いしずえ

第一巻春雪の巻

 聖者か、だだっ子か

 昆布と鰹節で出しをたっぷりとると、材料の野菜を大切りにした。

 身近かで気長く煮られるようにコンロに火をおこし、それらを全部二階に運んだ。

 中型の鍋に八分目ほど仕込まれた材料は、煮上るまでにはしばらく時間がかかった。

 カタカタカタ……蓋が湯気のいきおいで、かすかに振動するようになると、甘いやわらかい匂が一面ただよいはじめる。

 コンロの口を細めにしめて火力をおとし、十二時までの四時間を、とろとろと煮こんでいくことにした。

 戸松はひげをそり、身を清めると、二十日間の垢の付着した白衣をぬぎすてて、さっぱりと浴衣に着替えた。

 一切の欲望から離脱して、仙人のように老成しきっていた二、三日前の彼の面影は、もはや無い。

 藍にそめられた浴衣は、新鮮なばかりに彼を若々しく見せ、やせこけたりとも、大望にいどむ一人の青年の姿であった。

 これを、俗世界への復帰と見るべきか~否、それは、より高い次元をめざす躍進の姿とみるべきであろう。

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  1. 2015/03/01(日) 19:48:14|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 彼は、二十日も食事をとらなかった人とは思えないような敏活さをもって、書物を整理し、現在の心境と思想を、克明に記録しはじめた。

 心の歴史を書きとどめておくことは、自己の一生を系統的に完成させる大切な事業だと~彼は考える。

 その時々の考えや、思想の核心を、つなぎ合せてみる時、自分の人間としての本質をつきとめることが出来る。

 社会主義をとなえていた時も、キリスト教に関心をもった時も、儒教に傾倒した時も、最後には必ず、満足しえないものに行きあたってきた。それらの価値を高くみとめながらも、彼の血が根本的な妥協をゆるさなかったのである。

 コンロに三回目の炭を足す頃になると、鍋の湯も半分に煮つまり、じゃがいももだらしなく煮えくずれてくる。

 塩を少しと味の素を加え、少量を小皿にとってすすってみた。とろりとした、まろやかな味覚にまず満足し、次に安堵した。

 「おいしく出来たわ」

 思わず、彼によびかけた。

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  1. 2015/03/02(月) 16:04:59|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「うん、いいにおいだ。あと、一時間で、そいつを食べられると思うと、楽しみだよ」

 しばらくペンを走らせていたが、それも終結したのか、ノートをとじ、テーブルの上をきれいに片ずけてしまった。

 そして、腕時計をとりあげ、ねじをまいて、テーブルの真中においた。

 「あと、四十分」

 わたくしは、食器とスープの鍋を部屋に運びこんだ。

 野菜はくたくたに煮えくずれて下に沈んでいるので、濾すまでもなさそうだ。しゃくしを上手に動かして、固形物が入らないようにすくいとればよい。

 テーブルを拭いて、スプーンをおいた。

 鍋を右脇に、彼と向きあって坐ると、二人の新しい人生がこれからはじまるかのような、あらたまった感慨がわいてくる。

 「あと…二十分…」

 時計を見ていた彼の眼が、わたくしに共感をもとめるかのごとく向けられる。期待と勝利にみちたような眼だ。

 「あと…十五分…」

 「あと…十分…」

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  1. 2015/03/03(火) 14:45:47|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 刻々ときざみゆく時間の歩みを、これほどまでに全身をもって意識したことが、かつてあったであろうか~

 時間とは、かってに来てかってに過ぎていく旅人のようなものだと考えていたわたくしは、今更のごとく時の推移の厳粛さにおどろいた。又、その反面、時間を強く意識しすぎる戸松をも、不思議に思った。

