いしずえ

第一巻春雪の巻

媒妁人としての安部磯雄先生

 安部先生と縁談

 わたくしが安部先生にお眼にかかったのは、昭和十六年十二月六日、真珠湾攻撃の二日前であった。知人の米倉夫人が「安部さんは御夫婦とも有名な偉い方だから、登志子さんも一度お会いしときなさい」といって、小石川の江戸川アパートへ案内してくれた。政治とか思想とかに無関心であったその頃のわたくしは、先生が日本における社会主義の先駆者であることなど、全く知らなかった。ただクリスチャンで、稀に見る人格者であるということだけが、唯一の魅力であった。

 先生のお住居は、四階にあった。玄関で声をかけると待ちかねていたようにこまを夫人が出てきて、満面をくずして「さあさあ」と次の部屋に案内して下さった。まるで親類の娘でも迎えるような気軽さに、わたくしはつい先程までの緊張感からすっかり解放された。

 「ふかしたてですから、直ぐ召上って下さいな」

 米倉夫人は手土産の包みをあけた。それは五箇程のさつまいもである。

 「まあまあ、何時も気をつかって下さって……」

 夫人はそれをおしいただくようにしてから、襖を開けて隣の部屋に声をかけた。

 「おじいちゃま、米倉さんがいらっしゃいましたよ」

 おじいちゃまは、今ベットから下りようとしているところである(先生は毎日時間をきめて散歩とお昼寝をしておられることを後で知った)。ぐるっと家の中を見廻して、わたしはさっきから驚いていた。何という質素な生活であろうか。応接室になっている部屋は六畳で、片方の壁に天井までとどくような大きな本立が二つ並んでいて、書物がぎっしり詰っている。窓ぎわに小さな応接セットが一組(テーブル一箇に椅子二箇)ある。ただそれだけである。隣の部屋は八畳らしく、半分は大きな寝台に席をしめられ、ほかには洋服ダンスと机があるのみ。玄関の裏側が茶の間になっていて、部屋はそれだけである。

 これが多くの人の尊敬と信頼を集めている有名人の住居?若いわたくしには何んとも当の外れたような思いであった。

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  1. 2013/10/01(火) 10:18:48|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 先生は部屋に入って来ると「いらっしゃい」とひと声いって、ゆったりとした態度で椅子に腰をかけた。左のまぶたは重く垂れ下って眼をおおっていたが、右の眼は深く叡智にみちた権威者のそれであった。木綿の着物をきちんときて、真直ぐに上半身を伸ばしたままじっと見下された時、わたくしは、はじめて「この老人は素晴らしい」と思った。

 たんたんとして何の飾り気もなくそこに坐しているだけなのに、その姿を見ていると、自分の心がだんだん高貴になっていくような気がした。それはわたくしが憧れている超俗的な枯れきった人間の姿であった。わたくしは数年来、キリスト教会を転々として歩き、どの牧師にも失望していたところであった。キリストには限りない憧憬と尊敬を抱きながら、とうとうクリスチャンになれなかったのもそれに原因がある。わたくしは先生を見上げながら、ただ一度会ったことのある賀川豊彦先生を思い出していた。わたくし自身の直観では、安部先生の方がはるかにすぐれているように思えた。

 お茶とお菓子と、さっきのさつま芋が出た。腰の曲った老夫人が運び出してくるのであるから、お茶一つ出る迄なかなか時間がかかる。

 先生は「おいしいね」と一言いって黙々と芋を食べ、夫人同志はにぎやかにおしゃべりをはじめた。世間話から、段々にわたくしの身上話に移っていった。郷里のこと、父のこと、母のこと、兄弟のこと、米倉夫人は知っている限りのことを雄弁に語った。そして時々わたくしに話しかけては、いろいろ答えさせた。そして「いい娘さんでしょう?」としきりに安部夫人の同意を求める。

 夫人同志の話が一通り終ったところで、先生は真直ぐにわたくしの顔を見ていわれた。

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  1. 2013/10/02(水) 09:39:19|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「わたくしが親しくしている青年がおりますが、この青年に適した娘さんをわたしはずっと前からさがしていました。この青年のお父さんにも頼まれていましたのでねえ。この青年は高い理想をもっていて、それに向って激しく突き進んでいく男ですから、安易な生活を望んでいる都会の娘さんにはどうも向きません。この前、米倉さんから貴女のことを一寸ききましたので、お会いしてみたいと思いました。わたしは無理にはすすめませんが、まあ話だけはきいて下さい」

