いしずえ

第一巻春雪の巻

 戸松はジョセフィンの不貞こそ、ナポレオンの運命を決するものであったときめつけた。

 わたくしはふと、憂鬱そうなナポレオンの肖像を頭に描いた。実際、大らかな平和な顔をした彼の肖像画は一枚も見たことがない。

 生涯の大半を戦場に過した彼が、弾丸とび交う中にあって、自分の身を護ることよりも、妻の身を案じねばならなかったということは、なんというあわれな事であろうか。

 ナポレオンの運命がフランスの運命であった以上、ジョセフィンの不貞こそ、フランスの運命につながるものであった。

 小事は大事に通じ、大事は小事によってきまる。

 どんなに偉大な天才であろうと、どんなにすぐれた英雄であろうと、妻の小さな不道徳は、その運命に影響をあたえるのである。人間関係というものは、丁度精密機械のようなものだ。一人の不道徳が他に及ぼす影響は波紋を描くように広がってゆくものらしい。ましてや、夫婦の間においては……。

 わたくし自身も、女性の価値は貞操にあると信じてきた。女性の貞潔がこの世を支え、社会を浄化する力をもっていることはたしかである。神は女性にこの務めを托したのである。

 「妻が不貞でない限り、外の理由で妻を離別すべきでないと、ぼくは考えています。例えば、癩病になって身体から膿が出ていても、夫としての愛情をかけてやらねばならない。盗みをしても、自分も共に裁かれねばならない。夫婦というものはそういうものだと思います。」

 彼の声には力がこもり、それはわたくしに云うよりも、自分自身の心に銘記するかのように響いた。

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  1. 2013/12/01(日) 20:18:49|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 わたくしはふと、安部先生と荒木大将の言葉を思い返した。

 〝非常に理想の高い青年でしてね〟

 〝戸松君には過ぎたものが三つある。その一つは理想が高すぎること……〟

 この二人の先輩は、共にその高い理想を指摘した。そして、その理想に向って情熱をもやして進んでゆく精力に、驚嘆していたものである。

 切実なる結婚観も、その高い理想につながるものであった。彼とわたくしとの夫婦としてのこれからの精神生活に、ゆるぎなき基準がここにうちたてられたのである。

 彼が真剣に語る時には、その眼はおごそかな光をたたえ、その声は空気を切るようにはげしかった。

 人生に対するこの真剣さに、誰が抵抗出来ようか。

 わたくしは、厳格なる第二の人生がはじまったことを意識した。

 ところが……。

 理想では彼の精神の高さをよく理解出来たはずであるのに、不思議なことに、感情の中に何かわりきれない。もやもやとしたものが残っていた。

 彼がかつて自分から進んで求めた結婚に、より以上の理想と情熱をかけたであろうという思いである。しかもその相手の女に、人間愛の立場からとはいえ、将来にまで思いやりを残そうというのである。

 これが女の嫉妬というものであろうか。

 これは愚に通ずるものである。

 しかしこの感情は、わたくしの心深く滞在して、長い間わたくしの心を動揺させた。

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  1. 2013/12/03(火) 20:31:06|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 父母との対面

 一晩浅虫で過した私達は、翌日湯瀬温泉にいった。ここは戸松が安部先生御夫妻を案内したことのあるところである。ホテルは、浅虫とは比較にならないほど大規模なものであった。風呂も大きく、なかなかこったものであるが、部屋も立派である。殊に彼が安部先生夫妻に供したという部屋は、一番上等であった。

 この温泉では、二人とものんびりと風呂に入ったり、外を歩き廻って時をついやした。

 しかし、夫はまだまだ窮屈な存在であった。

 翌朝、食事をすませると、すぐここを発って、花輪線で大館まで出た。

 ホームに出て、戸松が急にきょろきょろしはじめたと思ったら、間もなく女学生と小学生の二人の女の子を連れてきた。一番下の妹達である。わたくしたちを迎えにきたのだという。大きい方はよく肥えていて、小さい方は細くすらりと高い。戸松の八人の兄弟姉妹が、この二つのどちらかの体型に別れていることを、ずっと後に知った。

 大館から東能代まで約一時間、この間の沿線は非常に山の多い所である。よく育った杉山が、ところどころに見られた。眼にうつるものは、一面の木々の緑、緑である。山襞には残雪が白く流れここだけは春にとりのこされている。黙って外をながめていた戸松が、つぶやくように云った。