 「そうして時間ばかり気にして、じりじりしていたらつらいでしょう。十分やニ十分、どうでもいいではありませんか。そこまで、正確にしなくっても……」

 「いや、たとえ一分たりとも、十二時前に食べたら、二十一日間の断食にはならんよ。

 人生は、こういうけじめをきちんとつけていかなきゃ駄目なものだ。小さい事のようだが、これは大きな問題だよ」

 男の人生が、女にわかるか~というような冷然とした顔で、時計をみつめている。

 寸秒の時の動きに、宇宙の秘密をさぐりとろうとでもするかのように、彼の眼は刻々と光をましていく。

 敏感な犬が、誰も気づかないかすかな物音をこらしているように、彼は宇宙の足音に耳をかたむける。

 一秒、二秒、三秒……一分、

 時というものを、極度に意識してみる時、今過ぎようとしているこの一瞬が、わが人生に二度とかけがえのないものであることを感じないではいられない。

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  1. 2015/03/04(水) 11:03:18|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 二人でこうして、小さな腕時計を真中において、この日、この時間に、一刻々々きざみ行く人生の階段を真剣に意識していることも、やがては過去の思い出となり、二度とかえって来ることはない。

 「あと、三分」

 わたくしは、スープ入れに用意した深皿をとりあげた。

 「まだ早い~いそぐな~」

 再び皿を前において、彼の顔をまじまじと見入った。

 「あと二分……」

 力をこめて言い放つと~彼はにっこりと笑った。

 もはや、時刻と対決しているような真剣さはなくなった。それに代って、何かを期待し待っている子供のような無邪気さが、顔面にみなぎってきた。

 「あと……一分……」

 「十二時……」

 さあ、スープをくれ~と、いきなり言うかと思ったら~

 彼は背筋をのばして眼をとじ、大きく息をすって両手をひろげたと見るや、見事な拍手を二つ打った。

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  1. 2015/03/05(木) 11:17:04|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 彼が神を信仰し、それを形式によってあらわしているとは思えない。

 おそらく~ここに一つの決意を成熟したというよろこびが、思わずこうした形に表現されたものであろう。神に信従していく本質が、血脈の中にひそんでいることは、彼自身すらまだ気ずいていない事であった。

 パッと眼をあけるや、

 「さあッ、スープだッ」

 スープの皿をうけとるやいなや、下にもおかずスプーンを入れ、一口すばやく流しこんだ。

 「うまいッ」

 心のそこから湧き出たような、感動の一言であった。

 二口、三口、むさぼるようにすすっていたが、ええ面倒とばかり、皿に口をあて、ゴクゴクとのみほしてしまった。

 「うまいなあ……」

 嘆声を放ちつつ、皿をわたくしの前におしやっておかわりを求めた。

 二敗目の皿を前において、スプーンをとりあげると、

 「おい……」

 感動のきえやらぬ眼をかがやかせながら、あらたまったような声でよびかけた。

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  1. 2015/03/06(金) 15:30:14|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「生きるということは、素晴しいことだなあ……」

 「……」

 わたくしには、実感がおこらない。

 たった一、二杯のスープで、「生」の意義に感嘆している彼の気持を、そのまま汲みとることができない。

 言葉としてはわかる。さが、それ自体はわかるはずもなかった。

 それは~肉体の欲望とたたかいぬいた者か、あらゆる困難を克服した者か、深い思想をかみしめた者か~とにかく、人生をとことんまで見極めた者だけにわかる秘境であると言えよう。

 三ばい目のおかわりをする時、彼は子供が高価なおもちゃをゆだねる時のように、気がねしながら気嫌をとるような声で、

 「少し……少しでいい、野菜を入れてくれないか」

 「駄目ですよ、自分で厳重におっしゃったじゃありませんか。胃のために悪いから、濾してくれとまで……」

 「原則的にはそうだよ。だが時には原則通りにいかんこともある」

 「今の場合、そんな理論は成立たないわ。健康に影響することだから……」

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  1. 2015/03/08(日) 13:07:13|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「まあ、信用しなさい。絶対に大丈夫だ。胃はぼくのものだ、ぼくに一番よくわかる。文句ばっかり言わないで、その鍋をこっちへよこしなさい」

 「とうとう、本性を出したわね」

 わたくしは笑いながら、鍋の底から野菜をすくい上げて皿にうつしてやった。キャベツは海苔のようにペタペタになっていたし、じゃがいもは殆ど形を失っていた。

 「やっぱり実が入っていた方がうまいよ。もう、とめても駄目だそ。ついでに鍋ごとみんな食うぞ」

 満足そうに、いさましく食べている彼をながめながら、わたくしはふっと可笑しさがこみあげてきた。

 一分一秒をゆるがせにしない几帳面さをもちながら、気をゆるすと子供のように我儘になり、思いどうりにやってのける。こういう時の彼は、もう小学生と同じだ。

 キリストのような高まりから、小学一年生のような幼さまでの、このはるかなる振幅を、彼は自由自在にゆききする。

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  1. 2015/03/09(月) 10:58:16|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 馬鹿夫婦