 さすが世話にたけた米倉夫人である。ここまでの運びは実に巧みであった。私は何らぎこちない思いもなく、縁談を直接受ける身になってしまった。

 「わたしは大学教授をしていましたから、多くの学生を見てきました。しかしこの青年ほどわたしの印象に強く残った者はおりません。議論がとても強くて、彼と議論したとしたら、勝てる学生はいなかったでしょうね。頭もよかったが、何といっても意志が強いですからねえ。どんなことでもやりぬいていくだろうと思います。わたしは珍しい人間だと思って期待をかけていますので、お嫁さんもこれならばと思う人を選んでやりたいと思っているのですよ」

 先生の話をきいている中に、わたくしは見たことのないその青年に、そくそくと敬愛の念が湧き上ってくるのを感じた。こまを夫人が、こまごまと彼の姓名、年齢、風貌、家庭のことを話し出した。まるでここまではわたしがいうから、それから先はお前がいいなさいと、示し合わせてあるかのような自然さであった。

 彼の生家が東北の能代在にあること、お父さんが二十年前から病身で働けないこと、しかし人物は田舎には珍しい人であること、お母さんは黙っているが好人物らしいこと、小さい弟妹が沢山いるので苦労が多いかも知れないこと、それに彼が上海の派遣軍司令部に属していること等々で、具体的条件はちょっとしりごみしたくなるようなものであった。わたくしは少し不安になってきた。

 先生はそれを感じとったのであろうか。「家庭的な事情は複雑ですが、彼はそんなもの一つ一つ克服していける男ですよ。実に情が細かく、親切でしてねえ。絶対に妻を不幸にする人ではないと思います」

 先生は口元に笑みを浮かべつつ、彼がいかに規律正しく清潔な人間であるか、男には珍しい細やかな愛情をもっているかを、例を挙げて説明した。夫人も彼に案内されて、東北の温泉や彼の生家をめぐり歩いた時の思い出をなつかしそうに語った。それによると、彼の行届いた行ないは、女のわたくしでさえ真似の出来ないことに思えた。老齢の米倉夫人は、眼鏡をあげて涙をふいて感激している。

 「まあまあ、登志子さん、あんたは仕合せ者だわ、いい人にめぐり会えて……」

 若かったら自分がお嫁に行き度いような感動ぶりである。

 安部先生のような人に、それほどまでに期待をかけられ、信頼を受けている青年……。もう彼の経歴や家庭事情などどうでもいいことであった。安部先生に保障されたということは、神に保障されたのと等しいことだと思った。

 「先生、おねがい致します」

 その場で私はこの縁談を受諾した。

 「いやいや、家へお帰りになって、お母さんやお兄さん方と相談してから御返事いただきましょう。結婚はみんながよろこんでまとまるものでなくてはいけませんからね。無理はいけませんよ、無理はね」

 先生は笑いながらいわれた。

 「御返事いただいたら、さっそく写真と履歴書を上海に送らせてもらいます。あちらの方では、すっかりわたしにまかせているのですが、一応報らせてやりませんとね」

 米倉夫人は、すっかり話がきまったように上機嫌で、式場はどこそこがやすくていいとかと話していた。この二人の夫人が話し合っている様子は、ちょうど仲のよい姉妹のようであった。

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  1. 2013/10/04(金) 10:45:58|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 母の反対

 わたくしの長兄はその頃陸軍士官学校で物理の教官をしていた。東京・練馬区に官舎があって、佐官級の教官がずらりと並んで住んでいた。

 翌日、この長兄のところで親族会議が開かれた。親族といってもほとんど郷里にいるのだから、まあ肉親だけの会議である。

 母は安部先生に会ったこともないし、先生についてはわたくし以上に何も知っていなかった。わたくしのいうことを「それは仲人口というものだ」といちいち否定した。母にとって一番大切なことは、わたくしが意にかけまいとしている彼の家庭状態や仕事のことであった。母は大勢の小姑の間でさんざん苦労した苦い経験をもっていた。それに郷里は秋田、行くところは上海、とんでもないことだ、一人娘をそんな遠くやれるものでない、と絶対に反対の立場である。

 ところが兄達は違っていた。

 「その男、面白そうだなあ。兄弟の中に一人位そんな奴がいた方がいいよ」と長兄がいった。

 「安部さんが太鼓判おしたら、絶対大丈夫さ。安部さんがそれほどいうなら、よっぽどえらい奴だよ」

 三番目の兄がいった。この兄は講談社で、雑誌「現代」の編輯をしていた。彼はジャーナリストだから、先生のことは詳しく知っていたらしい。

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  1. 2013/10/05(土) 07:15:01|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 わたくしの家では父が早く世を去り、母が一切の権力を握って、郷里(島根県)と東京の間を往来していた。この母の怒りを買うことはちょっと面倒なことになるので、兄達も積極的にはすすめなかった。

