いしずえ

第一巻春雪の巻

 今、この機会をとらえ、自分の立場をうったえ自分の要望をあきらかにすべきではないかと思いつつも、それを堂々と彼に訴えることは出来そうにもなかった。小さな雑事はともかくとして、内地に同伴して帰るとうような大きな問題になると、自己主張出来るほど、わたくしはまだ妻の座に馴れきってはいなかった。

 「わたくしも一緒に連れて帰って下さらない?」

と云うたったその一言が、喉まで出かかっていながら、言葉にならないまま再び胸の奥にと吸いもどされてしまった。

 「六ヵ月の天地療養となっているが、そんなに長くかかりますか」

 山田は、戸松の構想を大体きいてはいたのだが、半年も内地にねばって工作するのは長すぎると思ったらしい。

 「六ヵ月にはこだわりませんよ。目鼻がつくまでは何ヵ月でもがんばって見ますよ。健康がなかなか回復しないという名目でね」

 山田は安直に大まかに考え、戸松は深刻に慎重に考えていた。

 「この運動をすすめるには、色々の線からあたっていかないとね。尋常なことで東条が動くとは思われないですからね。とにかく、東京と上海にわかれて、連絡をとりながらやってみますよ。人事を尽して天命をまつのみですよ」

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/01(水) 14:59:23|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 戸松は土俵に立った力士のように、闘いの目標と機会をにぎった以上は、もはや全力をかたむけて突き進むのみという決意の色を、さっと顔にみなぎらせた。

 ふと、突然思い出したというように、ニヤリとして、

 「それにしてもあの軍医、人がいいんだなあ。ぼくの身体を診察してね、ひどい衰弱だが病因がどうしてもつかめんというんだ。~あたりまえだ、断食による衰弱なんだからね。

 とにかく、全機能がおとろえきっているから危ない。君の身体は上海にいたんじゃあなおらんぞ、と都合のいいおどかしを向こうから云ってくれたんだからね」

 二十一日間の断食を終えた翌朝、彼はわたくしが朝食の後片付けをしている間に、浴衣を着たままふらふらと軍の医務室に出かけたのである。

 断食終了と同時に、たらふくスープをのんで元気づいてはいたが、萎びきった五体には旱天にぱらついた村雨のごとく、そのスープもどこへ吸収されたのかわからない程に、衰えは回復していなかった。

 軍医は簡単に転地療養の必要をみとめ、診断書にそれを書きこんでくれたが、スムースに許可証がおりるかどうかははっきりわからないことだった。かつて病気で欠勤したこともなかったし、それに、つい四ヵ月前結婚のため帰国したばかりであったから、不審を問われる段になると面倒なことにもなりかねないのである。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/02(木) 11:07:15|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 ところが、山田のように、戸松をよく理解する人々が幾人かいて、高級副官を説得し理解させ一枚の診断書を正当づけて許可証を作成してくれたのである。

 日中事変のゆきづまりは、太平洋上の戦果の華々しさにもかかわらず、これらの人々の心を停滞にひきずりこもうとしていたから、人々は戸松の思想と行動力に興味と魅力を感じていた。

 戸松の思想は、単に彼の頭脳の中に盛り上り、論説となって流れ出るのみならず、直ちにその行動となって躍動する。それは一つの風を起し、流れをつくって人の心をひきつけたのであった。

 彼の能動力に渋い顔をする者は、事なかれ主義の保身家で、彼らは飼いならされた動物のように現実はどうあれ因襲と命令に無意識に隷従していく人々であった。七友小築にもそういう部類の人がいて、それとなく戸松を批判しているようであった。

 しかし、戸松も山田も、このような思想的にひからびた官僚的な人間には眼もくれず、ひたすらに大局をつかんで前進しようと試みていた。

 彼らは若く、又勉強家でもあった。東大の文学部を出た山田は、インテリ―としては筋金入りであったが、行動家としては、戸松の起した風に瞠目して拍手を送る側であった。

 半時もたった頃、再びカタッカタッと階段のなる音がして、本田が上ってきた。それを合図のように、

 「さあ、それでは出かけようか」

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/04(土) 09:54:58|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 山田は出勤、われわれは参詣……と、それぞれ行動をおこして階段を下りようとした時、待ちうけるように下に立ちはだかっている男がいた。「はっ」として上の四人は、釘づけになったように足をとどめ、一せいに視線をその男の顔に投げかけた。