 三日間はお粥と豆腐のようなやわらかい物をという注文であったが、主食はお粥を固持しながら副食の方は何でも手あたり次第食べ出した。

 きうりもみでも、沢庵でも、すべてが珍味であるらしい。

 食べ物に文句をいう人間があったら、強制的に断食させることだわ~と、わたくしは心の中でつぶやく。そして、ふと連想するのは、あの沢庵和尚の故事であった。将軍家光を懐石にまねいておいて、さんざん待たせたあげくに沢庵をおかずに供したところ、うまい馳走だと激賞されたという物語りは、まさに禅僧らしい妙計である。

 「ね、あなたがそうして沢庵をうまいうまいと食べているのを見ていると、沢庵和尚が自信をもって、沢庵で将軍をもてなした気持がわかるわ。彼もさんざん断食した人でしょうからね」

 「そうだよ、いつも美食や飽食している奴には、食べ物の本当の味はわからんのだ。そんな奴らが政治をとると、世の中がゆがんでしまう。昔のすぐれた将軍や大名には、沢庵のようなえらい坊主がついていて、人生の深奥をおしえていたものだよ」

 「断食したら、偏食もなおるかしら」

 「ああ、絶対になおるね、あんたもやってみるんだな。なんでも食べられるようになると、そのがんこさもなおってくるよ。がんこだから便秘する、便秘するからよけいがんこになる、悪循環しているんだ。根本はやはり、食べ物だね」

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  1. 2015/03/10(火) 11:48:00|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「まあ……二言目にはがんこだ、がんこだと言って……ずい分従っているつもりなんだけど……」

 「その通りだよ、あんたは大人しい素直な女だよ。だが、本質的なものはがんこだね。それは他人にはわからん、ぼくだけに分かることだ。ある一線だけは、どうすることもできんものがある。なかなか手ごわい女房だよ」

 お粥で満腹したせいか、彼はのどかな調子でいった。いつもの切り込んで来るような鋭い批判とはちがって、幾分からかい気味である。

 断食はこうした点にまで、彼の心に弾力性を加えたのであろうか。

 四日目からは、やわらかめの御飯にした。

 彼は朝から家の内外をかたことと片づけてまわった。二十一日間の掃除のゆきとどかない点が、ところどころに生じていた。

 「女という者は、眼に見えるところしか掃除しないものらしいな」

 ひとり言をいいながら、ベランダやボイラーのかげまで、きれいに掃除していたが、

 「こんな豆があったよ」

 一升入のかんを抱えてにこにこと近づいてきた。

 黒と白のまだらな、美事な豆が五合ほども入っている。

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  1. 2015/03/11(水) 09:25:36|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「すぐ煮てくれ、旨そうだ。秋田で断食した時には、あとで母が豆をたくさん煮てくれたものだ。子供の頃から好物だったからね。煮た豆を買ってくるより、豆は家で煮るにかぎるよ」

 「こんな豆はじめて見たわ、どんな花がさくのかしら……」

 「きっと、中国特有の豆だろう」

 早速、鍋に入れてコンロにかけた。

 スープの時と同じように、ゆっくりと煮ふくめるつもりだった。

 一時間たった~蓋をとって豆をすくいあげ、つまんでみたがあまり変化がない。

 二時間たった~もう一度つまんでみたが、煮えたという感じではない。

 三時間たった~まだ煮えきっていない。

 「この豆、さっぱり煮えないわ、炭ばかり食って……」

 「古いのかもしれんね。まあ気長にかかってごらん」

 「少しはやわらかくなったようだから、一思いに味をつけてみるわ」

 わたくしは、砂糖と少量の塩を加えた。

 三十分たった~豆はこじれたように固くなって、食べられそうにもない。

 「こんなになっちゃったわ。これでも召上る」

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  1. 2015/03/12(木) 09:12:05|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 小皿に少しいれて差出したのを、二、三粒つまんで口にいれて、