 母はわたくしに断念させる為にもっと良い縁談を探さねばと思ったらしい。さっそく京都にとび、甥の内垣(母の姉の長男)に相談した。彼は京大の後輩である技術家を母に紹介した。ところが、わたくしの写真を見ただけで先方は乗気になってしまった。内垣とは知己の間であるし、わたくしの兄と弟が一高、東大の秀才コースをあるいているというただそれだけで十分だというのである。わたくし自身は完全に無視されている。母は踊り上らんばかりに嬉しかったのであろう。ジャンジャン電報をよこして、式は年があけてからにするが、まず一度会いに来いというのである。もちろんわたくしは行かなかった。反対に写真と履歴書を持って安部先生宅に行った。

 「母は上海に行くことをあまり好まないようですが、兄弟は皆大賛成です。あらためて誰かおねがいに上りますが、わたくしからもお願いいたします」

 その時も先生は「大丈夫ですか。無理はいけませんよ」と念をおした。

 「写真が上海についたら正式に承諾の電報が来るでしょうから、そうしたら結納ということにしましょう」

 ところが、待てど暮らせどその電報は来なかった。京都の母から、カンカンに怒った手紙が来るだけである。あんまりうるさいので病気だといってやった。

 年もおしつまって、母は式の約束までして帰って来た。上海から返事がくるまで、母にさからうまいとわたくしは思った。しかし年があけて、十日過ぎても梨のつぶてである。わたくしはジリジリして来た。 

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  1. 2013/10/06(日) 16:14:10|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「別に変ったことがあったとは思えません。多分船の関係でしょう」

 先生は自分を納得させるようにそういっておられたが夫人はずい分気をもんでいたようである。一方母は二十四日にはどうしても京都に連れて行くといってきかない。私はとうとう米倉夫人のところへ身をかくしてしまった。

 さすがの母も、案外手ごわいのに驚いたらしい。もう自分の自由になる娘でなくなったと思ったのかも知れない。

 「それほどまでに思いつめているなら、わたしの方があきらめよう」と、ぽきりと折れてしまった。

 満身の力で突張る母の強情の中にも、駄目だと思うとさっと折れる脆さの中にも、わたくしは母の愛情を感じた。未だ見たこともない青年の為に、これほどまでに母に対立するとは、一体どうしたことであろうか。われながら不思議な気がする。安部先生への信従であったのか……。このことを思出す度に、運命をつくる力は自己の中にあることを知るのである。

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  1. 2013/10/07(月) 07:18:05|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 婚約

 二ヵ月近くもジリジリと待った二月の或日、米倉夫人の使いがやって来た。一切おまかせするという電報がきたから、これから具体的に話を進めるというのである。

 こうなると母も政治性を発揮して、安部先生宅を訪問したり、米倉夫人と会ったりしていろいろ打合せをはじめた。さっそく結納を取り交し、式は四月二十二日と決まった。本人は四月十日頃帰国する予定だという。

 「結婚は人間と人間の結合ですから、特別に嫁入り仕度はしない方がいいでしょう。そんなことで無理をすると戸松君は怒りますよ」

 「戦争中ですし、式もその着物のままでいいですよ」

 この点御夫婦は、よい意味の徹底した合理主義者であった。御自分のお子さんの結婚の時も、無駄なことはしなかったといわれた。人間として虚飾のない、洗練された精神的境地というのであろうか。

 着物は前からちびちび用意していたので、不足とは思わなかったが、格式を重視する田舎者の母は、あれもないこれもないとあせった。その頃太平洋戦争がはじまったばかりで、日本軍がどんどん戦果をあげ、国内は意気があがっていた。しかし日中事変の続きで、大陸ではまだ広い地域に渡って戦争が展開されていたから、生活は日に日に窮乏を加えていた。先生御夫婦にいわれるまでもなく、着物を新調することはまったく困難であった。

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  1. 2013/10/08(火) 10:07:01|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 見合写真

 三月十日頃、米倉夫人から戸松の写真が届けられた。軍服を着て長い長いひげを生やしている。これはおよそわたくしの趣味には合わないものである。若い男が長いひげを自慢らしく生やしているなんて、一体どういう気だろうかと思った。兄達は一見して笑いながらいった。

 「面白い男だなあ、見合写真にこういうのをよこすところを見ると変ってるよ。いやならお前が行ってから、そらせたらいいじゃないか」

 「この男は威張ってるように見えるわりに、真はやさしいよ。眼を見てごらん」

 本当に眼だけはおっとり撮れている(本当はなかなかきびしいが)母はタンスの上に飾って、毎日冗談に悪口をいってはしげしげと見入った。

 「見合写真にはわざわざひげをそるものなのに、ほんとうに戸松さんも考えのない……」と、安部夫人は苦笑していたという。

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  1. 2013/10/09(水) 15:53:32|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 動揺・感激・感謝