 「おう~いつ帰りましたか」

 まず、戸松が驚嘆したような声を放った。

 「ゆうべ」

 下の男はにこにこ笑って、短くその声をうけとめた。地方へ出たまま行方のわからなくなっていた松下である。

 「上ってきませんか」

 「いいですか、どこかへ行かれるんじゃありませんか」

 「いや、かまいません」

 背後の本田をふり返って、

 「そうだ、本田君、今朝は君一人で詣って来い。ぼくは夕方にしよう」

と言いながら、戸松はうしろにしりぞいた。

 本田と山田は、階段の下までおりて二言、三言松下と言葉をかわしていたが、やがて出て行った。

 わたくし達三人は、部屋にもどって対座した。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/06(月) 10:07:21|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 中共軍に捕われた松下

 暫らく見ない中に松下の頬はげっそりと落ち大きな眼が、何から話そうかと迷っているようにキョロリキョロリと動いていた。

 色黒の無頓着そうな顔は、年よりも十はふけて見える。漆のように真黒な硬い髪の毛と、毛深い顎のあたりのうす黒さが、野性的な男らしさをそえていたが、肉づきのいい丸い顔の表情は、ものやわらかで人なつこかった。

 「今度はずい分苦労したようですね。どうしたかと思って心配していましたよ」

 無口な相手をいたわるように、戸松が云った。

 「中共軍につかまっちゃってねえ、生きて帰れないと思いましたよ」

 刺激的な一言を何げなくぽつりと云って、松下はそろりと顎の髭跡をなでた。

 「ほ、ほおう~」

 戸松もわたくしも電流にふれたように、はっとして松下の顔を見つめた。さっきから朝食の支度に取りかからねばならないと思っていたわたくしは、この一言に決定的に立てなくなってしまった。次の言葉をわたくし達は興味ふかく待った。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/07(火) 09:58:05|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 つい四、五日前に体験した事を、松下は遠い昔の出来事であるかのように淡々と語り出した。

 「今度は一挙に沢山の銅幣を買い集めたいと思ってね、ずっと奥地深く入っていったんですよ。相当集めた時に、中共軍につかまってしまいましてね。

 中国服を着て変装していたんだが、銅幣を集めているもんだから、日本軍の関係者だという事がわかってしまったんですね。もう殺されると観念していましたよ。

 ところが、五人共後手にしばられてしまって、捕虜として十五、六人の中共兵にひっぱられてどっかへ連れて行かれることになったんですよ」その時の自分達の惨めなかっこうを嘲笑するかのように、松下はニタリニタリと笑いながら、尚も他人事のようにぼそりぼそりと語りつづけた。

 三人はしばられたまま、中共兵にひきいられて歩き続けた。日本語は絶対に話してはならないと禁ぜられていたので、親しく語り合う事も出来ない。ひかれ牛のように、只黙々と歩き続けるだけであった。

 三日間歩きつづけた後、船に乗せられ河を上っていった。その時には自分達がどの地点にいるものか皆目見当もつかなくなっていた。

 昼過ぎだと思われる頃、中共兵達は或部落の岸辺に船をつけ、一人だけ見張りを残して食べ物を求めて陸に上って行った。ここで昼食をとり、ついでに食料を集めて来るつもりであろう。

 岸辺の揚柳は快い影をなげ、川面を渡る風はそよそよと、船に残った人々を愛撫し、睡気をもよおすような初秋の一時であった。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/08(水) 13:19:50|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 やがてのこと見張りの中共兵がこくりこくりと居眠りをはじめた。

 「チャンスだっ」松下はこれを神のあたえた機会だと感じた。ふと見ると、少しはなれたところに斧がおいてある。ますます都合がいい。だがともに繫がれた身体に斧は近よれない。彼は子守り歌のように、やさしく日本語で歌をうたいつつ足をのばして、その斧を少しづつひきよせていった。

  ここに一つの斧がある
  これで網を切りあって
  逃げようじゃないかいな

 歌い終ったが、中共兵は依然として眠りつづけている。その眠りはますます深くなっていくようだった。

 お互いに眼で合図しあうと、松下は身体を倒すようにしてしばられたままの手で斧をひろい上げ、刃がたてになるようにしっかりと握りなおした。近くにいた他の一人は、その斧に自分の縄の結び目を何度も何度もこすりつけた。