 「こいつは一寸食えんなあ、一体どうした豆なんだ、これは……そうだ、あの中国人の女にやりなさい。支那の豆だ、食べ方をしっているだろう」

 せっかく時間をかけて煮たのに~食えない豆にうらみを残しつつ、階下にもっておりて丼にあけ、台所の調理台の隅におしやっておいた。

 丁度、流しで洗い物をしていた松下夫人が、ふっとそれを見て、

 「あら、それを煮てどうするんですの?」

 「煮ても煮ても食べられないんですよ」

 「まあ、それを食べるつもりでしたの?……」

 彼女はアッハアッハ……と、のけぞらんばかりに笑い出した。

 一しきり一人で笑いこけたのち、

 「奥さん、それなんだと思っていらっしゃるの?それ蓖麻の種子ですよ」

 「え?あのひまし油をつくる……」

 「庭にひまが生えているじゃありませんか。軍からひまをつくるように言われて、みんな花壇をつぶしてひまをつくっているんですよ。これ、きっと、前の人がとっておいてわすれたのね」

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  1. 2015/03/13(金) 09:16:57|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「そうでしたの、知らなかったわ。馬鹿婿の話は昔からあるけど、まあ、わたくし達は馬鹿夫婦ってところだわね」

 「戸松さんも、御存じなかったのね?」

 「彼は煮るように命令を発した張本人よ。中国の豆だから、中国人なら食い方をしっているだろうから、裏へ来る小母さんに、やれって言うんですよ」

 「まあ~中国人に笑われてしまうわ」

 この話をすると、戸松はきょとんとした顔になって、

 「えっ……あのきれいな豆がひまの種子か、ひまの種子はあんなきれいなものかね」

 言葉を往復させながら、彼はおどろき、且つ、おかしがった。

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  1. 2015/03/14(土) 13:10:25|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 未来を開く鍵

 長途の旅行と運動に堪え得る体力をつけるため引続き病気を装うて役所を休んでいた。又断食後の変ったことの一つに、朝の参詣があった。六時におきて、一通り掃除をすませた頃、滬西から本田がやって来る。わたくし達は三人そろって上海神社に参拝した。

 スコット―路を西に向ってあるき、ぐるっと電車路の方にまわり、更にU型に東に向うと、丁度七友小築の裏側に神社と公園があった。参詣をおわってから、公園内を一まわりして帰るのである。

 公園の入口には、色々の形の花壇がずらりと並び、今を盛りとサルビアが咲き乱れていた。

 花の間をねりあるき、奥の方へ行くと、芝生あり、樹木あり、木の間を縫う小道ありで、なかなかに楽しい。

 小鳥のさえずりをききながら、まだ朝露の消えやらぬ芝生をふんで歩いていると、雅境をさまよっているかの感がする。

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  1. 2015/03/15(日) 17:04:53|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 この同じ芝生が~日暮ともなれば、男女のいまわしい戯れの場にかわる~嘘ではないかとおもわれる清浄さだ。

 四、五日前だったか、三階の窓から、双眼鏡で公園を眺めていた松下夫人が、かけ降りてくるなり、台所にいたわたくしに、大事件のようにせわしくささやいた事があった。

 「噂以上よ、奥さん。公園の醜態は……上海は性的にみだれすぎていますね」

 その事はまだ戸松には話してない。女同志でそういう話をした事を、彼がどんなにか不愉快に思うにちがいない~と、考えたからである。

 松下夫人は~日歿からの公園は、集団野合所のようなものだ~と笑っていたが、

 ヒトラーの言うとおり~正しい指導者を失った中国の青年達は、低俗な動物の域をさまよっているのかもしれない。彼らは、この公園の木々に宿る小鳥のように、同類相許しあって、恥としないのであろう。

 彼らの身辺には、彼らを動物の域からすくいあげて、神への道をさし示してくれる先輩がいないのだ。彼らの見る大人達は、おそらく、名誉と慾の餓鬼となった複雑怪奇な人間か、でなかったら社会の傍観者か、生活することしかしらない無能力者か、のどちらかなのであろう。

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  1. 2015/03/16(月) 09:36:52|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 この戦乱、この人心の荒廃、この文化的堕落……