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  1. 2013/12/04(水) 20:59:47|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「山の雪がだんだんに解けて、最後に山間に雪が残るようになると、本格的に春が来る。これが東北の春の特徴ですよ。ぼくはこの景色が好きでねえ。この景色を見ると、胸の中に希望がわきあがってきて、勇み立たずにはいられなくなるんだ。」

 これは東北に生まれ育った者だけにある感慨であろうか。長い冬ごもりの後、やっと解放された彼等には、精神的にも肉体的にも、萌え出ずるような精力がわき上って来るのかもしれない。幼い妹達は何を考えているのか黙って外を見ている。

 雪の少ないところに育ったわたくしには、戸松のような感激はなかったが、きびしい冬の試練を経て来たこの山々に、荘厳なものを感じた。

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  1. 2013/12/06(金) 20:51:20|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 東能代の駅には、多くの人々がわたくし達を出迎えに集っていた。わたくしと妹達は、すぐ車にのせられ、戸松は後に残って、挨拶を交している。

 駅前にまっすぐのびた道を五六十米も行くと、能代から来ている国道に直覚にぶつかる。それを左に折れると、道の右側にはもう田圃がひろがって見え、真直ぐな道の向こうに家々の屋根が重なりあって見える。そこが彼の生家のある、かいらぎ淵である。駅から十分もかからなかった。

 車を下りて、庭づたいに入っていくと玄関がある。

 南北に長い土地の真中にどっしりと家が建てられ、その家の真中に又玄関が設けられている。道路に面した右の方の表庭には、木々が按配よく植えられ、この家の主人が庭造りの趣味をもっていることを示している。裏庭と思われる左の方は、大きな柿の木が一本と雑木が四五本あるだけで、広々としていて、向うの山際まで田圃がひろがって見える。

 妹達はどんどん裏庭の方にかけて行ってしまった。わたくしはそっと戸をあけた。

 まず、旅館の玄関のように広い板の間が、つやつやとひかって眼にうつった。その次の間に、一人の老人が囲炉を前にしてこちらを向いて坐っている。

 一歩中に入ると、待ちかねていたように、「父ぢゃ」と一声、いきなり名乗りをあげた。

 わたくしは驚いてそこにつっ立ったまま、この声の主を見守った。

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  1. 2013/12/07(土) 11:10:20|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 紋付の上下を着た体は脊せて細く、長い病気による衰弱が見えている。気力で生きているというような印象をあたえた。神棚と仏壇を背にしたその姿は、先祖を代表して迎えてくれているかのように思える。

 「まず、あがりなさい。」

 父は坐ったまま声をかけた。

 台所を思われる方からは、大勢の人が立働いている物音がきこえてくるが、誰も出てこない。

 わたくしは、おずおずと座敷に通った。ていねいに初対面の挨拶をしたが、それを無造作に受けて、「まず、こっちへ寄りなさい。」と、囲炉のそばの座布団を指差した。そして無器用な手で茶を入れてすすめ、「安部先生から、あんたのような人を授けてもらって、わしはうれしい。これで本望だ。何も思い残すことがなくなった。」

 遺言でもいうような、しみじみとした調子である。

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  1. 2013/12/08(日) 14:06:11|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「伜が先生を家に御案内した時、わしは田圃に先生を連れていって、稲の間を見廻りながら、伜の嫁をお願いしておいた。それから手紙も何回か出した。先生から、今度やっと気に入った娘さんがいたからといって、あんたの写真が来た時嬉しかった。宝をもらったようにうれしかった。」

 始めて会った嫁に、この父は何のてらいもなく無条件の信頼と歓迎を示した。それはなんの疑いもない、子供のような素直さであった。

 父も、息子も、嫁も、安部先生という一人の人格者を通してお互いの信を結んでいるのである。相手がどのような人間であるか、それは先生だけが知っていることであった、先生の人格と達眼を信ずることによって、一切は進められ、成立してきたのである。

 打算と俗悪から超脱した、最も精神的なこの結婚を父がよろこび、それによって得た嫁を、自分の宝だと云ってのけるのは、あながち誇張ではなかった。

 庭いじりと病気が、生活の大部分であるこの老人は、終りに近づいた人生の火をかきたてるようにして、息子の未来に大きな夢を描いていた。

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  1. 2013/12/09(月) 13:55:56|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「伜は家の生神様だ。あれが将来どんな人間になるかと思うと、楽しみでわしも生き甲斐がある。きっと日本の大黒柱のような人になるだろう。でなかったら、安部先生や荒木大将があんなに力を入れてくれる筈がないものなあ。」