 やがて、縄はぱらりとはずれ、手は自由になった。それから五人はお互いの縄を切りあって、中共兵達が行った反対の方向に逃げようとした。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/09(木) 09:02:51|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 そろそろ中共兵達が帰る時刻であったから、五人は過度にあわてていた。陸に飛びあがろうとしたとたん、船がガタッと一方に大きくかたむいてひっくり返りそうになってしまった。流石に居眠り中共兵も驚いてとび上り、意外な情景に仰天して、鵝鳥のようにガーガーとわめき立てたからたまらない。

 この騒ぎに、近くの民家にいた他の中共兵達があわてて飛び出してきて、よってたかって五人を叩きつけ、再びしばりあげてしまった。

 この失敗は五人を一層苦境におとしいれる結果となった。油断ならない日本人に警戒をつよめ、彼らを目隠しした上に食べ物をあたえようともしなくなった。腹がへってはひょろひょろして遠くへ逃げられないし、眼をおおわれては逃げる機会も見定められないからである。

 空腹のまま、船にのせられたり歩かされたりの三日間を過した後、その夜は眼かくしされた五人を先頭に立て、一団は草深い平原を歩いていた。

 三日間も視力を封ぜられた神経は、外界の気配に鋭敏になっていたのであろうか、松下は、ふと前方に大勢の人の動きを感じとった。

 彼の直観では和平軍にちがいないと思った。が、たとえ和平軍でなくてもよい、それが味方の側に立つ人々の集団であるなら、再びおとずれたチャンスであるといえる。だが、若し敵であったなら、天命は尽きたものとあきらめよう。

 彼は心を決すると歩調をゆるめて、しばられた両手の中にゆっくりと網をたぐり込み、引手の中共兵との距離をせばめていった。それを相手が気付くと同時であった。彼は力いっぱいにぐいと網を引いた。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/10(金) 13:48:12|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 網はぱっと中共兵の手をはなれ、中共兵ははずみをくらって前に倒れた。それは一瞬の出来事であったから「日本人日本人」と絶叫しながら走り去る松下を見て、他の中共兵ははじめてあわて出した。

 松下の直感は正しかった。「日本人」という彼の悲痛な叫び声に、前方から大勢の人間がこちらに向って、ざわざわと駆けて来るのがわかった。

 闇の向こうに人間の一団がいることに気づかなかった中共兵は、それを見ると、捕虜を置いたまま一目散に逃げ散っていった。

 狐狸も方向を失うかと思われるような広大な中国の原野で、和平軍に出会ったということは、五人の天運が余程強かったからであろう。一週間の捕虜生活からのがれ、和平軍に護られながら、彼らはやっとの思いで上海に帰りついたのであった。

 「ふーん、しかし、あんたは度胸のいい人ですなあ」

 話がおわると、戸松は興奮したような声で松下を賞讃した。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/11(土) 13:47:23|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

新聞 いしずえ 春季号 4月1日発行 №31

新聞 №31

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/12(日) 00:30:29|
  2. 新聞

第一巻春雪の巻

 たしかに、その沈着と度胸は並々のものではない。もそっとしたこの男の何処にそんな能力がひそんでいるのかと、私は改めて彼を見直した。彼のにこにこと笑う顔が、急に余裕綽綽とした豪傑の中笑に見えだしたのだから面白い。そして、この一言が、わたくし達夫婦の脳裡にあらたな松下像として、明確にきざみこまれたのであった。松下はこれにもこりずに、これからも銅幣買いをつづけるのだと云った。銅幣は中国の古い銅銭で、何億という地方の民衆の手に握られている。これを集め鋳つぶして、軍用資材にするのである。

 銅幣のほかに、中国にはいろいろの軍用物資が隠されたまま眠っていた。南方から陸づたいに大量の物資が流れこんでいたし、中国自体にも、貴重な物資があちこちに半ば公然と隠蔵されていた。これらを買い集めて軍に調達するのが、松下らの任務であった。