 ヒトラーが中国に生れていたならば、おそらく彼は、この国の各層にメスをいれて、根本的に切開手術をしてみせたことだろう。

 そして、日本人などは、とっくに大陸から吹きとばされていたかもしれない。

 いや~中国は、そうした強烈な指導者でも現われなかったら、どうにもならない程にくずれているのであった。

 ヒトラーのマインカンプによると、旧オーストリアのウィーンも、やはり手の施しようもない程に堕落していたものらしい。国家が滅び行く前夜は、みなこうしたものなのであろうか……

 上海は不潔だ、中国の民衆は卑俗だ~こうした清らかな公園の中にまで、いまわしい連想の汚跡があるとは~なんという幻滅であろうか。

 わたくし達三人は、思い思いのことを考えながら、ぶらぶらと木々の間をくぐってあるいた。

 ふと、本田が、わたくしのこうした思いに反発を加えるかのように、戸松に話しかけた。

 「中国の真面目な青年は、親日派といえども、かならずしも日本に心服しているわけではないですね。ずい分、日本を批判していますよ」

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  1. 2015/03/17(火) 11:51:25|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 本田は、最近、中国青年と交渉をはじめたばかりであった。

 国乱れて中臣あらわるというが、民族をあげて頽廃と混迷によどんでいる時には、必らず少数の道に主唱者が立ち上り、新しい時代を切り開いていくものである。戸松の交わる青年達も、そうした部類の人達であった。

 彼らはこの公園で夜毎に戲れている若者達とは、人間と猿以上にもちがっている。

 「真面目な中国人は、みな、日本人に失望しているんじゃあないんですか」

 「そうだんだよ。日本が中国の尊敬にあたいするものなら、重慶もあれほどがんこに抵抗はしないだろうが、指導力のない者が指導しようと無理するから、いらざる反抗がおきてくる。世の中の争いやさわぎは、みなここに原因があるんだよ。人を指導しようと思ったら、自分自身がそれに価する者にならなきゃならん」

 「アジアの再建をねがうなら、日本と中国の革新を先にやらなきゃならんと言われるのは、そこなんですか」

 「そうだよ。日本の国家そのものを革新するとともに、日本人そのものが再出発しなきゃ駄目だ。強く、清く、正しい人間としてね……過去の歴史に出てくる立派な人間のように、道徳的にもっと強く美しい日本人にならなきゃ、とても他民族を指導することなど出来ないよ」

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  1. 2015/03/18(水) 13:27:03|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「そういう事になると、今上海にいる日本人を見ただけでも、心細くなってしまうなあ」

 「だからこそ、われわれが真剣に運動しなきゃならんのだよ。ぼくが交渉をもっている中国の要人もそういっていたよ、彼も心配していたなあ……」

 「どんな事をいっていましたか」

 「ある日本人がその要人に、こんな事をいったそうだ。五百万の満州民族が漢民族を統合した史実があるのに、一億の日本民族が中国を平定できないことはない。きっと成功する~とね。

 それにたいして、その要人はこう答えてやったといっていた。

 たしかに、三百数十年、漢民族は満州民族に統治された。けれど、その統治者の満州民族は、今中国のどこに健在しているだろうか、あとかたもないではないか。たとえ、血統的には満州民族であったとしても、風格、習慣、性格にいたるまで、中国人と区別出来ないではないか。

 日本人もいずれ、この満州族と同じ運命をたどらねばならないだろう。

 日本人は、おそらく漢民族の中に同化して、日本人としての長所を失っていくにちがいない。というのは、近頃の日本人の態度や生活が、すでに中国に同化されつつあるからだ。しかも、それが、漢民族の悪質に同化され、感化されつつあるではないか。

 そして、その感化、同化されつつある例をあげて話してやったところ、その日本人も、さすがにぐっと詰ってしまったというんだ」

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  1. 2015/03/19(木) 08:48:04|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「その例って、どんな事ですか」

 「あげつらえば、日本人としてがっかりさせられるような事ばかりだ。

 つまりね、現地の日本人の一割が、阿片の吸飲者になっているそうだ。しかも、その中に青年も多いそうだよ。

 それに、どのダンスホールにも、ナイトクラブにも、日本人が遊んでいるというのだ。ドイツはヒトラーがきびしいから、上海にいるドイツ人でも真剣な生活をしているそうだが、日本人は、統制で物資の乏しい内地から逃避して、上海でぜいたくしているとしか見えんと言っていたよ。