 初めは気に入らなかったこの写真も、見馴れてみると仲々立派で、親しみが深まっていった。希望と平和に包まれていたそんな時、思いもかけず上海から手紙が来た。三月十八日のことである。会ったこともない婚約の相手から、直接手紙が来るということ自体大きな驚きであったのに、内容に眼を通して卒倒する程驚いた。そしていいようのない絶望感が、ずるずると底無しの淵にわたくしをおとしこんでしまった。

 今思えばおかしいようであるが、その時は自分の心が踏みにじられ、蹴ちらされたような気がしたものである。母は「安部の狸じじいが……」と怒った。

 ところが、これを見て感心したのは兄達である。

 「正直な男だなあ。安部先生が見つけたお前を信頼しているんだよ。じたばた騒ぐと向うの方が失望するよ、静かに考えた方がいい」

 三兄はなかなか思慮深いことをいっていた。兄嫁達は母と同列の憤慨組である。打撃と狼狽の淵にありながらわたくしは安部先生への不信と怒りにふるえていた。憧憬と尊敬に対する、何というむごい背信であろうか。

 男と女の考え方の相違をここに見ることが出来る。男は表面に現われた具体的面よりも、根源的なものに価値を見出す。女は表現されたもののみに感情的にとらわれ実相を見逃しがちである。彼の手紙は兄達がいう通り、実に正直で誠意あるものに違いなかった。それは彼の青春の告白である。

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  1. 2013/10/11(金) 10:40:30|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 彼は二十五の時、父母の猛烈な反対を押し切って、友達のすすめに応じて結婚した。なかなかの美人であったが、一緒に暮して見ると手をやくほど頭脳程度が低かった。彼は毎日家庭教師のように、数学や英語を教えた。しかしそれは無駄であった。彼女にとってそれは全く興味ないばかりか、苦しみでさえあったのだ。彼女には娼婦的性格が多分にあった。彼は或時は先輩の邸宅にあずけて、主婦としての教養を身につけさせようとした。しかし与えれば与えるほど、求めれば求めるほど、彼女にとってはそれは苦しみ以外の何ものでもなかったらしい。

 六ヵ月で遂に破綻がきて、彼女がどうしても別れたいとがんばり出した。その時の自分の気持を、彼は手紙の中でこのように表現している。

 「ちょうど自分の脚を一本切りおとすような思いであった」と……。

 実家に帰った彼女は翌年子供を生んだ。彼の母が引取って育てたが、間もなく死んでしまった。それ以後六年何の関係も無い。しかし彼女の生涯には責任を感ずるというのである。このような過去を持つ自分ではあるが、将来に対しては絶対に信頼してほしいという。

 「脚一本切りとるほど苦しい別れ方をした女、何時またよりが戻るかわからないわ。くわばらくわばら」

 兄嫁は首をふった。これ程の重大なことを、何故先生は私に知らせなかったのか。米倉夫人は驚いておろおろしていた。

 少し落着をとり戻すと、わたくしは手紙をもって江戸川アパートへ行った。先生に対する怒りはまだ胸の中に燃えていた。わたくしをだまして後妻に世話するとは何という侮辱であろうか~。自分の誇りをこれほどまでに傷つけられたことが、これまでにあったであろうか。

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  1. 2013/10/12(土) 07:05:10|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 その日は先生も椅子をやめて座ぶとんに座り、わたくしの渡した手紙を静かに読んだ。わたくしは先生の顔に狼狽の色が出てくるのを、意地悪く待っていた。しかし最後までその表情はくずれないのである。読み終って先生は、しばらく私の顔をじっと見ていた。思いやりに満ちた穏やかな顔であったが、悲しそうにも見えた。

 「このことは私も大分迷いました。勿論最初にお話しなければならないことだったのです。戸松君が一度この婦人を連れてきたことがあります。わたしは大変心配しました。間も無く別れたということをきいてほっとしたわけです。知識や教養にあまり相違があるということは、お互いに不幸な結果になる場合が多いですからね。