 松下は陸軍の資材調達の商人であったが、海軍の方は児玉誉士夫が児玉機関を設立してこの任にあたっていた。

 彼らの仕事は前線にいる兵隊と同様、危険なものであった。日本軍は、広大な地域を占領したとは云うものの、守備地域は大都市か重要な拠点に限られていたから、それらは天空の星のごとく、点々とまたたくのみで大部分の空隙は、日本人にとっては闇の危険にさらされていた。

 しかも、この広大なる空隙こそ、資材の倉庫であったのだ。彼らは危険を覚悟し、むしろそれを克服ふることに痛快を感じながら、買い集め、そして運搬した。

 それには、中国語にも練達していなければならなかったであろうし、民衆の心をつかむ技法も心得ていなければならなかったであろう。これは線の細いインテリ―軍人や軍属に出来ることではない。捨て身の胆のすわった男の仕事であった。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/12(日) 18:01:41|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 二つの夫婦

 その夜、戸松は今後六ヵ月間の計劃を大まかに立て、まず上海出発までの予定を具体的に細かく考えて見た。翌朝、彼は松下の部屋に下りていって、コーヒーを御馳走になりながら今回の計劃と方針を話し、松下の同意をもとめた。帰国後、事変解決案に見込みがあれば、中国に戻り軍を退いてこれに専念する覚悟であった。

 六ヵ月の間、自分が上海をはなれるからには、この住居は一まず軍に返し、妻は滬西にやることにする。そうなると、戸松の同居人として住んでいる松下夫妻にも、どこかへ移転してもらわなければならない。

 自分は二、三日内に一応滬西に移り、そこから出発したいと考えているが、三階にはタイピストも一人でいることであるから、あなたは代りの人が入って来るまで居てやってほしい。その間にゆっくり身体を休め、家をさがしたらどうか~

 松下は男であるから簡単だ。殊に波のように中国の広野を飛び廻っている人間には、毎月のように転宅したとしてもさほど苦にはならないだろう。

 だが、夫人の場合は事情が複雑である。彼女は妊娠四ヵ月であった。半月ほど前からこつこつと編物をはじめ、白い毛糸で赤ちゃん用の帽子や靴下をあんだり、妊娠十ヵ月の心得を書いた本を読んだりしていた。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/13(月) 14:49:06|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 夫の留守には毎日のように午後になると出かけ夜は九時か十時ごろにならないと帰って来ない習慣の彼女が、終日部屋にとじこもりがちになったのだ。妊娠は彼女を女性としての自覚に導いたのかもしれなかった。

 鍔の広い帽子をかぶり、少女のような服装で出かける彼女は、年よりは七つ八つ若く、十代の蕾のように見えた。松下とは十ほどの年齢の相違であったが、片方は十以上ふけて見え、片方は十近く若く見えるのであるから、初対面の人には親子としかうつらない。重厚な松下の風貌には、桃の蕾のようなこの夫人は、借り物のような感じをあたえた。

 夫が生死をかけて飛び歩いている事も、この夫人には単なる男の仕事でしかない。夫の考えや仕事を理解しようという意志などは持ち合わせていなかったし、又夫からもそれを求められ教育された事もないようであった。

 彼女は夫は仕事に生きることを男の面目とし、家庭や妻に情熱をかける事を、無気力な男の行為と思っているのかも知れなかった。暇にまかせてふらふらと繁華街を歩きまわり、レストランで一人で夕食をとっている彼女を見かけた人達は、自分があまりにも汚い人間の裏面を知っているが故に心配して松下に忠告した。

                  (43 43' 23)
にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/14(火) 10:47:01|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 その時、松下はこう云ったものである。

 「女房があちこち出歩きまわっている事を、男が気に病んで何になる。犬を一匹飼っていると思ったらいいではないか」と~

 豪胆というか淡泊というか、あるいは妻を信じ切っているというのか~いや、彼はおそらく妻に精神的な何ものも求めていなかったのかも知れない。

 夫の考える事は顔を見ただけで悟る妻になれ、お前の愛する詩に夫の歌をきざめ、お前の仰ぐ神の下に夫を重ねてみつめて見よ、そこからお前の総ての出発がある。そういう妻になってほしい~と求め願う戸松に比べ、なんという男の大きな相違であろうか。

 その違いの根本は、只一つの点にかかっている事をわたくしは感じとった。それは~戸松には人生の中心的明確な志と計画がある、松下にはそれがなく、人生が漠然としている~その違いである。