 その上、ホテルの客を調査すると、日本の貴族や金持の息子が泊っていて、用もないのに国策会社などにつとめて、応召をのがれていると見えるふしが目立つそうだ。

 それから……まだまだ色々言っていたがね。そうだ、こんな事も言っていた。中国人は日本では家族制度の理想的形態である一夫一婦が固くまもられているものと信じていたのに、中国にいる日本人の多くは、その道徳的中心を失って妾をやしなっている。

 日本人は、もう中国人と区別のつかないような生活態度になっているじゃあないか~と彼はいうんだ。全くその通りだよ。

 こういう日本人を中国全土に放っておいて、中国人を指導してやろうと言ったところで、真面目な中国人はそっぽを向いてしまうだろう」

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  1. 2015/03/21(土) 10:06:51|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「日本人はどうして、こうも外国の悪い面に感化されやすいのですかねえ。個性がなさすぎますねえ」

 「全くだ、困ったとさ……」

 二人とも慨歎するように言葉を切った。

 ややたって、戸松が、

 「余程気をつけなきゃ、このままでは中国問題は失敗するかもしれんなあ。

 たとえ、米、英との戦いに勝ったとしてもだ、こんなに日本人と中国人との間に精神的ずれがあったら、アジアの再建はあぶないものだよ。

 戦争に勝っても、後が大変だよ。

 今の日本には、うんとえらい指導者が出ないことにはどうにもならんね。」

 日本に中国の混乱と頽廃をすくう力がないとするならば、又、日本人が中国人に信頼されないとするならば……アジアの未来は、一体どうなるというのだ。

 中国を思い、日本を考え~戸松と本田の話はつきない。

 公園内のいつものコースを一廻りして、入口に帰ったが、彼らは尚も語りながら、歩道へと並んであるき出した。

 わたくしは、一足おくれて彼らの後について歩きながら、人類の未来をひらく鍵は、人間の精神そのものであることを、強く感じたのであった。

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  1. 2015/03/22(日) 13:16:00|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 酒飲みという者

 五日目の朝、本田の来宅を待って、参詣に出かけようと支度しているところへ、ひょっこり山田がやって来た。

 彼は七友小築の左端、つまりスコット―路側に住んでいて、公園側のわたくしどもの住居との間には、やはり軍関係の七家族が住んでいた。

 この五つの家庭をとびこえて、両端の二軒は親交をむすんでいた。

 わたくし達が七友小築に移って一ヵ月ほどした頃から、山田は毎朝戸松を迎えに来るようになった。小学生が友達をさそい合って学校に行くように、彼はわざわざ奥まった所に住んでいる戸松のところへやって来る。それは丁度、わたくしどもが朝の食事をおわる時刻にである。

 彼は一緒に一ぱいの番茶をうまそうに飲み、わたくしが戸松の着替えを手伝っている様子を、興味ふかそうに眺めて、やがて連れだって出かけていく。

 二人の靴音と話し声が、七友小築の入口にさしかかる頃になると、彼の夫人が二歳の女の子を抱いて門に出て来る。男達は子供に手をふり、言葉をかけながら、スコット―路を右の方向に姿を消し、女同志は、五六十メートルの間隔をおいてにこやかに挨拶を交わす。

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  1. 2015/03/24(火) 14:23:01|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 彼の夫人と会うのはこの時だけで、心を打ちわって語り合うというところまではいかなかった。贅肉のないひきしまった、彫りきざんだようなこの夫人の顔は、他人との複雑な交わりをさけたがっているかのように見えた。好感がもてるにもかかわらず、何となく馴みにくい風貌であった。二人は只、夫を介在してほほえみ合い、挨拶を交わした。

 だが、山田の場合は違っていた。彼のなんのこだわりも構えもなく、当然のようにわたくしどもの家庭の中に飛びこみ、口からでまかせの世間話や社会論評をしてわたくし達を笑わせた。

 彼が最初訪れてきた時、わたくしは内心彼を歓迎しなかった。こう云う人間は、あまり来ないでほしいと……希(ねが)った。

 と云うのは~その二、三日の夜、呉亜男女史のアパートで、夫人の人種を超越した肉親的なもてなしを受けて、ほのぼのとした人間愛によいつつ我が家に向って歩いて来た時、七友小築の前でワンポーツ(人力車)をひっくり返して、車夫をののしっている日本の男を見た。