 父は深くそれを信ずる者のように、眼をかがやかせていった。その思いだけが、生命を支えているかのように……。

 隣の部屋は十畳の広さで、床の間には安部先生の書かれた軸がかけられている。

 〝心中無苦身体無病〟

 先生の人格をあらわすような技巧のない、やさしい、上品な書である。違棚には荒木大将の写真が飾ってある。鴨居の上にかけられた半畳もある大きな額に眼が止まって、わたくしは「おや」と思った。

 神武天皇が山の上に弓をもって立っている姿である。弓の先に止まった金の鳶からこうこうと光が照り渡っている。この額だけではない、右の方の鴨居にも、次の奥の間の鴨居にも、歴代の天皇の肖像がかかげられている。これはよっぽど皇室を大切にしている家だなあと思った。

 戦時中であるから、時の天皇や明治天皇の肖像を飾った家は多い。しかし神武以来の名君を、このように大々的な絵にしてかかげている家は、わたくしの知る範囲ではなかった。この家には、血とともに代々流れ伝わっている明確な精神があるらしい。

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  1. 2013/12/11(水) 10:35:36|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 郷里の披露宴

 勢いよく玄関の戸が開いて、どやどやと大勢の人が入ってきた。駅から歩いてきた人達である。

 「みんなが帰ったから、あっちの部屋で休んだ方がいい。」

 父は顎で奥の間をさし、早く行けというように二、三度顎を動かした。玄関の物音が合図のように、家の中の動きが急に活発になった。客間と台所を、パタパタとゆききする音がはげしい。

 わたくしは襖をしめきった奥の間で、ぽつねんと坐ってその物音をきいていた。するとガラッと襖があいて元気そうな中老の婦人が入ってきた。今まで台所で忙しく立働いていたのであろう。前掛をかけて、襖を片手にもったまま、何か言いながら挨拶した。二言三言、問いかけるような顔で話すのだが、耳なれない訛が多く、わたくしにはよくわからなかった。

 にこにこしてその人が立去ると、暫くして若い婦人(田村絹子)が入ってきた。なかなかしっかりした顔をしている。

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  1. 2013/12/12(木) 13:57:52|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「わたしは分家の者ですが、今ここのお母さんが来ましたが、話がよくわからないらしいからというので、私が代りにきました。」

 「あら、今の方がお母さんですか。一寸も知らないで……」

 「ここのお母さんは、とてもはにかみなんですよ。ですから座敷の方にはめったに出ないで、台所で采配ふっているんです。」

 母は年に似合わぬはにかみ屋で、人の前に出ることを好まないという。新来の嫁の前で、つかいなれた言葉を、急に改めるようなことは出来ない人らしい。どんな場合でも、どんな所に出ても、常と変らぬ態度をもちつづける人だということを後で知った。相手や場所を考えて自分の言動を変えない人である。自分は田舎者だという意識の中に安住して、初めから見栄やこだわりを捨てきっている。

 「ああいう嫁とは、どんな話をしていいかわからないから、あんた行ってくれ。」と云って、この婦人をよこしたという母に、父とは対蹠的なものを感じた。

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  1. 2013/12/13(金) 21:33:42|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 玄関を出入りする音、高々と話し合う声が段々にはげしくなってきた。この婦人は手短かに、これから始まろうとしていることについて説明した。

 東京での結婚式には、こちらの者が立会えなかったから、もう一度披露宴をひらくのだという。わたくしはあわててトランクの中から、丸帯や留袖の着物をひっぱり出して着付を手伝ってもらった。

 ややあって、人々の居並ぶ前に案内され、戸松と並んで上座に坐らされた。

 十畳・八畳・六畳をぶち抜いた部屋に、高膳がずらりと並び、絞付姿の人々が坐っている。

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  1. 2013/12/14(土) 22:07:46|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 父のなかなか元気のいい挨拶があっただけで、来客は祝辞をのべなかった。只めでたいめでたいと云いながら、にぎやかに酒を汲み交している。

