いしずえ

第二巻受難の巻

 女はとんでもない……というように奇声をあげると、強く頸をふりたてた。そして声高にぺらぺらしゃべりたてながら歩き出した。

 五十ドルに負けろといったことが、交渉の余地もないほど馬鹿げたねぎり方であったことは云うまでもない。

 夕食のあとで、米の不足をどう解決するかという問題が話題になった。牧谷氏はまだ外からかえっていない。青年と婦人達はいかにしてやすく大量の食糧をかくとく出来るかを考えた。

 篠原青年の話によると、大体やみ米の市価は八十ドルだという。その中国人は、わたくし達を日本の女とみくびって、十ドル高くかけ値をしたわけだ。

 一人一日三合平均に計算して一月に二升不足となり、六人分では一斗二升、約千ドルを要することになる。

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  1. 2015/11/01(日) 14:20:49|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「篠原さん、どうでしょう。食費を四千ドルにしてもらうことは出来ないかしら。わたしからも戸松に手紙を出しておきますから、あなたも事情をかいて承諾をうるようにして下さいませんか?」

 戸松が出立する時、経済的に困るようなことがおきたら、篠原君に相談するように、といっていた言葉を思い出して、この問題こそその言葉を利用すべきだとわたくしは考えた。

 「うーむ」

 篠原は思案ぶかそうにうなった。ぐっと顎をひくと、真四角な顔が一まわり大きくひろがって見えた。

 黒々と日焼けした皮膚は青年らしいたくましさにかがやき、大きな眼は真直ぐに一点を凝視して動かない。邪心のないすがすがしい思考の態度であった。

 やがてのこと、彼はいった。

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  1. 2015/11/02(月) 09:09:22|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「奥さん、なんとか工夫できませんか。先生が云いのこされた一定の方針をまもることが、留守をあづかったぼくらの責任ですからね。半年ぐらいの間、足りないところは芋でも食っていましょうや」

 「大蔵省がこういう堅物ですからねえ……当分芋をくわされることになりそうだなあ……」

 本田が自嘲的な笑いをうかべながらいった。

 「お芋ね……いいじゃないの?御飯の中にお芋をどっさりまぜたら配給だけでなんとか間に合うんじゃないかしら」

 堀下夫人がくったくのない声でいった。

 「うちの主人なんか、毎日お芋御飯をたべさせたら悲鳴をあげるんじゃないかしら。里芋や大豆の御飯なら、時々ならば喜んで食べるようだけど……」

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  1. 2015/11/03(火) 09:00:48|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 牧谷夫人が、おだやかな微笑をうかべながら、気乗りうすそうに云った。

 「ぼくも、さつま芋の飯はどうも……」

 本田も、今から閉口してしまったような顔をしている。

 「芋がいやなら、大豆でも菜っ葉でも何でもいい。米のたりないところは、外の物で補いましょう。戸松先生だって、東京ではおそらく代用食ばかり食べておられますよ。上海では米を買おうと思えばいくらでも買えるから、ぜいたくな気もおきるんだが、内地へ行くと買う自由さえない。一つ、われわれも戦時体勢でいこう。工夫しよう。がまんしよう。」

 篠原の顏は、意志のかたまりのように不動の色を見せている。

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  1. 2015/11/04(水) 10:23:31|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「じゃあ、そうしましょう。さしあたり今足りなくなった分だけ買うことにして、この次の配給分からは一日の消費量をきちんときめて、代用食をつかうことにしましょう」

 すこぶる一方的な話のすすめ方であったが、形式だけは合意による一決ということになった。

 米の不足が論議されて数日後、まさかそれが原因というわけでもあるまいが、篠原青年は断食行をはじめた。彼らの拠城である階下の洋間にとじこもったまま、一歩も出てこない。

 四日目に、わたくしは苺のシロップのびんを抱えてドアを叩いた。

 間もなくドアがあいて、中からカーキー色のワイシャツを着た篠原青年が、

 「や、奥さんでしたか……」

 白い歯を見せてにこにこ笑いながら出てきた。

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  1. 2015/11/05(木) 16:20:43|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「三日も食べないのに一寸もやつれていないわね。何日間つづけるんです?」

