いしずえ

第二巻受難の巻

 食事の時一同が日本間にあつまると、きまって本田が皮肉めいたことをいった。ある朝、食事のあとで彼はいった。

 「雌鳥時を告げて国乱れるとはよくいったもんだ。だから僕は女房なんかいらないっていうんだ」

 牧谷は下を向いてくくっと笑った。篠原は黒い眼をいよいよ澄ませて、じっとわたくし顔を見つめている。わたくしの表情の動きを観察しているような眼だ。

 牧谷夫人と堀下夫人が顔を見合わせた。何かわれわれに関係のある皮肉だと、わたくしは直感した。

 「何かあったの!!」

と、わたくしはきいた。

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  1. 2016/07/01(金) 09:29:03|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「何があったか、めいめい考えてみるとわかることですよ。誰かさんのような人がいると、せっかくの団結もめちゃめちゃになってしまう……」

 云うなり、本田はすっくと立上ると部屋から出ていってしまった。つづいて篠原も、意味ありそうな視線をのこしたまま立上り、牧谷も子供の手をひいて出ていった。

 「どうやら、わたしの事らしいわ……」

 わたくしはつぶやいた。彼の忠言をききいれず本を飾ったままにしておいた報復か……と思った。それにしても、篠原までが、彼の皮肉を肯定し、抗議するような素振りをみせたのはどうしたことか……

 口の中にお茶をふくんだまましばらく喉に送りこむのもわすれて、わたくしは考えこんだ。

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  1. 2016/07/02(土) 13:16:15|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「気にすることはないわよ、本田さんはまだ若いから、女の事を何だかだとケチをつけてみたいのよ」

 牧谷夫人がのみこみ顔になぐさめた。

 「だけど失礼ね。女は三人しかいないじゃないの。その中の誰かさんといったら、あんまりはっきりしすぎるわ。まさか牧谷さんの前で、奥さんを皮肉るようなことはしないでしょうから、わたしか戸松さんの奥さんか、どっちかにきまっているじゃないの」

 堀下夫人は自分のことのように憤慨した。

 それ以来、彼女は裏二階に立てこもる時間が多くなった。裏二階にいないときは、玄関わきのそなえつけの腰かけにかけて、こつこつ編物をしていた。時には花野氏の小学一年の女の子をからかっていることもあった。雌鳥時を告げて……と皮肉られないように、気をつかっているのかも知れなかった。

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  1. 2016/07/03(日) 14:03:11|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 牧谷夫人は、

 「戸松さんの留守の間は、みんな仲よくしなきゃね」

と、あらだって喧嘩している者もいないのに、繰返していった。彼女がすべてを知っていて、人間関係を破綻させまいとして苦心していることはたしかであった。

 わたくしは篠原とゆっくり話しあってみたいと思った。

 彼もわたくしに不満をもっているか、どうか。もっているとしたらどんな種類のものか。その不満が正当なものならば、わたくしも考えなおさねばならないと思ったからである。

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  1. 2016/07/04(月) 09:27:17|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 ところが、彼と二人きりになる時間はなかなかなかった。朝夕は本田といっしょに起居しているし、昼間はほとんど家にいない。

 彼らは家で会合することをしないで、陸軍部の村上の部屋か虹口の方で集まっているようであった。戸松が出発してから後は、絶えて仕事のはなしを耳にしたことがない。

 もの問いたそうにしてわたくしが彼の方を見ると、彼もわたくしをまっすぐに見る。いろいろの風評を耳につめこんでいて、それが事実かどうか、自分の眼でたしかめようとしているような眼だ。彼にきいたとしても、おそらく迂闊に口を開くようなことはしないだろうとわたくしは感じた。

 もやもやした数日がすぎて、日曜日、村上がやってきた。

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  1. 2016/07/05(火) 17:31:10|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 この前別れる時、陸軍部でしる粉をつくる日にはまた迎えにきてあげますよと云っていたので、わざわざ来てくれたのだろうとわたくしは思った。

 ところが、彼は客間にはいるやいなや、「やあ」と、みんなに一様に声をかけたまま、どっかと椅子に腰をおろした。この前のように、「先輩の留守ですから、奥さんに敬意を表します」などとは云わなかった。むしろ、眼中にないという態度であった。