 昼食を食べなかった私は、しきりにお膳の上が気になった。

 なんと沢山の御馳走であろうか。配給のきびしい東京で、これだけの物を揃えるとしたら並大抵の苦労ではない。

 鱒の塩焼の鮮やかな色、つやつやと光っている寿司の御飯、各種の酢の物や和え物、色とりどりの美しい練物、一つ残らずどれにも箸をつけて見たかった。

 が、そういうわけにはいかない。

 わたくしは大好物の寿司の皿を取り上げた。それは直径十センチもあるような大きな海苔巻と卵巻であった。甘すっぱい良い味である。この時の寿司の味を、わたくしは今だにわすれる事が出来ない。

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  1. 2013/12/15(日) 10:04:38|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 さっきの婦人が側によってきて、自分について来いという。彼女は下座から進んで父の前にわたくしを坐らせた。

 「お父さんにお酒をついで、よろしくと云って下さい。それがすんだら次々に全部の人にそうして下さい。」

 わたくしは無言でうなづいて銚子を取りあげた。父の方に差出すと、

 「これからは家の嫁ぢゃ」

 眼尻に涙を浮べて、うまそうに酒を飲んだ。この父に対すると、わたくしは舅という感じが全然おこらなかった。父はわたくしの長所も短所も一切をふくめて、娘として愛してくれる人にちがいないと思った。

 三十名以上の来客に、一人々々酒をついで挨拶してあるくことに、わたくしは少しうんざりした。相手は何処の家の誰で、自分とどういう関係になるのかさっぱりわからない。土地の習慣であれば仕方ないが、花嫁にはあまりうれしくないことである。

 一通り廻って、やれやれという思いでわたしは台所にさがって行った。

 ここはなんと市場のような混雑である。三つの部屋と広い台所が、一大調理室となっている。高い膳棚が組まれている前に、爼板がいくつも点々と置いてある。一抱えもある大きな丼や擂鉢がいくつもあるかと思えば、カッカッと火力の強いコンロがズラリと並んでいる。

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  1. 2013/12/18(水) 15:07:59|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 その中で、老若の二十数名の婦人が動きまわっていた。わたくしの姿を見て、その一人が驚いたような声をかけた。

 ここへ来てはいけないという意味のことを云ったのであろう。さっきの若い婦人が、とんで来て、

 「席に坐っていて下さい。ここに来ると着物がよごれるから。」

 といったが、わたくしは其処に坐りこんでしまった。中に陽気なおばさんがいて、包丁を持ったまま近よってゲラゲラ笑って話しかけたが、わたくしには何の事だかさっぱりわからなかった。

 この婦人達は親類や近所の人達で、彼女等は今日の祝いの宴の為に、よろこんで手伝いにきた人達である。これは都会には見られない家族主義の特徴である。本家の誰々、分家の誰々といった関係が、不思議な力をもって彼等の心を位置づけ、重々しくかまえている者、遠慮がちの者、いちいち聞いてばかりいる者、色々の形態の中にそれが感じられた。

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  1. 2013/12/22(日) 09:59:20|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 恩師を招いて

 次の夜も酒宴がつづいた。この日は戸松の中学校時代の恩師と友人達である。

 昨夜の豪華な四の膳まで並んだ本式の御馳走と違って、一枚の膳のほかに、鍋をかけたコンロが二人に一つづつのわりに運ばれてきた。この鍋料理が、秋田名物のきりたんぽであった。雉と野菜の混合した匂いが家中に漂って、御馳走らしい実感と量感があった。

 安部先生はこの料理を大変ほめておられた。こまを夫人も、七十年の生涯に記憶に残った美味しい食べ物の中に、このきりたんぽがあると云っておられた。材料が雉と野菜と豆腐と米であるから日本人の誰にも向いているのかも知れない。

 お客の先生たちは、戸松の少年時代の思い出話をしてはにぎやかに笑っている。彼等は教壇では標準語をつかっているのであろうが、宴席では方言を丸出しにしていて、わたくしには半分もわからなかった。

 この先生達は、少年の戸松には大分手古摺ったのであろう。年取った方の一人(校長)がしみじみとした顔で云った。

 「君がこんな立派な人間になる素質があったということを見抜けなかった我々は、教育者としての資格が全くないと思うよ。」

 自分の思い通りにならない生徒に対して、彼等は一体どんな態度をとったのであろうか。

 学校教育は、いわば人間教育の機械化である。規格に合わない製品が通用しないように、個性の強すぎる生徒はうとんぜられる。

 エジソンにしろシュバイツァーにしろ、みんなその種の人であった。彼等はその素質をみぬく達人にめぐり合って、自己を発見した人達である。

 戸松も又、安部先生に会うまでは、やっぱり不遇な生徒だったのであろうか。

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  1. 2013/12/23(月) 13:20:35|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 先祖の残したもの