 戸松は夫婦喧嘩の後で、こう云う意味の事を云う。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/15(水) 14:01:50|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「男の志が確立しておれば、総てがそれを頂点として形成される。家庭では妻は、それを頂点とする底辺にならねばならない。夫の志は妻の志であり、家庭の方向でなければならない。その方向の中での自由であり創造でなければならん。かたい一粒一粒の小豆でさえも、長い間火にかけ、ゆっくりと練りあげると、全く一つにとけあった美味な羊羹になるではないか。人間同志も同じことだ。互いに練り合い、励まし合うことによって、一人では不可能な偉大な人生や世界を生み出すことだって出来るのだ。

 偉大なる融合は、きびしく豊かな愛情と忍耐づよい練磨の結果生ずるものなんだ。真とか美とか善とはそう云うものをいうのだ。

 夫婦喧嘩も、たえまない社会の闘争もそうだ、戦争だって、人間と人類の高い理想と目標をめざしているのならば肯定されていい事なのだ。しかし、残念な事に、すべてのそういう闘争は、我のためにのみ行われている。

 だが、俺の場合はちがうぞ、大いに夫婦喧嘩をやろう、建設的にな」

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/16(木) 14:47:32|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 戸松は自分の志は、国家の未来をひらく志でなければならないと考える。その為、彼は各界の人格者といわれる人々の識見を求めてあるくのに労苦をいとわない。世界観を広めるための武者修行である。

 その上で思考し、直感によって核心をつかみ、一度志を立てたらもう揺がない。

 そして妻にも自分の志を理解させようとして、精神が消耗せんばかりに誠意をこめて語る。妻の力にその何分の一も吸収する能力も根気もない事など、意に介さないもののごとく……

 松下には遠大で真剣な人生の目標が確立していないために、妻に対してもそれほど期待もかけず、家庭での錬成も試みないのかもしれない。妻の放任はそのためであろうと思われた。

 彼は天性寛大で愛情深い人であるが、それはすこぶる普遍性に富んだものであったから、妻もその複数の中の一人であったのであろう。

 その為か、彼の夫人は妊娠している事をまだ夫に報告してはいなかった。彼女は六ヵ月過ぎるまでは黙っていてくれと、わたくしに固く口止めしたのであった。

 妊娠がはっきりした頃から「奥さん力になってね」と口癖のように云っていたのに、今彼女より先にこの家を去って行く事は僅かながら心の痛むことであった。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/17(金) 13:59:24|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 七友小築を去る

 いよいよ七友小築を引き払って内地へ帰ることが口づてに伝わっていくと、つぎつぎと訪問者がつづいた。呉亜男女史も珍しく姉妹でやって来た。

 帰国するのは戸松だけで、わたくしは滬西に残るのだと云う事がわかると、彼女らは自分の事のように大げさに淋しがった。彼女らは中国的能弁の上に、西洋的表情ゆたかなジェスチュアーが巧みであったから、顔をゆがめ両手をひろげ、顎をかたむけて哀切たっぷりに、わたくしの孤愁をあわれんでくれた。夫としばしの別れをする時は、そんなにまで淋しがったり悲しんだりしなければならないものだろうかと、わたくしは彼女等の表現には及びもつかない自分の感情の貧弱さを嘆じたのである。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/19(日) 09:22:25|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 客のあい間あい間に、戸松はどんどん家内を整理していった。こう云う事になると、わたくしはさっぱり役立たない。いや、彼の整理ぶりがあまりにも美事ですばやいので、手が出ないという方が正しいかもしれない。わたくしが一つの事を時間をかけてこつこつとやっている中に、彼は夕立が降るような勢いで荒っぽく片づけていく。それでいて総てがきちんと整理づけられていた。

 台所の土間に山のように積んであった粉炭は、いつの間にか五俵のカマスに詰められ、きちんと荒縄でくくられた。何処からカマスを求めてきたものか、わたくしは少しも知らなかった。