 「三日や四日食わなくてやせるような粗末な身体ではないつもりですよ。しかし、はじめての経験ですから、今回は一週間でやめておきます。先生は最初は一週間ぐらいからはじめた方がいいといっておられましたから」

 「断食者にたいするお見舞はこんなものしかないわ。水でわってのんで下さい」

 わたくしはシロップのびんをさし出した。

 「いやあ……これは……」

 彼は右手を頭のてっぺんにのせると、断崖絶壁の後頭をなでおろしながら、感謝とも当惑ともつかないような顔をした。そして云った。

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  1. 2015/11/07(土) 13:53:43|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「せっかくですが……それは断食がおわってからいただきます。一応あずかっておいて下さい。断食中はやっぱり水以外のものは口にいれないことにしたいんですよ」

 彼の笑顔に、数秒、申しわけなさそうな弱々しい影がはしった。

 「あ、そう……そういう決意ならば……じゃあ、一週間目にはスープをつくってあげましょう」

 「いや、そういう特別な心配はいりません」

 彼はあわてたように頸をふった。そして青年らしい自己誇示にみちた口調でいった。

 「味噌汁と芋飯の芋だけもらってだんだんにならしていきます。ぼく達は何んでも自分の責任においてやりますから、いちいち奥さんが気をつかわないで下さい。気をつかわれると、やりたいことも出来なくなります。余程のことでないかぎり、見て見ない風をして知らん顔をしていて下さい」

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  1. 2015/11/09(月) 13:41:26|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 彼の顏は笑っていたが、一歩たりとも自分の領域に立ち入ってもらいたくないという断乎たる意志がみなぎっていた。それは見ようによっては傲慢でもあり、又、気負った笑顔でもあった。

 「それじゃあ、お大事に」

 善意をすべて否定されながら、わたくしは一つの義務を果したようにほっとした。

 そのまま二階に上らず、玄関の石段の上まで出てみた。庭から子供達のキャッキャッというにぎやかな声がきこえたからである。

 「おばちゃん、早く早く」

 牧谷の子供達が二階を見上げて大声でさわぎたてている。

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  1. 2015/11/11(水) 13:34:31|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 やがてのこと、二階の窓から紙をかためたようなものが落下してきた。堀下夫人が子供達の相手をしているのであろう。

 球はゆるいスピードをもって子供達の前方に落ちてきた。二人の手をあげてつかみとろうと走りよったが、球は六つになる隆ちゃんの胸の前をすりぬけて下に落ちた。

 「わッ」と云いつつ、後ずさりして拾おうとするのに、駈けよってきた三つの尚ちゃんがどんとぶつかって尻餅をついた。

 「わーっ」という泣声、

 むっちりと円くふくらんだ顔が、もみくちゃにされたようにくしゃくしゃになり、いっぱいに開けられた口洞が、尚ちゃんの心境をうったえるかのように派手な泣声を連発させていた。

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  1. 2015/11/13(金) 15:50:34|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 それは大人達に出てこいという命令でもあった。

 わたくしが走りよって助け起そうとしていると、二階からも堀下夫人が飛ぶようにしてかけ下りてきた。

 牧谷夫人は二階のベランダから首を出した。

 そして、 「一人で起きなさいッ、隆義、手伝ってやりなさいッ」と、号令をかけた。

 隆ちゃんはいたわるように弟を助け起すと、「これでいいか?」というように、二階の母親を見上げた。この子は牧谷夫人に似て顔も性質も、おだやかで素直であった。

 弟の尚義は父親似で、風貌も性格も牧谷によく似ていて、野性的でやんちゃな子供である。

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  1. 2015/11/15(日) 13:01:47|
  2. 遺言状(救國法典) 戸松慶議著

第二巻受難の巻

 ずんぐりと太った身体の上に、まんまるくふくらんだ頭をのせて、ちょろちょろと走りまわる姿は、子豚のように愛嬌があった。

 つい、四、五日前のこと、この子が夜中にむづかり出した。むづかりたくなる理由があった。

 牧谷夫人はわたくしが滬西に引移ってくる一ヶ月前に出産した。しかも男の子と女の子の双生児である。精子がどういう風に配合されたものか、男の子は牧谷にそっくりで女の子は夫人にそっくりであった。

 一人分用意された産衣を二人は分けて着せられた。その日の都合では男の子が赤い着物を着せられ、女の子が兄達のお下りの兜や馬の模様の着物を着せられたりしていた。

 牧谷夫人は男の子の方を、特にかわいがっているように見えた。

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  1. 2015/11/16(月) 15:20:49|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 牧谷夫人は男の子の方を、特にかわいがっているように見えた。

 「この子達が生まれる前の晩、西郷隆盛がだんだん小さくなって、わたくしのお腹の中にはいってしまった夢を見たのよ。昔からえらい人が生まれる時には、母親がそんな夢を見るそうじゃないの。だから……この子もきっと西郷隆盛の生まれ代りかもしれないわ」

 彼女は慈愛にみちた顔で、男の子にほほずりをした。

 小隆盛は、母親の夢にこたえるかのごとく、女の子よりは一まわり大きく、太っていて、でっと落着いてほとんど泣き声をたてなかった。

 牧谷夫人は忙しかった。母親が足りないからミルクをとかしてあたえねばならない。その上二人分のおむつの世話である。母親を独占していた尚義は、急に母親から疎外されはじめたのである。

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  1. 2015/11/17(火) 10:36:27|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 彼はそうした身の不運をぐちるかのごとくよく泣いた。環境に抵抗する子供の癇癪というべきものであろう。

 夜中にむづかり出した尚義を、牧谷は横抱きにして外に出、門番小屋の中にとじこめてしまった。久しく人が住んだことのないその建物は、窓はやぶれ、埃におおわれ、蜘蛛の巣が破れ網をはりめぐらしたようにぶら下っていた。

 ニ十分ぐらいは大声で叫んでいたが、つかれたのか、それとも諦めたのか、ぱたっと泣き止んだので、しばらくたって牧谷がそっと覗いてみると、暗闇の中にどっかと坐ったまま、ぽかんとした顔をしていたというのである。

 朝食の時、牧谷は得意そうにこの話をした。

 「暗闇の中でどっかり坐りこんでいる度胸は大したもんだ。三つの子供とは思われん。隆義にはこういう芸当はできないだろう。これは今に豪傑になるぞぉ、大物になるよう……」

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  1. 2015/11/18(水) 14:01:58|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 隣りで茶碗の中をつついている子供の頭をなでながら、牧谷は相好をくずして無邪気に得々としてよろこんでいた。

 この父親の希望と関心を知ってか知らずか、尚義は父親によくなついた。欲求不満をおこさせる元兇は母親であるが、いつしか堀下夫人がその穴うめの役割にまわされていた。彼女は東北育ちでまめまめしくよく立働く女であったから、すすんで子供達の世話をやいたり、遊んでやったりしていた。

 母親の補助的役割を果している堀下夫人が、二階から走りおりてきたことによって、尚義は満足したのであろうか、彼はけろりとした顔で立上り、次の瞬間、新しい関心物に眼をかがやかせた。わたくしの手にある苺のシロップである。化粧壜にはりつけたレッテルには苺の山が鮮やかに描かれている。

 「それ、なあに?」

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  1. 2015/11/19(木) 22:25:20|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 子供達の直感は、自分らの好みのものであることに気づいている。

 「ちょうだい、ねえ、ちょうだい」

 隆義の手が壜にかかった。尚義はあんぐり口をあけて壜を見上げている。自分の意志を兄に代表させたままぽかんと見上げている。牧谷のいう通り、将の器たる素質があるのかもしれない。

 「これは篠原おじさんのだから、おじさんにお許しを受けていただきなさい」

 わたくしはシロップを隆義にわたした。それを両手でしっかり抱きかかえると、「おじさーん」と云いながら玄関から洋間にとびこんでいく。

 やがて、開け放されたドアのかげから、もつれるように飛び出してきた二人の子供は、よろこび勇んで母親をよびながら二階に向って走り出した。

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  1. 2015/11/20(金) 14:47:40|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 日本の釘

 無邪気な幼児は、企まずして環境の主となる天与の特性をもっている。それは彼らが何物にも憚からず、溌刺とのびていくための神のはからいである。彼等を片隅におしやって、何人がその場を占有することができようか。神からあたえられた人間の良心は、それを罪悪であると謗るであろう。

 経済上の責任をまかされている篠原も、生活上の実権をゆだねられているはずのわたくしも、牧谷一家に伍しては半端な奇生的存在にすぎなかった。人間関係の心理的物理的作用は、必然的にも牧谷親子を生活の中心にせざるを得なかったのである。

 その上わたくしには、家庭生活の統率者としての体験も貫禄もない。結婚生活十数年の歴史をもつ牧谷一家を自分の方針に吸引して、うむを云わさずひっぱっていく力などあろうはずはなかった。

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  1. 2015/11/21(土) 14:04:50|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 それどころか、わたくしの胸の中には、結婚早々牧谷から釘をうたれた一つの言葉が、永遠の掟のように克明にきざみこまれていた。

 「戸松氏とわたくしは十年以上の交わりですからね。昨日、今日はじまった戸松氏とあなたの関係とは違うということを頭にいれておいて下さい」

 わたくしは彼のこの言葉の魔術にあやつられるかのごとく、意識して牧谷夫妻の意をむかえようとした。

 戸松はわたくしのそうした腰の弱さを知ってか、それとも知らずしてか、出立にあたって、さらに太い釘をあらたに一本打ちこんでいったのであった。

 「留守中はぼくの代理をつとめるつもりでこの家を秩序づけるようにしてくれ。戸松の妻である自覚をもってあたりなさい。独り者が多いのだから、酒は家ではのませないように、酒は心を乱しやすいからね。若し牧谷が飲みたいのだったら、彼に渡された金で買って、妻君相手にのめと云いなさい」

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  1. 2015/11/22(日) 13:56:41|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 わたくしの心は両方から釘づけにされて、動きのとれないものになっていた。二つを一つにして適当にさばいていく術を知らない人生の未熟者は、子供を見れば牧谷夫妻に同調し、戸松を思えば牧谷一家のムードにまきこまれまいとし、しまいには、意地になって戸松の言葉を固守しようとした。

 自分の方針をおし通そうとするわたくしの家婦ぶりは、牧谷夫妻には不満だらけのようであった。

 「奥さん、夕飯もっと早くならない?子供は日が暮れると眠くなるのよ。眠くなると御飯なんか食べなくなるのよ」

 「大人はとにかく、子供だけには毎朝卵をやってもらえないかしら。今、発育盛りだからね」

 「主人も本田さんも肉の量が少ないってこぼしていたわ。お金のつかいようではもっと肉が買えるはずだって云うのよ」

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  1. 2015/11/23(月) 20:52:12|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「主人も本田さんも肉の量が少ないってこぼしていたわ。お金のつかいようではもっと肉が買えるはずだって云うのよ」

 「朝鮮づけを男の人達は食べたいらしいのよ。材料費が大分いるかも知れないけど、主人に漬けさせたらどうかしら」

 「男の人達は夕飯にお酒がないのは淋しいらしいのよ。時々サービスしてやってもらえないかしら」

 牧谷夫人は機をとらえては不平や要求を、笑いにまぎらせながらねっとりした口調で云った。人の心を動かす巧妙な主張であった。

 いっそ牧谷夫人に一切をゆだねようか……その都度わたくしは動揺した。大人六人、子供二人の食生活を、三千ドルで彼らが満足できるように支えていく自信など、埃ほどにも持てなかった。

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  1. 2015/11/24(火) 09:01:56|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 心が大きくゆらぎ始めると、不思議にも忽然として戸松の言葉がよみがえってくる。それは動揺をくいとめる防波堤であり、勇気の根源であり、又十字架の掟にもひとしかった。わたくしは戸松の妻の座という十字架に立って、彼の掟にしたがわねばならなかった。

 彼の意志は波濤を起えてわたくしの心をむちうち、一歩たりとも後退することを許さない。いや、むしろ、わたくし自身が彼の意志に射すくめられていたというべきかもしれない。それは苦渋ではあったが、女としてもっとも権威ある生き方でもあった。

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  1. 2015/11/25(水) 14:02:25|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 ガスがないから炊事は主として炭をつかわねばならない。八人家族で二俵半の炭が配給になるのであるが、一俵が日本の俵の二分の一ぐらいの量で、信玄袋を平たくしたような菰の袋にはいっていた。

 しかも、十月にはいって急に値上りして倍になったのである。配給をとりにいった堀下夫人とわたくしは、思わず顔を見合わせた。

 堀下夫人は持前の直情ぶりを発揮して、秋になって急に大幅の値上をするのは不当ではないかと抗議した。しかし、使用人らしい中国人の若者は、そんな事はわれわれの知ったことではないと笑いとばした。

 これから寒さにむかって、二俵半で足りるはずがない。いづれ闇炭を買わねばならなくなるだろう。生計費の中に大きく位置をしめる燃料の脅威が、第二の不安となってあらたに襲いかかってきた。

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  1. 2015/11/26(木) 15:28:22|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 青白い顔をした中国人の青年は、奥から俵をひきずり出して二俵だけわたくし達の足元におき、他の一俵の口をほどいて威勢よくひっくりかえした。

 ガラガラッとにぎやかな音とともに、炭の粉が立ちのぼり、子供の頭ほどもあるさまざまの形をした炭の塊が、ごろごろところがり出した。何という無格好なグロテスクな炭だろう。雑木の根株を焼いたものと思われる雑炭である。

 青年は炭の山を二つに分けると、こちらの山を指さして、これがあなた方の炭だと云った。

 堀下夫人は二つの山の中間に立って等分に見比べていたが、すばやく向うの山の大きな塊をつかみあげると、さっとこちらの山に移し、お前の分け方はだめだと青年を叱りつけた。

 青年は何やらしゃべりながら、その炭を取りもどそうとする身振りをしたが、ふと思いついたように止めて「ほうほう」と肯定するように、人のよさそうな笑いをうかべた。

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  1. 2015/11/27(金) 15:32:04|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 空俵に炭をつめさせると、堀下夫人は表に出てワンポーツを二台よびとめ、車夫に命令して一俵はわたくしの足元に、一俵半を自分の足元につませ、開納路まで一ドルで行けと命じた。

 彼女は滬西の生活五ヵ月の間に、毎日中国人相手の買物をしてきたせいか、わたくしの到底及びもつかない買物の手腕を見につけていた。一度買物籠をさげて野外に出ると、わたくしは彼女の実力に追従せざるをえなかった。

 野菜でも肉でも、彼女はけっして云い値どおりには買わない。たとえ云い値どおりに買ったとしても、勘定を払ってから、ちょいと一つかみ取りあげて、「負けてちょうだい」と云いながら籠にいれてしまう。その素振りが、いかにも悪戯っぽく素朴であったから、相手は怒るどころか、ゲタゲタと笑ってしまうのである。

 くそ真面目で世なれないような顔をしていながら、経済生活にかけては、たちまち機敏さを発揮するこの能力は、おそらく彼女の先天性に根ざしたものであろう。

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  1. 2015/11/29(日) 14:44:15|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 彼女は大体無口でこつこつ働く実行肌の女であるが、時には心の中をガラッとひっくりかえしたように、愚痴や不満を並べたてることもあった。

 ある時、わたくしは用事があって中二階にのぼっていった。ここは家の裏側から鉄の階段づたいにのぼるようになっていて、六畳位の部屋にベッドが一つおいてあった。窓が一つしかないので監房のようにうすぐらい。前には広瀬夫婦が住んでいたが、今では不用品を積込んでおく倉庫がわりになっていた。

 ドアの前に立った時、錠があけてあるのに気がついた。鍵は二つあったから、誰かが何かをとりに入っているのだろうと思って扉をあけてみると、堀下夫人がベッドの片端に腰かけて編物をしていた。

 ベッドの上には行李やがらくた物が山のように積まれている。その僅かな空席にお尻を半分かけているのである。

 彼女はわたくしの顏を見てニヤニヤッと笑った。

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  1. 2015/11/30(月) 13:29:19|
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國 乃 礎

Author:國 乃 礎
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