 車夫も負けずにわめきちらしている。すると、その男は手をふりあげて車夫を殴ろうとした。車夫は喧嘩に弱い犬のように、さっと退き、顔だけを後にねじ向けて、逃げながら吠えたてる。

 「なんだ、あれは山田じゃあないか」

 薄闇にうかぶ小肥りのがっしりした男の後姿を山田とみとめると、戸松は面白そうに笑った。

 「笑いごとじゃあないでしょう。早く止めたらどうですの?」

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  1. 2015/03/25(水) 10:57:06|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 今しがたまでほんのりと温まっていた心は、この同胞の粗暴さをみて氷ついたように冷えきってしまった。その凍結したような心の深奥には、悲しみとも怒りともつかぬ嫌悪の情が、根深い氷山のように重くよどんでいた。

 「あの人は酒癖のわるい人でねえ、飲むと乱暴になるんだ。ワンポーツに法外なねだんでも吹っかけられて怒っているのかな」

 戸松は犬の喧嘩でも眺めるように、暢気にうす闇の向こうを眺めていたが、いよいよそばに近づくと、

 「山田さん……なにをそんなに怒っているんですか」

と、笑いをふくんだ声でよびかけた。

 振向いた山田の顔は、七友小築の門灯の淡い光にさらされて、不気味な陰影をともなって歪んで見えた。深く酔っているらしい。

 声をかけたのが戸松とわかると、

 「いよう、おそろいで」

と、愉快そうな声を返したと思ったら、再び毒々しい声にかわって、

 「いやあ、こいつがね……」

と、顎をワンポーツの方にむかってしゃくりあげ、

 「一弗やったら、二弗よこせとふっかけよってね。二弗の約束だったと云うんだ。そんな約束はした覚えもない……ひどい野郎だ。全く此奴らには油断できんからねえ、たまにはこらしめてやらんと……」

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  1. 2015/03/26(木) 13:06:25|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 アルコールで麻痺した舌は、間延びた芝居の台詞のように、ゆっくり回転しながら大声でがなった。

 ワンポーツは、第三者があらわれたからにはもう酒飲みの馬鹿野郎など相手にしないぞと云うように、今度は戸松の方に向って、しきりに上海語で異義を申し立ててきた。

 彼は門灯の光に真正面からてらされていた。弱い光線では顔の造作ははっきりわからなかったがきびきびした感じの小男であった。ブカブカのだらりと垂れ下ったようなシャツの袖から出ている唐黍がらのような手を、感情のままに力んでは振り動かしている。

 スコット―路を二弗で引受けたのに、この人は一弗しかくれない~と、云っているらしい。

 山田が車に乗る時、この車夫はきっとスコット―路まで二弗でいいかときいたものであろう。酒で朦朧とした山田の頭には、車夫の言葉などまるで入らなかったにちがいない。その言葉を肯定するように、

 「早く出せ」と号令したものに違いない。

 「何処から乗せてきたのか?」

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  1. 2015/03/27(金) 13:49:35|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 戸松が中国語できいた。

 「白木公司……」

 「ふん……一弗でもいいようなもんだな」

 戸松はつぶやくように云った。

 「外のワンポーツはみんな一弗で来るんだぞ、きさまはずるい奴だ」

 酒に酔うとしつこくなる質なのか、山田はワンポーツの方に詰め寄るようにして、どこまでも一弗に固執している。その山田の背後から、

 「おいッ、ワンポーツゥー」

と、いきなり戸松は嚙みつくような大声でワンポーツによびかけた。

と、同時に、彼の手はすばやくポケットから一弗紙幣をとり出し、それを頭の高さでふってみせ、さっとわたくしの手に渡した。それは彼を見ている者には、「後で女房からもらえ」と、合図しているものと受けとれた。するとワンポーツは今までのわめきを急にひそめ、小腰をかがめて、

 「謝々」

と、低い声でつぶやいた。

 山田には、この戸松のとった態度はわからない。彼はワンポーツが戸松の声におどろいて一対ニの不利をさとって引下ったものと思ったらしい。

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  1. 2015/03/28(土) 13:52:54|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「ざまあ~見ろ」