 倉庫代りにしていた北側の部屋に、五、六十本も投げこまれていたビール壜も処理された。これは軍から安く買い入れて新家庭訪問の客をもてなした後の空壜である。軍から配給になった台湾米も、どこからか借りてきた一斗缶二つにきちんとおさめられた。使っていない蒲団は全部蒲団袋にいれ、書棚の本は何冊かにまとめてからげた。衣類は二つの大行李と三つの大トランクにつめこみ、食器も五つ六つ残して全部紙をかませて箱につめた。それらは総て廊下に積みあげられ、がらんと空いた二つの部屋は、きれいに掃除が出来上った。わたくしのした事といえば、食器と衣類を整理しただけであった。

 そうした翌日、朝食がすむと彼は云った。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/20(月) 14:06:28|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 「今日引越す事にしよう。虹口でやる事はおわった。後の事は滬西に行ってからやった方が都合がいい。

 あんたは食事の片づけがすんだら、先に滬西に行きなさい」

 「で、あなたは何時いらっしゃるの?」

 「僕は後にのこって荷物の運搬方法を講ずることにする。青年達も来て手伝うだろう。中には滬西までリヤカーで持って行くという奴もいるかも知れない。後の事は心配しないで先に行きなさい」

 台所の生理をすませると、わたくしは松下夫人に一言挨拶したいと思ったが、彼女はすでに出かけていなかった。もちろん三階のタイピスト嬢も出勤してしまっていない。

 この二人の女性には、前から話しておいたが最後に黙って出ていくのは、なにか後味の悪い思いであった。

 だが、一日のばして夫の予定をくずす事は出来ない。わたくしはハンドバックを一つ持って七友小築の門を出た。新婚の印象を残したはずのこの家には、不思議にもなんの未練も愛着も感じなかった。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/21(火) 13:29:33|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 未来にいどむ男・過去をさまよう女

 生活は再び四ヵ月前の大所帯にかえった。今まで牧谷親子を中心とした滬西の家の生活は、ただちに戸松を中心とした生活にかわった。

 朝は彼の起床とともにはじまり、彼の就寝とともに一日は終った。ここでは、彼とわたくしの関係は夫婦という線がうすれ、わたくしは中心的存在である彼に、比較的近い存在であるにすぎなかった。

 食事の時には、彼は牧谷や本田や子供達と一緒に先に食べ、食卓の世話は牧谷夫人が一切きりまわしていたから、夫の為に一ぱいのお茶をいれてやるということもなく、彼らが食事をしている間、わたくしと堀下夫人は階段や洗面所をごそごそと掃除した。

 日中は殆ど男同志の世界と女同志の世界は劃されたように別々につくられた。男達は終日外に出ていくか、でなかったら、洋間で客と談合しているか、あるいは内輪の者だけで論じあったりした。

 女同志は日本間にかたまって、思い出話に興じながら編棒や針を動かした。彼女らにとっては、戦争も政治もそれほどの関心事ではなかった。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/22(水) 10:05:46|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 ~神国日本は、どんな事があっても戦争に負けるような事はない……。危機がせまったとしても、必ず神風のような奇蹟によって救われるのだから……それに、日本には大和魂というものがあるからね。直ぐに手をあげて降参するようなアメリカ兵に負ける筈がない。こんな尊い国とこんな強い兵隊は、世界のどこにもないわよ……政治なんか……それは男の仕事だわ。それにえらい人達が色々考えてやっていることだもの、これ以上の事を望める筈がない~

と、彼女らは考える。

 家族の中にどっかりと腰をすえた中年の女は、自分の理念をたかめ、それから未来を生み出すことは出来ない。彼女らに未来をあたえるのは、夫であり、子供である。彼女らは、過去のもっとも恵まれた時代を夢みる。それは事実よりは、もっと美化され、その中の彼女は理想の女に近い。

 彼女はつぶやく~ああ、わたくしにもあんな時代があったんだわ、環境さえよかったら、わたしはもっといい女になれるんだが~

 だから、彼女は過去を語るのが好きだ。一冊の絵巻物をひもとくように、華やかな乙女の頃を自慢す、世帯の苦労に苦しんだ頃の男々しさと忍耐づよさを誇りとする。

 ~わたしは娘盛りには、色がぬける程白かったの、愛嬌のある顔だったらしいの。主人ともう一人の男から猛烈に愛されてね、困ったわ、あの時……そう、あれは最初に子が生まれた時かしら、主人に女が出来たのは、ずい分苦しめられたけどよく耐えてきたものだわ。だから主人はわたしに頭が上らないのよ~