 その後、戸松君は一生結婚しないといっていましたが、独身をとおすとどうしても円満な思想や人格が築けませんから、結婚をすすめたわけです」

 先生は何も彼も知っていて、先生自身一度は迷い悩んだのである。そしてこの偉大なる人格者は、いう必要がないという結論に立ったのであろう。

 「これが貴女にとって重大なことだということは、よくわかっていました。何と怒られても仕方がない、おわびしなければなりません。

 ただわたしは、戸松君に関する限り、こうした過去は問題ではないと思ったのです。戸松君が過去に、婦人の問題であやまったということは、二度とこのような誤ちを繰返さない保障のようなものですからね。現在の戸松君は、こんなことで傷のつく人間だとは思えません。

 貴女の気持もよくわかります。何時かは戸松君が直接お話するだろうから、それでよいと思っていましたが、会う前にいきなり手紙で告白するとは早まりましたね。しかし戸松君らしいやり方ですよ。このことで貴女がいやだとお思いなら、わたしは遠慮しないで断って下さってもよろしいですよ。遠慮はいりません」

 人間の信ずる力、それは何と強く荘厳なものであろうか。先生の戸松に対するこの愛情と絶対的な信頼は、わたくしの邪念、妄想、怒りを氷解し、改めて神に感謝したくなるような思いみ導いたのである。「士は士の志を知る」という。先生とわたくしでは神と俗人の相異があるが、そのわたくしをも心近き者として、一応信頼して下さったということは、大いなる感謝である。

 先生の人格はキリスト教によって築かれたものであったが、この頃の先生からはイエスの名も聖書の言葉もきかなかった。全く超宗教的立場におられた。大自然の如き無理の無い人格に、私は信仰の極地を見る思いであった。

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  1. 2013/10/13(日) 08:20:52|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 友人S氏の破約

 三月も下旬になると、東京の郊外もそろそろ春めいてくる。庭のあちこちに緑の草が、大気の気嫌を伺うかのように少しづつのびてきた。

 月中頃から私は勤めを止めて、庭に面した縁側で縫物に専念していた。勤めといっても今の女性のように自分の生活を確立するためのものではない。その頃若い男達は、どんどん戦場に狩り出され、家でブラブラしていることは肩身のせまい時代であった。朝に夕に一億一心と銃後の護りがさけばれ、戦争に参加することが日本人として唯一の正しい生き方のように信じられていた。

 私も一年前から海軍省に勤務し、ハワイ攻撃以来の華々しい海軍の活躍を身近かに体験した。省内の空気は活気に満ち満ち、町では姿を消して見ることの出来ないような物資がここにはあった。士官達は明朗で機敏で、実によく活動し、またよく色街にも出かけた。彼らの口からよく赤坂、新橋という言葉が出た。海上生活の多い彼らには、そうしたところの空気が一時の慰安であったのかも知れない。しかし一般の女性に対しては、礼儀正しい親切な紳士であった。年若い尉官は、艦長となって海上に出ることを何よりの誇りと考えていたようである。

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  1. 2013/10/14(月) 08:04:03|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 巷では連日のように日本海軍の勝利が宣伝され、情報局課長の平出大佐などは大変な人気であった。

 私は各艦隊や基地から入る戦死者と戦傷者の書類を整理したり、宮内省へ御下賜品の手続きをしたりしていた。私がやめる頃おびただしい戦死傷者の名簿が入って来た。航空母艦や有力な駆逐艦が次々と沈没し、その度に二百名、三百名と死傷者があった。ところが町ではその大半が報ぜられないのである。

 米海軍の反撃がいかにダイナミックかということが手に取るようにわかるのに、私達は日本の必勝を信じて疑わなかったのである。軍部という強大な組織の威力は、個人の疑いも批判もおしつぶして、ただ真しぐらに走らせる力をもっていた。誰一人としてこれに不信をもつことを許されなかったのである。批判することは、むしろ罪悪でさえあったのだ。目的と方向を誤った組織の魔力にひきづられてゆく大衆は、何時の世にも存在するものである。

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  1. 2013/10/15(火) 13:31:26|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第一巻春雪の巻

 あのまま勤務していたら、日本海軍の末路を悲愴な思いで見極めたであろうが、私が止めた頃は丁度危機に入ったばかりの時であった。

 血なまぐさい情報をあつかう仕事からはなれて、武蔵野の空気の中でひっそりと針を運んでいると、自分独りの幸福だけが大切に思われて来る。

 「上海はもう春です。草木が青々としてきました」

 戸松の手紙の一節を、私は何度も胸の中に繰返していた。

 つい先頃まで中国物の映画や歌が流行して、李香蘭という眼の大きなエキゾチックな女優が人気を集めていた。彼女の訴えるような甘美な歌声は、大陸、ことに上海や北京への関心をそそった。若い者には一度は行ってみたいような気のするところである。