 その翌日から三日間、友人や知人の家に招待がつづき、四日目に戸松はわたくしを秋田に残したまま、水戸の演説会に出かけてしまった。

 わたくしは、やっと我に返った思いである。連日のように多くの人に取り囲まれて、他人の計劃にばかり動かされていると、無性に独りの落着いた時間がほしくなる。

 客間のテーブルにひじをついて、ぼんやりしていると、父がのっそりと入ってきた。

 黙ったまま、床の間の袋戸棚をがたがたさせていたかと思ったら古い軸物を二本取り出してきて、畳の上に長々とひろげた。

 保存の方法が悪かったと見えて、色は褐色に変り、紙質も大分くたぶれている。一つの方には人物が書いてあって、気の強そうな老爺がいばって坐っていた。もう一つの方はごたごたと一面の人の名前が連記されている。

 「これがこの家の十六代目の先祖で、こっちの方が系図だ。」

 そばに擦り寄ったわたくしの顔を見ながら、父は説明をはじめた。

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  1. 2013/12/26(木) 17:10:31|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 このお祖父さんは、こういう人だった。このお祖父さんはこんなことをした。このお祖父さんの代はこうだった~。

 神話の伝説を口伝したというひえだのあれのように、この家の歴史をつくったという先祖の出来事を熱心に語った。

 「遠い先祖は奈良朝の昔、都より落ちてきた物部の一族藤原光永(祠~神霊舎の中に祀ってある鏡)という人だ。そのころは母体村がこのあたりで一番ひらけたところで、先祖は千年に及ぶ永い間この母体村に住み、約四百年前、ここからわかれ出てこのかいらぎ淵の地に住みつき、又、多くの分家にわかれていった。」父は得意顔に、

 「この家は、この村の草分けで公家(本家)である。」

 と語調を強めていった。

 「家の宗教は何宗でしょうか。」

 こういう種類の老人が、宗派を重んずることを知っていたから、先手をうってきく必要があると思った。ところが、父は仏教にはさほど関心がないらしく、

 「ああ、仏は禅宗だ。」

 と、さりげなく云って、

 「家には先祖代々祀っている神様があるから、それを大切にしなきゃあならない。庭の柿の木の下にあるおどっこ(祠)がそうだ。」

 柿の木の下に、古い小さなお宮がある。それはこの家の先祖が、代々護り神として仕えてきたものだというのである。

 自家専用のお宮を備えつけた先祖の気魄が、突然の闖入者の私の胸にも伝わって来るような気がする。

 この家の代々の主は、現在父が行っているように毎日の行として、この神様に水と御飯を供えつづけてきたものであろう。先祖の祈りが積み重った上にこの家の現在があるのである。

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  1. 2013/12/28(土) 16:50:23|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 若い時から病身であった父は、只この精神をまもりぬくだけで精いっぱいであった。彼は三十年間も病みつづけ、そして祈りながら、先祖の魂の蓄積が自分の息子の上に開花することを夢みていたのである。

 その点、父は純粋なロマンチストであった。このような父を支えて、母はもっぱら具体的な生活面を引受けてきた。祖父の代から傾きかけていた家を背負って、彼女は女としての一切の神経を殺して、男のように働いた。精限り、魂限り、只黙々と……。この性格と素質の全く違った夫婦にとって、精神的に共通するところは、伝来のお宮を拝むということであったのかも知れない。

 「上海に行っても毎朝わしがあんた達のことを祈っているということを時々思出してくれ。このような親で、親らしいことは何もしてやれないが神さまにたのんで病気はみなわしが引受けてやるから、元気にやりなさい。」

 巻物を巻きながら、父は弱々しく笑った。

 それから三日後、いよいよわたくし達が郷里を発つ日がやってきた。

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  1. 2013/12/29(日) 20:35:27|
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國 乃 礎

Author:國 乃 礎
   綱 領
政官財・癒着根絶
マスコミ横暴撲滅
国賊売国奴殱滅
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