 このように、女は過去の一切を抱きしめて生きている。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/23(木) 14:05:40|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 男は過去を忘却の彼方におしやってしまう。そして彼等は未来に向っていどむ。彼らは懐古の迷いを抱きしめてはなさない女をひきずるようにして、人生を切りひらこうとして前進する。

 彼等がたまたま過去をふりかえって見る時がある。しかし、それは自己の二十年や三十年の一筋の短い過去ではなく、遠く広範な人類の過去を見つめるのだ~こういう時、信長はこうした、家康はこうであった。西郷はかくかく云った。キリストは、シャカはこう説いているではないか~

 この滬西の家では、このような男と女の二つの世界が出来ていたのである。ここでは、わたくしも同性のゆえに女の世界の一員に属し、夫との共通の話題を失ってしまった。

 仕事や思想上の話は男の世界で行われ、家事経済に関することは牧谷夫妻と戸松の間で話しあわれていたから、わたくしは気がねのいらない食客のようなものであった。

 わたくしは遠くから、黙って戸松の忙しそうな動きを動きを見つめていた。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/25(土) 14:28:24|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 事実、彼は試さねばならない多くの事を抱えていた。周仏海や熊剣東のような中国側の要人に会って、最終的に打合わせをしなければならなかったし、中国青年達から情報をあつめて整理づけておかねばならなかった。それに日本側の先輩の意見をきき、現地における日中事変の観測をまとめておかねばならない。これらはすべて、東京工作上の重要な資料となるものである。

 妻がどんな顔色をしているか、どんな事を考えているか、彼には考えるいとまもない。妻も自分と同じ志に立って、未来を凝視しているものと考えている。

 彼はスコット―路にいた時、よくディスレリーの妻の話をしてきかせた。そして、その精神態度はすでに妻に理会されたものと信じているようであった。

 ディスレリーは、戸松の敬愛する偉人の一人である。ユダヤ人の血をもつディスレリーが、百年前の英国の宰相の地位をたたかいとったその勇壮な業績が、まず彼を感動させていた。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/26(日) 13:34:45|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 英国の政界の指導者となるには、厳格な身分上の条件がもとめられ、ことに百年前はそれが甚々しかった。まず、貴族であること、ケンブリッジ大学かオックスフォード大学の出身であること、金持であること、の三つがそろっていなければならなかったのである。この三つの条件をそなえたものによって、英政界は磐石のように固められていた。その地殻を打ち破って、独学によって実力を養ったディスレリーが、忽然と頭角をあらわし、英国史にかがやく栄誉の一ページを残したのである。

 ディスレリーの父は、ユダヤ人の子であるというひけ目から、彼を三、四流の中学に入れた。だが、この頭のするどい少年は、やがて同級生が皆馬鹿に見え出し、学校を止めて家に帰り、一日十二時間づつの独学によって自己を磨き上げていったのであった。

 政界におけるディスレリーの業績は華々しかった。彼の大演説は、当時の人々をうならせたばかりでなく、音声もジェスチュアーもないその速記文でさえ、長く後世の人々を感動させたのである。彼の言葉は真理をつき、英政界に巧みに偽装され誤魔化されている人間性の悪をひきはいで見せた。彼は弁説家である以前に文章家であったのだ。

 ディスレリーはまぎれもなく天才であった。彼は英国の政治史に不朽にかがやく巨星である。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/27(月) 09:26:14|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 戸松は天才を愛慕する……偉大なる凡庸は、現実の世界に歓迎され、理解されるが、天才は未来の人類に憧憬され、親しまれる。歴史はつねに、人間愛に立つ天才の創造力によって新しい文明と時代をきりひらいてきた。天才が民衆に理解されるには長い時間が必要である。だが、一度、国家民族が動乱の波にほんろうされる時、民衆はかならず天才の啓示を待ち望む。そして、今、戦乱の日本は崇高な天才を必要としていた。

 イギリスにチャーチルあり、アメリカにルーズベルトあり、ソヴェートにスターリンあり、ドイツにヒトラーあり、イタリアにムッソリーニあり……各国には、偉大な天才とまではいかなくとも、個性に富んだ秀峯のごとき人傑が、それぞれそびえている。