と、吐き出すように云った。

 「さあ、山田さん、帰ろう」

 戸松は山田の背中を叩くと、押すようにして七友小築の小道へと入っていった。

 「山田さんって、ずい分乱暴な人ですね。ワンポーツと喧嘩するなんで、日本紳士の恥辱だわ」

 わが家に落着くと、わたくしは今まで我慢していた憤懣を、戸松にむかってまきちらした。

 「酒飲みという者は、ああいうものだよ。いつも一弗で乗っているから一弗と思いこんでしまっているんだ。相手の云い分をきけないのが酒飲みの癖だよ」

 「それにしても……」

 「全く、それにしてもだ。たった一弗の事でも、人間というものは自分の主張をとおすだんになると、がむしゃらに強くなるものだ。社会の掃溜にすてられたようなワンポーツでさえ、一度約束したと思いこむとあのぐらい強硬にねばるからね。彼の強さの中核となっているものは、約束を破った相手が悪いという道義感なんだ。

 なんといっても中国は昔から道義を唱えてきた国だからなあ、こんな崩れた時代でも、落葉のように踏みつけられた民衆の中にも、道にはずれた事に抗議する心意気は残っているにちがいないさ。

 こうした事には、彼らは敏感でがんこなんだ。一種の国民性だろう。今の山田のように、日本は常にこの点を無視し、中国をなめてかかるんだ。その為今のワンポーツのように抵抗され、世界にむかってわめきちらされるんだ。こっちでは向こうがずるいと思っている。ところが、日本には彼らが求めている最も根本的なものが欠けているのだ。

 あれは単なる酒によった山田とワンポーツの喧嘩ではない。大げさに云えば、日本の民族性と中国の民族性の対立だよ」

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  1. 2015/03/29(日) 11:39:54|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 天地療養の許可

 山田の第一印象は、こうした悪い状況のもとで植えつけられたのであったが、彼が毎朝時計の振子のように、自宅からわざわざ戸松を迎えにきて、再び自宅の門の前を通って出勤するようになってからは、その子供のようにとらわれのない磊落さに親しみをさえ覚えるようになっていた。

 この朝の習慣も、戸松が断食をはじめてからはパタッととだえていたのだが、二十数日目に彼はひょっこりと~いや、当然来るべきときに来たのであった。

 カタッカタッと、階段をのぼる靴音に、本田が来たのだろうと思っていると、幅の広い肉づきのいい山田の顔が、にゅうっと部屋に入って来た。

 小肥りの身体を後ろにそらせるようにいて、

 「やあ~お早うございます」

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  1. 2015/03/30(月) 09:18:43|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 眼鏡越しに人の好さそうな眼をいっぱいに見開いて、わたくし達の顔を一わたり見渡すと、彼は舞台のように一段高くしつらえた座敷にどっかと腰をかけた。

 何時もならば、すぐ側に卓袱台があり、その上に食事の後の茶碗や皿がそのままになっていて、番茶の用意もしてあるのだが……今朝はない。

 ポケットから一片の書類を取り出すと、手をのばしてあぐらを組んだ戸松の前に差出した。

 「出ましたよ、転地療養の許可証ですよ」

 「いや、どうもお世話になりました。これさえあれば明日にでも発つ事ができますよ」

 すぐ紙片を取り上げ、ざっと眼を走らせながら戸松は満足そうににっこりした。

 「さあ、今度はいよいよ帰る用意だ。いろいろしなければならん事が沢山あるなあ」

 戸松の心は、急に帰国することにむかって走り出したらしい。彼は一度目的を立てると、それに向ってじわじわと準備工作をするが、それがほぼ可能な線に到達すると、後はわき目もふらずに驀進する。

 出発前にいろいろしなければならんこと、それが何であるかは、わたくしにはわからなかった。わかる事は、彼がわたくしを上海においたまま帰るらしいという事だけであった。

 いよいよ彼は帰るのか……今までは希望的未来であったものが、一片の紙片によって急に現実となってせまってきたのである。戸松はよろこび、わたくしは覚悟していたにもかかわらず、内心うろたえた。

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  1. 2015/03/31(火) 08:50:37|
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