 西風が砂塵をあげて武蔵野をかけめぐるうすら寒い日など、「上海はもう春です」という言葉が一層魅力的であった。

 或日、彼から二通目の手紙が来た。自分の友人Sが一足先に結婚のため帰国したから、彼に会ってもらいたいというのである。

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  1. 2013/10/16(水) 16:25:27|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 二、三日して安部先生からの使いで、三兄の兄嫁がやって来た。

 「戸松さんのお友達が、明日安部さんのところへいらっしゃるんですって~。トマトさんが、貴女に是非あってきてくれとお頼みになったんだそうよ。二時迄に必ずいらっしゃってね」

 この兄嫁はなかなか茶目なところがあったから、戸松を「トマトさんトマトさん」といって私達を笑わせた。

 翌日は朝から私はソワソワした。そしてSという友人に是非好印象をあたえておきたいと考えた。髪をととのえてもらい、一番似合うと思われる紫地の着物を着てでかけた。

 玄関で声をかけると、こまを夫人が何時もかわらない笑顔で出て来た。

 「まあまあ、きれいになって~。さあさあどうぞ」

 二つに折れんばかりに曲った腰をのばすようにして、夫人はシゲシゲと見上げた。八十に達しようとするこの夫人の眼は、壮者のように大きく見開かれ、生き生きとしてその精神の若さと聡明さをあらわしていた。口数は少ないが、その眼の動き手の動き一つにも、抱いて迎えんばかりの温い情があふれている。

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  1. 2013/10/17(木) 08:49:15|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「これ……少しですけど」

 もじもじと私は土産の包みを渡した。実はこの土産には自信がなかったのだ。

 昨日の夕方、米倉夫人に何か土産をもって行きたいが何がいいだろうかと相談した。夫人は一寸考えていたが、名案でも浮んだような調子で、

 「あっそうだ、人参がいいわ。登志子さん、大泉の方の堀たての人参もっていきなさい。人参の好きな奥さんだから……」

 「えっ、人参」

 兎でもあるまいし、先輩のところへ人参をもって行くなんて……、どうも私は気のりがしなかった。母も外に適当なものがないから、お好きなものの方がいいだろうといって、早速近くの農家から買ってきてむりやり持たせてくれた。無理をして菓子屋の裏口からたのめば、小さな菓子箱位は手に入っていたから、私ははずかしくてたまらない。

 先生は次の八畳の出窓に腰をかけ、空に見入っておられた。その後も私は度々先生が空を見上げている姿を見た。せまいアパート生活の中にあって、先生の心に共通するものは、無限大の大空のみであったのであろうか。

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  1. 2013/10/18(金) 09:31:58|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「おじいちゃま、登志子さんがお土産下さいましたよ」

 夫人は先生の側によって包みをあけた。生き生きとした人参の赤い色があらわれた。

 「ほう!」

 珍しいものを見た時のような声である。夫人も「まあ、立派な人参を……、重いものをよくまあ持ってきて下さいましたね」とにっこりした。

 この老夫婦にとっては、高価な贈り物も数本の人参も、同じものであったのかもしれない。受けとるのは贈られる心であったのではないかと思う。この事はさりげない小さな事であったが、私の心の中に強い印象となって残った。

 この日は先生も私も椅子にかけて向き合った。世なれた米倉夫人もいないし、この間手紙をもってきた時のような切迫感もないし、こまを夫人は台所に立ったままなかなか出て来ないし私の心はまごついていた。

 キリスト教精神の上に世界の知識を吸収して、人間として完成したこの老人には、はるかにそびえる山のような感があった。宗教家としても、学者としても、政治家としても、一流であった人生の体験は、その人格の中に一つとけこんで、人間としての香りを高め、味を深めていた。

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  1. 2013/10/20(日) 09:42:21|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 一対一ではとても話など出来るものでない。相手はあまりに大きすぎるのだ。先生に向くような話題の内容など、私にある筈はなかった。

 先生の方も、この小娘相手に何を話したらよいか困ったのであろう。しばらくは言葉がなかった。

 その中に先生は、ぽつりぽつりとお子さんの結婚について話し出された。

 先生には男のお子さん二人と、女のお子さん五人がある。もうそれぞれ家庭をもって、お孫さんも二、三人ずつある。このお子さんが学校を選ぶ場合も、結婚の相手を選ぶ場合も、先生御夫妻は立入った干渉はしなかった。

 まず子供の意志を尊重し、それが正しいと思われる時にはそのまま許し、どうかと思われるような場合には意見をはさむことにした。そのため異性との交際も親に報告させ、背後から間違いのないように常に見守っていた。

 お子さん達も素直な心正しい人であったから、特別親に心配かけるような事もなく、自分の責任において相手をえらんだ。

 長男の民雄氏は華族の令嬢と結婚した。口のうるさい世人は、「無産運動家の安部の息子が、華族の娘と結婚するとはまさに矛盾だ」と批判した。

 「息子には息子の人生がありますからね。息子夫婦はテニスで結ばれた仲でしてね」

 その話の後で先生はゆったりと笑った。しかし後で米倉夫人からきいた話によると、この時先生御夫妻は大分深くお考えになったそうである。しかし、親の思想や立場によって子供の人生を規定することは、先生の最も好まざるところであったに違いない。子供には親と別途の意志と人生がある。それをそのまま誤らない方向にのばしてやるための土台となり、助言者となることが、親の義務と考えていたのである。

 どんな世評も、真理に立っている先生には、さざ波程にしか感ぜられなかったのであろう。

 そうした点では、自己の信念に忠実な、正しい意味の自由主義者であった。

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  1. 2013/10/23(水) 09:30:05|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「どうしたんでしょうね。もうお約束の時間を三十分も過ぎましたよ」

 こまを夫人が心配そうな顔をして出てきた。

 「約束だから来るでしょう}

 先生は別に気を止める様子もない。

 夫人を交えて雑談を交わして待ったが、夕刻となっても到々Sは姿を見せなかった。

 「今日はお見えにならないようですから、明日でもまた伺います」

 がっかりした思いで私は立上った。

 「それには及びません。もうお会いになる必要はないでしょう。約束をしておいて、それを守らないことは一番いけないことです。S君はいい友達ではありませんね。会見を申し込まれた貴女は、ちゃんとこうして仕度をして時間をつくっておいでになったんですからね。自分の幸福に酔って人のことを思えない人間は駄目ですよ。S君は大成出来ない人です」

 気の毒そうに私を見上げた先生の顔は幾分赤らみ、声はかすかに怒りをふくんでいた。

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  1. 2013/10/24(木) 09:07:00|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「本当に申しわけなかったですねえ」

 夫人も小さな膝の上で、両手をもみ合わせて恐縮し、まるで自分の過ちであるかのように年若い娘にわびるのであった。

 おいとまして玄関に出る私を御夫妻は見送ってきて、夫人はお菓子の包みを渡しながら、何度も「すまなかった、すまなかった」を繰返した。ドアをしめようとすると、「そのまま、そのまま」と不自由な足どりで下りてきて、自分でハンドルをもって開けたまま、私が四階の階段を下りきるまで見送った。その眼差はわたくしの胸のこだわりをとかすように温かく、この半日がひどく楽しいもののようにさえ思えた。

 「もうお会いになる必要はありません」と、宣言した先生の言葉が、帰る途々私の頭の中にびんびんとひびいた。寛大で鷹揚に見える先生の中に、かくされているきびしさにさっとふれた思いであった。

 Sは田舎で暇どって、当日来られなかったということを後で知った。彼は、根は人のいい性質であったから、その時のつぐないに後日中国に渡ってから、西湖に案内してくれた。夕日にかがやく西湖の畔をドライブしながら、彼は何度もこの時の破約を謝したものである。

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  1. 2013/10/25(金) 13:11:11|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 見合

 桜もすっかり散り果てた四月十日、米倉夫人がうれしそうに尋ねて来た。こまを夫人と同じ年で七十を幾つか越しているのに、髪を黒々と染め上げ、腰もぴんと伸びて五十代のような若さである。

 「戸松さんがお帰りになったんですよ。安部さんのお宅でお会いして下さいね。明日わたしがお連れしますわ」

 顔面神経痛のため、ビクビク痙攣する頬をくずして、うれしくてたまらないというように笑ってみせた。

 「戸松さんからお土産に浴衣をもらいました。安部さんとおそろいでね、ありがたいわ」

 実際うれしかったであろう。衣類は大変欠乏していて、新しい浴衣などぜいたく品に類するものである。衣料切符というものが発行されて、その点数内で細々したものが配給になったが、希望の品など思うように得られなかった。

 翌朝、私は早く眼がさめた。婚約者との初めての面会のことを思うと心配でたまらなかった。どういって挨拶したらいいだろうか~。わたくしは、人に挨拶することが大変苦手である。人を尋ねて行く場合何時も一番それが気にかかった。最初の二言三言の言葉だけは、前もって考えておいたものである。適当な挨拶が自然にとび出す年齢になると、女も大分ずうずうしくなる。米倉夫人に相談すると、「はじめましてといえばいいのよ」と、かるくあしらわれてしまった。

 その日もこまを夫人は愛想よく迎えて下さった。米倉夫人は陽気にしゃべりながら、どんどん部屋に入ってしまった。

 私はなるべくゆっくりとコートをぬいで、それをきちんと畳んだ。そうすることによって幾分気持ちが落着くからである。

 「登志子さん、登志子さん」とよばれて、静かに部屋に入った。

 窓ぎわの椅子に先生と青年が腰をかけている。二人の老夫人は座ぶとんを動かして、座席をしつらえているところであった。

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  1. 2013/10/27(日) 14:15:45|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「ご紹介しましょう」

 先生がさっと立ち上った。青年も立ち上った。その瞬間、ちらっと視線がぶつかった。私は直観的に相手を認識した。開放的な大まかな手紙の感じは全然なく、一分の隙もない雰囲気が冷たく私をおそってきた。

 先生の紹介が終ると、彼は「よろしく」と短くいって、軽くしかもきちんと頭を下げた。眼だけが真直に私にそそがれている。私は無言のまま頭を下げた。「はじめまして」も何もあったものではない。この青年から発する何ものかによって、ぴしりと打ちすえられた感じがあった。

 私はふと宮本武蔵(吉川英治著)を頭にうかべた。道を求めることに必死の武蔵が、愚堂の描いた円の中で、剣を構えて自己と対決している姿~。

 何ものかをひたすらに求めている、自己にきびしい人の姿~。

 私は彼の中にそうしたものを感じたのである。彼の構えた見えざる剣が邪魔になって、側へ慕いよってゆくことなどとても出来そうにないと思った。

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  1. 2013/10/28(月) 10:46:07|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 幾分青いひきしまった顔(その時は風邪をひいていた)きびしい眼、ぴったり身についた洋服~。

 こういう男性は私には苦手であった。私の兄も弟も至極のん気な連中で、長兄に到ってはだらしがないという表現があたっている。浴衣を裏返しに着て気付かずに歩いたり、バンドをさがすのが面倒で兄嫁の腰紐でズボンをしめるような男である。こういう兄弟の中の一人娘で、どんな悪口を叩いても彼らはとりあわず、我慢を通してくれたものである。

 しかし、この青年に直面して、私は自分の甘さを感じた。これは尋常の心構えではすまされないと思った。

 先生と彼は椅子にかけて、私達は座布団に座った。

 「戸松さん、一つ上海の話をしてあげて下さい」

 先生はすっかりにこにこして、平凡なおじいさんのようにさえ見える。

 「はあ」と軽く間をおいて、

 「上海は毎日のようにテロがありましてね……」

 彼は政治の貧困な上海のうす気味悪い様子を語った。しっかりとした語調で、無駄のない整った話しぶりである。

 その中で、私の心をすっかり憂鬱にしてしまったのは、毎日のように死体が町に捨てられていて、一日に二度それを車で集めて焼きすててしまうということであった。人間が街にころがっている紙屑のように取り扱われていることは、何ともがまん出来ないことだと思った。

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  1. 2013/10/29(火) 07:13:57|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「そんなところをみんな平気で歩いていますか」思わず質問した。

 「ええ、日本から来た人は、最初はみなびっくるするようですね。毎日見なれると、別に気にならなくなるようです。とにかく、陸軍や海軍の機関が沢山あっていうことキカンのです」と、いって彼はみんなを笑わせた。しかし私には政治から見捨られた民衆の苦悩が、ひしひしと伝わって来る思いであった。

 上海というところは、怖いところだ。そんなところに長く居たら、人間は皆同情とか憐憫とかの潅頂が麻痺して、悪魔のような心になってしまうのではあるまいか。不安がひたひたと私の胸底をたたいた。

 「そういう悪い方の話はもう止めて、何かいい方面の話をして下さい」

 先生は私の心の動きに気づいたように、口をはさまれた。この後輩は時々先生をはらはらさせる。

 上海の物資の豊かさ、比較にならない自由、そういうことについて彼は雄弁に語ったが、政治的軍事的内容をもったものであった。先生はにこにこして、面を輝かせてきいておられた。

 その夜、家に帰った私は、長兄にうったえた。

 「兄さん、わたし、とっても駄目かも知れないわ。ああいうタイプの人、今まで会ったこともないわ。全然自身がないの。何だかこわくって」

 「おいおい、今になって何をいうか。俺は知らんぞ。お前のわからないところが彼の価値なんだよ。安部さんはそこを見ぬいているんだろ。しっかりしろ」

 この兄にしては、珍しく強い語調であった。

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  1. 2013/10/30(水) 22:12:50|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

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國 乃 礎

Author:國 乃 礎
   綱 領
政官財・癒着根絶
マスコミ横暴撲滅
国賊売国奴殱滅
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