 だが、日本にはいなかった。大いなる凡庸すらもいなかった。日本の政界は、指導力のないおみこしをかついで、その時々の勢いに流れていくだけであった。

 戸松は日本の指導的人々に失望を感じつつあった。それだけに過去の英雄天才を、国境と人種をこえて敬慕したのである。

 彼は偉大なる先輩の人格、才識を尊敬するとともに、その夫人の人徳、態度をさぐる。その彼に感銘をあたえたのが、ディスレリーの妻であった。

 彼が賞讃するディスレリー夫人というのは、こういう女であった。

 彼女はディスレリーの政治的先輩の未亡人で、ディスレリーよりは、十三、四も年上であったらしい。ディスレリーが結婚したのは、三十五であるから、五十近い年配であったと思われる。豊かな財産をもっている上に、深い精神のもち主であったから、ディスレリーにとっては最大の精神的共鳴者であり同志であった。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/28(火) 14:59:45|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 ある日、ディスレリーは議会で演説をするために、夫人とともに馬車にのって出かけた。馬車の扉をしめる時、夫人は指を扉にはさんでしまった(どの程度にはさんだかは不明だが)ひきぬく暇もなく馬車は走り出した。声をあげて馬車を止めようと思ったが、その時には、すでにディスレリーは腕を組み、じっと眼をつむって演説の腹案をねっている様子である。夫の思索をさまたげることをおそれて、馬車がゆれる度にちぎれる程に痛む指をはさんだままとうとう議院まで耐えていった。

 こう云うように、夫にたいしては没我的な夫人であったから、ディスレリーも誠意をかたむけてこの夫人を敬愛した。

 彼は多数の婦人から崇拝され、ビクトリア女王ですら、彼にたいする信愛は一方ならぬものであったという。だが、彼の夫人にたいする忠実と貞操は、終生かわることなく、美しくも純粋につらぬかれた。

 戸松はディスレリー夫人のこの豊大な才能と精神を、わたくしに求めていた。しかし、人生を大半体験しつくした年長の妻が、女神のごとく豊富にあたえる夫への愛情は、二十代の妻の浅い心からは到底生まれてこなかった。話をきくその度毎に、頭ではえらいなあと理解しても、心に深く根をはって育っていくということはなかった。

 戸松の心の中には、このディスレリー夫妻の精神態度が、歴史を越えて現実に生き生きと躍動していた。だが、わたくしにとっては、それはあくまでも、歴史の彼方にそびえる大いなる精神の化石であったのだ。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/29(水) 14:10:36|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第一巻春雪の巻

 戸松の理想とする妻の人間像が、あまりにも気高く偉大なものであるために、それをめざして進んでも、そこに到達する自信はわたくしには殆どなかった。そのためか、自発性も創意工夫もおきて来ない。ただ示された方向になんとなく向っているにすぎなかった。

 滬西の家の多くの人間の動きの中で、わたくしは黙って彼の行動を見つめていた。無能な妻は、今の場合、そうしていることが最も彼の心にそう事のように思われたからである。心の中には、非哀と不満にぬれた琴線が、いくすじもいくすじもはりつめられ、誰かが刺激を加えたら、それはいっせいに鳴り出しかねないほどに鋭敏になっていたのだが……

 だが、誰もが親切で平和であった。戸松が思いついたように近づいて来ることがある。

 彼は黙ってわたくしの背後にまわり、よじれたバンドを直したり、まくれた洋服の衿をなおしてから、背中をぽんと一つ叩いて行ってしまう。ただそれだけの表現の中に、彼の妻にたいする信頼と愛情がこめられていたのかも知れなかった。

                  (43 43' 23)

にほんブログ村
FC2 Blog Ranking

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/30(木) 10:43:46|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

プロフィール

國 乃 礎

Author:國 乃 礎
   綱 領
政官財・癒着根絶
マスコミ横暴撲滅
国賊売国奴殱滅
現行憲法廃棄
日米安保破棄

最新記事

カテゴリ

未分類 (6)
提言 (1)
理念と使命 (1)
目的・活動 (1)
遺言状(救國法典) 戸松慶議著 (660)
生存法則論 (第二巻 思想篇) 戸松慶議著 (3)
永遠の道 戸松登志子著 (2159)
新聞 (17)

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログランキング

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村

ブログランキング

FC2 Blog Ranking

月別アーカイブ

アクセスカウンター

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR