設派の意見と希望をのみこんだので、我々は早速工作員を配置して行動を開始した。30日には再度彼等日産側と細部に関して打合せ、横浜工場の同志を集め職場フラクの策を立てる吉田等組合員の要請により外部から一般組合に対し5班に分れてチラシを撒布することを取決め、その結果組合がどう出て来るか出方を待った。2月11日寒い日の朝のことである。チラシを撒布している各班に数十名の組合員が押しかけて来て指揮責任者の永鳥大助を組合事務所に引つれ、そこで益田組合長と大論争になり、最後には取組合の格闘となって大騒ぎを始めた。当時の益田は総評に於ても大幹部であり、日産では専制君主の如く君臨し組合を支配していた漢である。その益田を相手に格闘するなどは組合員にとって想像もつかぬことであったのであろう。この事件から私と益田が面会することになったのである。2月28日永鳥が益田の面会申入書を持って来た。そこで早速永鳥を通じて面会の日時場所を打合せしめた。益田は自動車会館を指定して来たが私はこれをことわり、日比谷公園の音楽堂を指定し変更を求めた。変更の理由は自動車会館であったからである。共産主義者等は相手が不利な立場に立つと暴力、恐喝、吊し上げの手段をもって圧迫することを常套手段とする連中であるから益田の指示に従うことはできなかった。結局日比谷公園に決定されたが今度は益田が右翼暴力団と誤解し、恐れて代理を出すのではないか、その場合はこちらも代理を立てて交渉すべく永鳥に案内させて二村と同道したのである。果せるかな益田は多忙を理由に代理を出して来た。

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  1. 2012/07/10(火) 10:15:49|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:桜田会館会議)【続】

 チラシ撒布に気を腐らせた日産の労組幹部外14、5人のものが九段の本部に押しかけて来た。我々本部役員を吊し上げ手を引かせるためであったが丁度私は外出中で居合わせなかった。彼等は5坪とない貧弱な事務所を見てみくびり「君等が2万を超える日産自動車労組を相手とって喧嘩できると思うか、怪我をせぬうちに引下がるのが賢明だぞ」と捨セリフを残して引上げた。

 日産は総評最左翼組合といわれ、共産主義のテストケース組合であるとされていた。組合課長と呼ばれる職場長がおり、職制の課長が生産台数を上げようと係長組長に指示しても、組合から出ている職場長を恐れていちいちこれに伺いを立てねば仕事はできなかった。そればかりでない。部課長等管理職のものであっても益田組合長の招集で組合事務所に集合し、組合長の意見に従わねばならぬという甚だ異常性のものであった。浅原社長が社長であるのか、増田が社長であるのかその実権と機能に於いて区別がつかなかった。職制の部課長から係長組長に至るまで組合の忌意にふれて降職解雇されたものも尠からずあって、主体性のない者は自らの身を守る為に組合の意に従わざるを得なかった。組合幹部は組合の主張が通らない場合、その職場の職制に対し、不信任するばかりでなく徹底的に吊し上げ、妨害し、結局屈服せざるを得ないようにしたのである。この事実を重役陣は知っていても迂闊に手出しはできなかった。ために従業員は会社重役よりも組合幹部を重んずるようになって行った。一方思い上がった組合幹部等は自分らが重役になったかの如く錯覚し、専制的支配を敢て強行するのであった。益田組合長は労組をもって企業管理を実現しようと企んでいたのである。

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  1. 2012/07/11(水) 13:20:07|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:桜田会館会議)【続】

 6月組合の出した要求が不当であるとして会社が賃上げを拒否したため、組合は例によって吊し上げ、職場放棄、ストなどにより攻勢に出たので、会社もこれに対しロック・アウトで対抗した。わが団体もこれと呼応し、吉田・宮家等を中心とする批判勢力と提携して益田等共産勢力との戦端を開始した。全オルグを招集して会議を開き具体的工作について協議した。対策本部を横浜におき、吉田・宮家派は職場フラクの徹底化を計り、わが方が外部よりの攻撃をかけ批判勢力の拡大を計った。批判勢力の尖兵24名とわがオルグ団16名とは毎夜末広旅館において会合し、対策を協議した。

 かくして8月14日内部からの要請もあり策戦会議の結果、組合執行部乗取り計画を実施することになり、地方から150名の精鋭を招集し、これを10班に分け、各班は班長の指示に従って行動することを申合せ、トラックに分乗して日産自動車労組に向って行動を開始した。先頭の車には交渉委員の戸松武男、柴田哲男、坪井善人、楢木野英雄、野崎信正の5人が乗り、3台のトラックには各地より集り来たった支部旗23本を翻して堂々と進んで行った。

 日産労組前に到着するや全員下車し一団となって労組の建物を包囲し、交渉委員5人がスト解決案をもって組合本部を訪れ、これを手交すると同時に回答を求めるという強硬手段をとる挙に出た。回答のいかんによっては門外に待機している一団が中央突破して組合本部を占拠し、増田組合長等幹部の不当なる共産党的職場管理方式を粉砕阻止する計画であったから勢が強烈である。この場合もし万が一にも数千の組合員及び応援にかけつけてくる総評系他組合と激突した時は巧みに撤退するが、われわれの狙いはあくまでも組合執行部とその代議員である。一人が一人宛格闘して警察の介入と検束により組合を空家にし、その間隙に吉田、宮家等が新組合を組織して組合を占領し、スト終結させる考えであった。唯問題は格闘が長引けば双方に怪我人(死傷者)が出て刑事問題に発展するおそれがあるという事であった。それには事前に警察に通告しておく必要がある。そこでその前日私は警視庁を訪ね、原文兵衛部長に会い事の次第をかいつまんで説明した。もとよりこれは頼んだり頼まれたりするべき筋合のものではないから私は一策を講じた。

 「私は今日貴方に頼みに来たのではない。暫の時間ここで私の演説を聞いて下さい」と前置をして明日の行動を説明し、素早く両者を全員検束することを物語った。取調べ方は我が方から手をつけ、組合の取調べは留置後を願い、その間に我が方は新組合を組織する。そして最後に「明日は原文兵衛の胆を見せてもらいます」と言って帰った。

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  1. 2012/07/12(木) 10:38:33|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:組合執行部乗取り行動)

 我々が日産工場に行く途中に既に横浜警察は待機していた。

 私は原文兵衛の人柄をそこで見た。

 心の中で感謝しつつも、頼み頼まれたものでなく、情報に基づく対策でありあくまで胆と胆との問題である。

 これは西洋の合理主義を超えた東洋の美風である。

 法律万能主義は人間と法律を逆転させ却って法律を行詰られ硬化せしめてしまうおそれがある。

 その点昭電事件を取扱った藤田次郎とか原文兵衛は六法全書の虜ではなかった。

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  1. 2012/07/13(金) 19:58:21|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:第二 旭ガラスのストライキ介入)

 日産スト・炭労企業整備スト、これと相前後して旭ガラスのスト、八幡製鉄の左翼組合不信任活動が同時期に発生したため、勢力を分散して対処した。

 旭ガラスのストは規模において日産の比ではなかったが、直接行動や暴力行為が多く、しかも新旧組合に我々の同志が居ったためその調停に一方ならぬ骨を折った。

 唯我々の任務は外部より煽動する共産党との対決であって、2ヵ月余に亘るストライキの間、共産党をバックとする組合員の妄動を阻止して一日も早く労使の間に団交を開くよう活動を続けた。

 指導の中心は戸松武男、下田孝尚、楢木野英雄、小田友平、有村光司等が当った。

 ストライキは我々の希望する方向に進み解決した。

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  1. 2012/07/14(土) 11:27:12|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:第三 三菱長崎造船所)

 丹波周夫社長が労働者の中に唯の一人でもよい、会社経営の苦しさを知ってくれる人居らないものだろうかというので、人のやったこと人にできない事はないということでスト解決を引受けた。

 オルグ3名を配置し、日夜工作した結果3年で9対6となり4年目14対1となり、組合を掌握した。

 古思誠・宮原武志・芳賀京助が担当した。

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  1. 2012/07/15(日) 12:59:06|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:第四 八幡製鉄組合執行部の掌握)

 八幡製鉄左派勢力を駆遂して組合の主導権を握るための闘いは3年前に遡る。

 元組合の書記長をしていた小田友平をオルグとして批判勢力を固め、多数を確保した。

 この小田を中心とする八幡オルググループが先ず八幡製鉄独身寮従業員組織をつくり、全組織をあげて職場フラク活動を展開し、組合執行部を乗取る態勢を整えるための長期に亘る事前工作が物をいい、代議員大会を開く迄になった。

 大会の席上、小田が組合執行部不信任案を上提し可決せしめた。

 小田が爆弾宣言を発するや独身グループが相呼応して側面攻撃を開始し、右派勢力がこれに擁護射撃を加えたため、執行部の一人々々に命中し左派勢力は総退却せざるを得なかった。

 これによって右派が執行部を握り総評脱退するまでに漕ぎつけたのである。

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  1. 2012/07/16(月) 10:18:45|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:第五 石炭鉱業の企業整備闘争)

 丁度その頃炭鉱界は企業整備反対ストがおこり、北海道と九州に勢力分割し炭労の背後にあって支配する共産党と闘いをやらねばならなかった。彼等が共産党に欺され春秋のスト行事は自ら墓穴を掘ることになった。「賃銀値上げはコスト高となり、石炭消費者は安い外炭又は石油に切替えることになる。生産と消費のバランスを保つためには、自然、企業整備による従業員の縮小を計らねばならない。36万炭鉱労働者は24万に減り、出炭量の総生産5千万屯が4千万屯に減少したのは何よりその事実を証明している。炭労はこうした事実を少しも考慮することなく、総評共産党の命令を忠実に守りストを年中行事として来たため行詰りを生じたのである。彼等は労組の敵は資本家ではなく、石油と外炭が労資共同の敵であることを見落して来た。この強敵の侵入を防ぐためには労資一体となって共同行動をおこさねばならなかったにも拘らず、階級闘争という病におかされ敵に包囲攻撃を受けながら尚内部闘争に終始している。恰も獲物を追う猟師山を見ずという言葉がある通り、目前の餌に目を奪われ、全体を見通す綜合的判断のできなかったところに企業整備という社会的制裁を受けることになったのである。これは全く身から出た錆であり階級闘争思想に眩惑され自から墓穴を掘った結果によるものである」

 このチラシを北海道空知郡夕張郡の全炭鉱及び九州筑豊三池と長崎炭鉱労働者に配り、階級闘争より離脱し、産業労働者の自覚を促し、経営協議の道を選ぶべきであるとその指導に当るオルグを新たに北海道と九州にそれぞれ5名づつ増員し、労働組合の批判勢力拡大強化に当らしめた。

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  1. 2012/07/17(火) 10:46:33|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:第六 東京証券取引所)

 これは約1ヵ月で解決。

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  1. 2012/07/18(水) 10:10:30|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:第七 三井三池鉱業所)

 これは業界最大にして最長期間に亘ったがオルグ5名の日夜の活動で反共組織ができ解決した。

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  1. 2012/07/18(水) 10:13:23|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:第八 近江絹糸)

 夏川社長は解決策を受入れたが西村副社長全面的反対で手を引いた。

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  1. 2012/07/18(水) 10:15:11|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:第九 日本製鋼所ストライキ解決―昭和二十九年)

 炭鉱企業整備闘争各鉱(十社)調査の帰途、室蘭日鋼ストが既に4ヵ月の長期間続いているので、スト見舞のため9月15日私と二村は室蘭に立寄り松本旅館に宿泊、会社に電話すると間もなく東京本社の三宅労働部長と丸山課長が宿に訪ねて来た。スト発生からロックアウトまでの状況を丸山課長が精しく説明した。そして「昨日日産自動車ストを解決した貴方がたの立場から見て、このストライキを解決する方策ありませんか、見通しや対策があったらお聴かせ下さい」

 二村が「組合の批判勢力の指導級に会ってみたいですね」「それは明日にでもお会いできるようにいたしましょう」その時まで黙々と控えていた三宅部長が私に向って「一つ力になってくれませんか」「一旦スト解決に介入した以上逐一相談の上統一ある解決方法をとること、相手は共産党総評の謀略部隊指導下の組合ですから、当方も会社と後援部隊の我々と常に一体でなければ火消しはできません。纒持は生命がけでないとできないものです。その胆構えはできておりますか」「そういう意味で貴方がたに是非お願い致したい。相手は総評と共産党ですから。私共は今日札幌で会議がありますから出張致しますが帰る迄ここに待っていて下さい。明日中には帰って来ますから具体的打合せはそれからに致しましょう」といって三宅部長と丸山課長は札幌に出発した。―中途省略。会社幹部会議の結果結局争議解決に当ることになった。

 ストライキ解決行動中、永鳥は日産自動車労働組合の応援を求める必要を感じ横浜に出張説得に当った。新労応援の第一陣日産自動車労組13名は熱烈な歓声で迎えられ、永鳥を含む13名は連日宣伝車で半月間宣伝、社宅座談会、共産党の謀略批判、工場間での講演会を開いて激励し、多大の効果をあげ10月5日、日産勢力の引揚げた後、今度は國乃礎(大和党)全国会員幹部49名が新労応援、それぞれ両組紹介し合い新労の幹部は感激にむせんでいた。

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  1. 2012/07/19(木) 09:29:35|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:第九 日本製鋼所ストライキ解決―昭和二十九年)【続】

 スト開始以来130余日(約半年)遂に妥結を見た。

 「指名解雇(900人)を撤回し、希望退職(785人)労資双方協議の上決定する」

 「今度の争議のため会社は64億円赤字を出し、謝礼の余裕が全くなく、取敢えずこれだけをお収め願い度い」謝礼金30万円を差出した。

 「とにかく30万円とっても100万円、1千万円、1億円とっても金をとったことに代りはない。乞食の取扱はやめなさい」

 この話をどこで聞いたか2、3日後護国団の佐郷屋会長が訪ねて来て「室蘭ではよい仕事をしたね、而し会社は金を出さないそうだね」「64億円赤字を出しているので今はまとまった金を出せないというのだ」「それでは何時出すというのかね」「そのような話は全然ありません」「それはいかん。手形でもとっておかなければ駄目だ。俺が交渉に当ってやろうか」「それはいけませんよ、脅迫になるから」「上手に脅迫しなければ金はできないものだ」「脅しは私の性に合わない」「そんな上品な態度では君は一生貧乏するぞ。会社という代物は義理人情や道義の通ずるところでない。利害以外に通用しないのだ。彼らは咽喉もとすぎれば熱さ忘れる類だ。その場で取抑えなければ駄目なんだ」と佐郷屋はあくまで手形を主張した。ところが資本主義(会社)は利害と競争しか知らない体質の存在であることを知った。新谷社長は辞職し、重役も間もなく代り、直接関係のあった三宅部長も丸山課長も他社へ移り、交渉相手は一人も居らなくなった。佐郷屋先輩の忠告通りであった。

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  1. 2012/07/20(金) 08:55:31|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十七 日産自動車・日本製鋼所・大企業三井・三菱・住友・日立ストライキ解決:倉田日立社長経団連動員大会)

 室蘭の日本製鋼所ストライキ解決した翌年、昭和30年1月6日午後1時、株式会社日立制作所倉田主税社長が都下に於ける大企業会社社長を日興証券丸の内ホールに数十名集会せしめ、戸松國乃礎会長の講演を計画した。

 演題は「共産党の欠陥」「ストライキ解決の手段方法」「総評対策」であった。

 講演後、國乃礎工作指導者300名を全国各企業界に配置することに決議される。

 ところが政界財界との接渉は今後安岡正篤が引受けることになり、2ヵ月後三国一の花嫁をつれてくるからということで2ヵ月待った。

 ところが財界の陽動を知った岸信介総理と安部源基(鈴木終戦内閣の内相)は安岡を説いて全右翼連合の新日本協議会に化けてしまった。

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  1. 2012/07/21(土) 10:42:22|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十八 ソ連大使館襲撃事件:日ソ共同宣言批准反対闘争)

 抑々このソ連大使館襲撃事件なるものは、アメリカのルーズベルト大統領が、スターリンとヤルタ会談の際、大東亜参戦してくれたら、千島樺太北方漁場及び満州国日本人財産全部引渡しすると約束した結果、ソ連軍が翌年4月まで有効な不戦条約を無視してソ連国境を突破して終戦直前8月9日より15日までたった1週間の戦闘によって奪ったものである。帝国主義侵略主義の点よりすれば米ソ両国の国際犯罪で、ルーズベルトは蔣介石に対し沖縄を興えようと申し出たが、蔣介石は拒否した。

 昭和31年10月19日日ソ交渉妥結し、日ソ共同宣言が調印された。それにより1.戦争状態の終結。2.大使交換。3.抑留者送還。4.漁業条約の発効。5.国連加入の支持。の5条件は実現され、平和条約は継続交渉となり、平和条約締結後にソ連はハボマイ、シコタンを引き渡すということになった。

 11月12日から開かれた第25臨時国会で日ソ共同宣言の批准が可決されようとしていた。これを阻止せんとする動きは反共勢力、在野団体のみならず、政界学界財界にもあったのである。10月下旬安岡正篤先生及び政界の有力筋から國乃礎戸松に会談したい旨の連絡があった。池田勇人、千葉三郎、池田清等秦心会のメンバー36名の議員が議事堂近くにある「湖月」に集って会議を開いた。この会談で決定された事項は次の4つであった。

 1.院内の反対勢力と院外に於ける反対勢力が互に緊密なる連繫を保ち相提携して日ソ共同宣言批准を国会で一応阻止する行動をとる。

 2.衆議院通過を11月16日と想定し、12日から行動を起し、16日決戦する。

 3.院内活動を活発化するため同志の議員は院外特別行動隊を1人1名の割りで院内に誘導し、行動拠点に配置する。

 4.行動は一切秘密とし、不測の事態が発生しても類を他に及ぼさぬためあくまでも院外団体の責任として処置する。その指揮を戸松がとる。

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  1. 2012/07/22(日) 09:45:34|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十八 ソ連大使館襲撃事件:日ソ共同宣言批准反対闘争)【続】

 大要以上の申し合せが行われ、この特別行動は秘密裡に運ばれ院内活動要員は重大任務を与えられた。議員の要請はチラシを傍聴席から議場に撒布し混乱をおこさせると共に国民の抵抗を院内外に知らしめるというところにあった。が私の計画は議員と異っていた。腹心の同志柴田哲男、葛西誉の2人に命じ議場の扉や通路を予め調査しておき、頃合を計って院外に待機している行動隊600名に対し院内入口でハンカチを振って合図する。行動隊の指揮者は間髪を容れず行動隊を動員、猛スピードで柴田、葛西に案内に従って議場に乱入し、政府席を襲撃して議会を混乱化する。私がこの計画を立てたのは、去る10月19日日ソ交渉の際ソ連の首相フルシチョフが鳩山一郎、河野一郎等日本代表に対して恫喝した精神と態度に対し反撃を企てなければ意味がないと思っていた。フルシチョフの恫喝言は、

 1.復讐心を持ってはならない

 2.賠償はとらない

 3.敗者は勝者に従順であれ

 この日池田勇人氏は自由民主党脱党届を懐にしていた。その決意は同志を勇気づけたが短慮であると安岡正篤先生に嗜められ脱党届は安岡が預かった。

 終戦の前アメリカのルーズベルトがスターリンにヤルタで取引し、参戦すれば千島樺太北方漁場、満洲国日本人財産全部引通すと約束した。たった1週間の日ソ戦闘で終戦処理を誤って失敗したのが今日の日ソ間の問題となっていることを米大使館にぶつけたのである。

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  1. 2012/07/23(月) 06:00:00|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十八 ソ連大使館襲撃事件:ソ連大使館〈代表部〉乱入)

 日比谷公園より長蛇の列を組み600人のデモ隊が麻布狸穴のソ連大使館に向かった。

 時ならぬラドウスピーカーが咆吼し、大使館の門前で大群衆が声高らかに騒いでいるのを見て、附近の人も駆けつけて来た。

 たちまち黒山の人だかりとなった。

 空気は次第に険悪さを加えて不穏になって来た。

 館の2階の窓から数人のロシア人が嘲るように見下ろしている。

 これに余計刺激を受け憎悪を感じた群衆は、口々に「代表を出せ」「責任者を出せ」と鉄扉に手をかけ「ワッショ、ワッショ」と揺さ振り始めたのである。

 扉はギイーギイーと音をたて少しずつ歪み出した。

 集団の威力というものは恐ろしいものである。

 頑丈な鉄門扉を破り乱入した。

 600人のデモ隊から成る集団の威力で鉄門を破り、乱入玄関を破り火を放って壊滅せんとする反蘇行動は、民族的一つの仇討であった。

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  1. 2012/07/24(火) 06:00:00|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十八 ソ連大使館襲撃事件:裁判闘争ソ連大使館事件)

 この間に、前年におこったソ連大使館乱入事件に起訴された私、坂本、野崎3名の裁判が行われていたのである。そして最終審理は満1年後の11月17日東京地裁2号法廷において、開かれた。前日の16日正木弁護士が本部に訪ねて来て「明日は私が誘導質問をするから、その時、唯ハイそうです、ハイそうですと繰返して下さい。決して反論したり、検事判事の心証を害するような言葉を吐かぬようにして下さい。そうすれば実刑判決はなく執行猶予で終ると思います」と懇に注意し申し合せて帰った。

 当日10分前3人は法廷に入ると、速記2台、テープ・レコーダー1台が据えられているのを見た私は、これまで7回の審理中1度も見なかった光景であるので不審に思った。

 「これは何んですか」と事務官に質した。

 「国際的事件の裁判ですから外交特権をもつものではないが、一言一句、一挙手一投足、歴史的な意義をもつものであるので裁判官も慎重を期しているのです。そのための記録器具です」と答えた。

 これは別の外重大なので。弁護士との約束など問題でない。今日はソ連との闘いであると決意し開廷を待った。私にとって起訴事実の暴行傷害、住居侵入、公務執行妨害による刑量などはどうでもよい。この法廷で何故このような事件が発生したかを明確にせねばならないと考えた。

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  1. 2012/07/25(水) 09:02:20|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十八 ソ連大使館襲撃事件:裁判闘争ソ連大使館事件)【続】

 午後1時開廷、型通りの人定尋問から団体経歴陳述が行われた後、正木弁護士が「大会で宣言・決議が採択された後、貴方は挨拶をなさいましたが、その内容は供述書にもあるようなものですか、また批准阻止をしなければならないとお考えになったのはどのような観点からですか」と供述のチャンスを与えた。ここまでは昨日の打ち合せ通りであった。これが済むと例の誘導による「ハイそうです」が行われる筈であったが、ここから戸松ペースで進んで行った。

 「大体供述書の通りであります。特に本件と重要なる関係をもつ重大な背後関係について説明しないと、私たちがこの運動を起こさねばならなかった理由がはっきり致しません。その点に関して暫く時間を与えていただきたい」

 正木弁護士は私の申出に顔を歪めたが、すぐ諦めたらしく裁判長にその旨を伝え許可を願った。河村裁判官は左右の判事と語らい合意の上許可した。

 そこで戸松は「この事件は計画はもとより予期も予想もしなかった事件である。我々の運動目標は、あくまでも『日ソ共同宣言批准』阻止反対を盛り上げることと、国会に於ては中風病の鳩山首相を除き河野一郎農相を始め、これに賛成する閣僚及び議員に対し徹底的圧力を加え、あくまでもこれを阻止せんとするところにあった。故に本運動は、11月12日を手初めに16日議会を通過する直前、既に朝から議会参観に入っている20名のうち代表が、頃合を計って出入口に来てハンカチで合図し、今か今かと待機している大和党(國乃礎)集団二百数十名が、兼ねて調べおいた通路を通り議場に乱入し混乱に陥れ議会の機能を停止するにあったのである。これを秘密にしていたため本部計画を知らぬ地方代表が不満不服をソ連代表部(大使館)で爆発させ、思いがけぬ事件となったものである。芝居が舞台上で演じられる前に観客が昂奮し仇役を憎むのあまり花道に飛上って劇中劇を演じたような結果となったわけである。が、しかしこの事件はお客に行って縁側から小便をした程度の無作法であるに過ぎない。

 然るにソ連は日ソ交渉に当って、①賠償はとらない ②負けたものは勝ったものに従順であれ ③敗戦国日本は復讐を企図してはならない ④戦犯者(抑留者)を釈放する、とフルシチョフは厚顔無恥・傲岸不遜にも放言した。

 これに対し、半病人の鳩山と才人の河野は寛大な条件であると涙を流して感謝したと聞くが、彼等は国家の代表である。普仏戦争の時の敗者カンペンターの如く『他日時と所を変えフルシチョフの教訓と言葉をお返しする』と何故言わなかったか。ソ連の恫喝外交に屈従して共同宣言に署名したことは国家国民及び戦没者に対する冒瀆である。

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  1. 2012/07/26(木) 15:49:52|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十八 ソ連大使館襲撃事件:裁判闘争ソ連大使館事件)【続】

 我々がソ連に対して言わんとするのは、先ず第1に、昭和20年8月6日、日本政府がポツダム宣言受託を決意し、中立国のソ連に日米の仲介の労を依頼すべく、当時の駐ソ大使佐藤尚武をしてモロトフ外相に斡旋を依頼せしめ、終戦に至らしめようとしたにも拘らず、6日回答なし7日8日回答なく、無回答のまま9日未明、翌21年6月まで効力を有する日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、ソ満国境を突破して怒涛の如くわが満領に進撃し来たったのである。剰え70万の関東軍将兵及び30万の非戦闘員の在留邦人をシベリヤに拉致し、強制労働に使役し、17万6千人余を凍死及び栄養失調で殺害しているのである。

 第2、賠償をとらないと豪語しているが、たった6日間の戦闘で満洲にあった当時の日本人財産20億弗(現在では3千倍)を奪い取り、更らに終戦1ヵ月後千島(十八島)、南樺太、北方漁場を侵略強奪し、100万の捕虜に無償労働等々人類史上にもかつて見ざる賠償を奪い取っている。更に不可解なことは、革命以来ソ連は帝国主義反対、植民地獲得反対、侵略主義反対を世界に宣言し、資本主義国家を非難して来ておりながら、(人口密度1平方粁ソ連は13人、日本はその20倍の240人、その領土資源に恵まれぬ)日本から千島樺太北方漁場を奪い、アジア及びヨーロッパから27万平方粁の領土を奪い掠めている。

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  1. 2012/07/27(金) 14:49:51|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二 戦後の國民運動(十八 ソ連大使館襲撃事件:裁判闘争ソ連大使館事件)【続】

 第3、戦敗国は戦勝国に対して復讐を企ててはならぬと言っているが、スターリンは日本の敗戦を見、これで日露戦争の復讐ができたと叫んでいるではないか。この言葉が何よりも復讐を物語っている。フルシチョフは自ら語るに陥たりである。(このあたりは恰もフルシチョフを眼前に於いて対決しているかの如く手を掲げ、証言台を叩いて迫った)

 同一文明線上にあって生存競争に駆り立てている国家と国家とが、勝ったものは正しく負けたものは正しくないという思想自体が大きな誤りであり不正にして不善である。人類は古代中世近代に至るまで一貫して力万能であり、生存競争弱肉強食であって、道(神・人道)の尊厳を認めるに甚だ吝であり、無知無力にして野蛮である。道を立て神の審判の下に勝者も敗者も共に裁き裁かれてこそ文化進歩の歴史と新時代が開かれるのだと信ずるものである。


 第4、抑留者の釈放の問題である。国際法に違反し、戦時捕虜規定に背反して数年の間強制労働を強制したことに対する補償、17万6000人の死亡者に対する補償を提起した上釈放を要求すべきであった。

 繰返していう。たった6日間の戦闘で而もソ連が一方的にソ満国境を突破し侵略攻撃を加えながら、日本を侵略国戦犯者であるなど、強盗殺人の掠奪者が被害者を強盗殺人だと罵り、強姦者が被害者を強姦者であると罵るような不可解な議論である。これは国際的にも人道上からも許し難い大犯罪である。にも拘らず、何人も何の国もこれを裁こうとしない。法の概念が国際的に共通であるならば何故に国際裁判に於いてこれを裁かないのか、これ程の大罪を放置しておくことは人類の恥であるのみか、数千年来の人間の進歩を否定し無視するものである。敗戦国(弱者)の倫理は正義と反抗である。我々は野蛮にして非人道国ソ連に対しての反抗と正義を貫くための行動をおこしたのである。この正義と反抗を、そしてこの私を、裁判官!!

 日本に私(戸松慶議)を裁く法律があるか。2千年の昔亡国ユダヤのイエス・キリストは裁かれ十字架上で刑死したのは33歳の時である。そのキリストを裁いた裁判官は今日尚裁かれているに比し、裁かれたキリストは爾来今日に至るまで神と仰がれている。ソ連の大罪を肉弾をもって裁いた我々を重罰をもって報ゆるならば裁かれた我々は日本歴史上神と仰がれ、裁いた裁判官とソ連スターリン、フルシチョフは永久に裁かれることになるであろう。人生は勝負である。そしてその勝負は歴史の上で決すべきものである。而し六法全書の職人たる法務官は職務忠実遺憾なく刑を打て!!私は今被告の身でありながら、人類史上最も悪質な犯罪を侵したソ連と卑屈にして卑劣なる日本政府の卑怯者を裁いているのである」

 と叫んで裁判官に一礼して私は着席した。かくて検事の論告となった。いよいよ求刑の部分に差しかかるや検事はぶるぶる小刻みにふるえ出した。その様子を見るや私は立上って怒鳴った。

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  1. 2012/07/28(土) 08:47:41|
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