 そして云った。

 「今日はみんなに喜んでもらおうと思ってきたんだ。俺に恋人ができたんだよ」

 「村上さん、どこの人……どんな人……日本人なの……」

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  1. 2016/07/07(木) 16:04:02|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

新聞 いしずえ 夏季号 7月1日発行 №36

新聞 №36

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  1. 2016/07/07(木) 21:31:47|
  2. 新聞

第二巻受難の巻

 話題に飢えていた堀下夫人は、面白い小説にでもとびつくように、続けさまに問いかけた。

 「タイピストですよ。まず、例えていうならば、白百合の君というべきかな」

 「うわー、大分のぼせているわ。痘痕も笑窪ってね……」

 牧谷夫人が冷やかした。

 「ほんとですよ。今度いつか連れてくるから見て下さいよ。掃溜に鶴が下りたような女ですよ。ああいう女は上海中さがしてもいないね……」

 理想的な恋人を得て、彼はよろこびの絶頂にある。そのため節度をうしなって尊大になっているのだと、わたくしは考えた。

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  1. 2016/07/08(金) 15:05:45|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「掃溜に鶴のような女って、どんな人かしら……」

 堀下夫人は好奇心に眼をかがやかせている。

 「しとやかな日本的女性ですよ。僕は西洋かぶれしたような女はきらいなんだ。西洋にあこがれているような女は真っ平だ。僕のえらんだ女は、平安の絵巻からぬけ出たような純粋の日本人女性ですよ」

 「そんな上品な人をつれてこられたら、わたし達窮屈でたまらないわよ」

 夫人達は声をそろえて笑った。本田はだまってにやにや笑っているだけである。

 村上は繰返し繰返し、同じことをいって恋人をほめたたえた。

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  1. 2016/07/09(土) 16:08:11|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 彼がしつこく繰返す度に、わたくしは彼の言葉の中にわたくしにたいする皮肉を感じとった。村上もついに本田のがわにまわってしまったか……

 彼がわざわざ恋人のできたことを発表しにきたのには何か意図がある。本田がいっていた、戸松の妻としてふさわしくないということを遠廻しにいっているのではあるまいか。牧谷や篠原がわざと座をはずし、子供の相手になってあそんだり、下着の洗濯をしているのも、何か心あってのことにちがいない。

 村上は、その中に戸松先輩にも報告するつもりだ、といって帰っていった。

 その夜、わたくしは敗北を感じながら、机の上の本をとりはらった。裏二階にもっていくために紙につつみ紐でしばった。もう小さなことで、青年達と摩擦をおこしたくないと思った。

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  1. 2016/07/11(月) 15:32:39|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 村上が本田や牧谷などと一緒になって怒っている理由は、トルストイやカロッサのためではなく、戸松の話を思いすごして受けとった鈴木氏の手紙にあったのであるが、そんなことは、わたくしも、おそらく戸松も、当の鈴木氏すら、夢想だにしえなかったことである。

 不快を蒲団に叩きつけるようにしながら、荒々しくベッドの支度をし、向い側のベッドの上で着物をぬいでいる堀下夫人に「お先に」と声をかけて蒲団の中にもぐりこんだ。しばらくたって堀下夫人が、電気のスイッチを切った。

 わたくしは暗い天井の一点をじっとみつめつづけていた。すると孤独の淋しさが、黒い冷たい霧となってもうもうとたちこめ、身をよせるところはこのベッド以外にないような切なさを感じさせた。

 発狂してしまいたいような淋しさであった。そして、ふと、沙翁の筆による狂えるオフィリヤの死を思った。

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  1. 2016/07/12(火) 13:30:19|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 清らかな小川の中に花をいだいたまま漂っている少女の白い空しい姿を、美しくも悲しいものに思った。やがてのこと、オフィリヤは自分の姿にかわった。浮んでいるのは古城のほとりの小川ではなく、黄浦江の濁った流れの中である。

 青白い自分の死体が、濁流にもまれながら、揚子江の茫漠たる流れの中にただよいこんでいくさまを連想した。


  安価の和

 週に一回、虹口の銭湯にかよった。西安寺まであるき、そこから電車にのって虹口の終点でおり、近くの風呂屋で頭のてっぺんから足の爪先まで洗いたてて、そのまま引返してきたとしても、ゆうに四時間はかかった。

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  1. 2016/07/13(水) 08:48:49|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 金があっても暇のない者には出来ることではない。わたくし達には金はなかったが、暇をもてあますほど有り余っていた。毎日でもゆきたかったが、経済がゆるさなかった。

 滬西の家には大きな浴槽もあたったし、スコット―路からはこんできた粉炭もあった。しかし、ボイラーが不能であった。

 たとえボイラーを修繕してつかえるようにしたとしても、赤ん坊を加えた十人家族ではカマス二、三俵の粉炭など、またたく間につかってしまうにちがいない。洋式の浴槽は何人もで湯を兼用することができないから、一回一回すてて入れ替えねばならない。

 手持の粉炭をたきつくしてしまったら、あとの燃料を手にいれる方法がない。いや方法はあるとしても、一月分の食費の半分をぎせいにでもしないかぎり、一月分の石炭を買うことはできないのである。

 つまり、自家用の風呂にはいろうと思ったら食うことをあきらめねばならない。そこで無理をするよりは、燃料の配給をうけている銭湯へ行った方が手っ取り早いということになる。

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  1. 2016/07/14(木) 05:23:00|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 十一月の下旬にになると、急に寒い日がつづくようになった。特別に寒い年だったのかもしれない。人々はあわてて暖房の用意をはじめたが、燃料が思うように手に入らなかった。

 石炭はとくに不足しているようであった。南方の海路を遮断された軍部が軍事物資を大陸に依存し、御用商人を放って買いしめているときであったから、石炭もそのあおりをくって円滑に販売されなかったのかもしれない。

 「これだけの粉炭は、二千ドルで売れるかもしれないよ。もう少し様子を見て、値が出たところで売った方がいいかもしれないね」

 燃料の不足が話題にのぼったとき、牧谷がいった。

 なるほどそういう手もあったか……不用物を売って金にかえるということは、生活の一つの知慧かもしれない。めぐまれた生活体験からは生まれ出ない着想だ。

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  1. 2016/07/15(金) 05:23:00|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 二千円の余裕があったら、当分の間芋飯を解消することができる……と、わたくしは考えた。ところが牧谷は、

 「あれを売ったら老酒が大分飲めるよ……」

と、老酒に思いをつのらせるかのごとく両眼に熱気をたたえてにやっと笑った。彼にとっては金の余裕即酒であるらしい。

 「そいつはお気の毒だったなあ。あの粉炭はもう嫁入口がきまっちゃったんだけど……」

 「え?」

 本田の言葉に、みんなあっけにとられたような顔をした。

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  1. 2016/07/16(土) 14:07:05|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

天皇退位

 を本気になって論じている人があるが、天皇に退位はない。国体原理がそれを許さないのである。天津日嗣、天津穂嗣される方は、万世一系でしかも地上において唯一人天皇のみであるから退位はあり得ないのである。これは人為の所産ではなく、神道むすびの原理がこれを定めているのである。

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  1. 2016/07/17(日) 00:22:00|
  2. 生存法則論 (第二巻 思想篇) 戸松慶議著

天皇神格の形式的一例証

 人倫には孝をもって百行の本になしているが、天皇はこの人倫の孝が許されないのである。それは天皇崩御せられた場合、皇太子は同時に践祚になる。神器を大御神からお受取りになり、天津日嗣、天津穂嗣せられ、天皇となる。天皇は先帝の御葬儀には参列しないことになっている。孝という面からすれば人倫に悖るが、天津日嗣、天津穂嗣の天皇の大業からすれば、人倫の孝行など渺たるものである。これが神格の一つの現われである。天皇の神格のむすびの原理それ自体が既によく物語っている。

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  1. 2016/07/17(日) 00:35:27|
  2. 生存法則論 (第二巻 思想篇) 戸松慶議著

天皇に親子妻子なし

 とは古来から伝来されてきたところである。一例をいえば、秩父宮殿下の自叙伝に「四才になってから、兄裕仁、父皇太子(大正天皇)と毎月の三日(明治天皇の誕生日)に宮中参内して祖父明治天皇のご機嫌をお伺い立てたものである。父皇太子、兄裕仁と私は明治天皇の居間のドアの前に立つと、何時も恐れ多いといよりは身震いするほど緊張したものである。順々と祖父の前に立って名乗りをあげ御挨拶申上げるのであるが、その時祖父は唇が微かに動くか動かぬ程度の態度をとられる他、一度も声をかけられたことがなかった。これが十一才になって祖父天皇の崩御せられるまで続いたが、その間遂に一度も明治天皇の肉声を聞いたことがなかった」とある。これは何を物語っているか、天皇には万民あって、子なく、孫なく、親がないことを示されているのである。それ程本能に逆らって、即ち肉親の情愛を超えて、われ等国民に奉じておられたのであり、それ程思召されているから、国民はまた天皇に奉じ弥栄のために安んじて、生命を投下し、国の礎となり国家の繁栄を続けて来たのである。獣類のように自己及び自己の妻子だけを考慮する天皇、皇太子であり、所謂自己基準の民主主義国家であれば、永く地球上に存在しないであろう。日本思想の偉大さはこういうところにもいかんなく現われている。天皇は公的に上御一人であり現人神現津神であり、皇后、皇太子、皇子、皇女すべて我々国民と同一の赤子であるにほかならない。

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  1. 2016/07/17(日) 00:56:03|
  2. 生存法則論 (第二巻 思想篇) 戸松慶議著

第二巻受難の巻

 「実は今、話しだそうと思っていた矢先だったんだが、二、三日前、禹さんの家で石炭に困っているような話をしていたので、家ではいらないからあげましょうと云ってしまったんだよ。近い中にとりにくるかも知れない」

 「みんなかね」

 牧谷が憮然としてききかえした。

 「三俵あるからっていっておいたから、当てにしているだろう」

 鳶に油揚をさらわれたようなものだ。老酒も銀飯も羽をつけてとんでいってしまった。

 スコット―路の家を出るとき、戸松が汗をふきふき、せっせとカマスに詰めこんだ粉炭である。本田の一存で勝手に人に贈れるはずのものではあるまい……むらむらっとわきおこった反発心が、喉まで勢いよく這いのぼってきた。しかし、言葉にはならなかった。理性があわてておさえつけたからである。

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  1. 2016/07/17(日) 20:45:32|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 贈る相手が禹夫人である。粉炭を贈ることをわたくしが拒んだというように宣伝されては、彼女との友情に傷がつく。このばあい、本田の独断に腹をたてて、感情的になるのはまずかった。

 わたくしは黙っていた。牧谷も黙然として一言も返さない。

 べつだん怒ったりがっかりしている風でもない。いたって感応のにぶい表情だ。水の流れを見つめているような、当然行くべきところへ流れていくことを肯定する、抵抗のない空気がそこにあった。

 本田の意志はみんな意志であったかのごとく、なんらの障害もなく寛大にうけとめられたのである。

 こういう雰囲気の中で、すじみちを立てて抗議したとすれば、抗議する者がわるいことになる。つまらぬことで和をみだしたことになるのである。日本の社会の和は是か非かが基準ではなく、その場のムードが和の焦点になる場合が多いのだ。

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  1. 2016/07/18(月) 13:26:56|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 本田を批難するムードはこの家にはなかった。批判の対象はむしろわたくしが一手にひきうけた立場にたっていたから、彼ら同志は味方意識によって許しあっていた。是であろうと非であろうと、とにかく、同類意識でむすばれ許しあった安価な和であった。

 風呂の不自由を一番通説に感じていたのは、牧谷夫人とその赤ん坊達であった。毎日湯をわかして、部屋の中で湯浴させていたが、風呂にいれないと十分に発育しないというので、十一月からは大人達といっしょに虹口に通うことになった。

 この銭湯行きがなかなか壮観であった。牧谷夫人が男の子を、堀下夫人が女の子を、それぞれおんぶし、一人は冬の綿入ねんねこで、他の一人は夏の袖なしのねんねこで子供をつつんだ。牧谷夫人の長野お母さんから贈られたというねんねこは、義理にも垢ぬけた近代的な柄とはいなかった。

 そして、隆義は堀下夫人に、尚義は牧谷夫人に手をひかれた。赤ん坊のおしめから着替え、その上に洗面道具、七つ道具のはいった二つの大きな風呂敷包みは、わたくしが持った。

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  1. 2016/07/19(火) 14:04:10|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 信州の山の中からまかり出たような土俗的なにおいを発散させながら、日本婦人の一行は意気揚々と中国人町をねりあるいて行った。

 この町では、どんな服装をしようと、珍妙に見えるということはなかった。服装よりも体裁よりも、それ以前の生きるという人間の基本的ないとなみが赤裸々に行われていたからである。

 役所から汚物車がまわってくるころになると、赤や黒で着色した一斗樽ほどの便器が表にもち出される。山吹色のしぶきをたてて、ざっと車の上の大きな容器があけられる。空になった便器は、主婦達がささらのようなもので中をがらがらっと洗って、さっと往来に洗い水をすてるのである。台所のごみと同じように人間の排泄物も、公衆の眼の前ではなやかに処理されるわけである。

 辻々は乞食がうずくまっている。そこが自分の生活の場所だときめこんでいるかのように、毎日同じ所にでんとすわりこんで、先生、娘々と飽きもせずよび声をくりかえしている。

 てんそくの老婆が、竹馬にのったような恰好でちょこちょこと歩いているかと思えば、赤いコートを着た娘が、ハイヒールの音も誇らかにさっそうと通りすぎていく。

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  1. 2016/07/20(水) 23:08:44|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 空車をひっぱった老いた苦力が、地獄からさまよいでた亡者のように、骨もあらわにやつれた姿で茫然とあるいているかとおもうと、その後から小気味のよい足どりで、客をのせた車を勢いよくひいてくる若い車夫もある。

 黒の綿入れの長衫を着た若者もおれば、青いぼろぼろの単衣の服を着てふるえている老人もいる。

 市場のちかくには、毎日のように二、三体づつ死体がほうり出されていたが、西安寺を経て南京路に通ずるこの大通りには、さすがにそれだけは見かけたことがなかった。

 この大通りをニ十分ほども都心にむかって歩いていくと、西安寺の停留所がある。ここは上海市を走る電車の西の終点になっているだけに、滬西の繁華街である。停留所をさかいにして、都心側には西洋風のレストランや喫茶店がならび、厚いガラス張のドアごしに、白いユニフォームを着たボーイ達のしゃれた身軽な動きがながめられた。

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  1. 2016/07/21(木) 21:23:35|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 反対側の開納路の方向には、中国風の茶館らしいものがならび、これらは土間に安テーブルをならべたままの、大衆向きのものであった。

 ここには昼過ぎになると、黒山のように苦力があつまってくる。店先ではトウモロコシ粉をこねあげた巨大なホットケーキのようなものを焼いている。さしわたし一尺はあろうかと思われる板のような硬度を感じさせる代物である。それを四十五度ぐらいの扇形に切って、客の所望する枚数づつ皿にのせてはこんでいる。

 苦力達は飢えた犬のようにそれにかぶりつく。よくかみくだかれない焼餅は、彼らがのみこむ度に、食道をくっくっと波打って下っていく。

 すすけたように黒ずんだ顔や首すじは、汗と埃と日射のたえまない刺戟によって、人間のものから動物のものに変質してしまっているようだ。皮革のような強靭さと硬さをおもわせる。

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  1. 2016/07/22(金) 10:43:26|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 この茶館の前には、いつも物売が陣どっていた。揚まんじゅうの屋台店もあれば、季節の果物や南京豆を筵にならべて売っている者もいる。

 客が屋台店にちかづくと、小柄な老人が一きわ高く売声をはりあげながら、まんじゅうをジュッと油であげて、小さく切った新聞紙にはさんで渡す。

 客は一ドル紙幣とひきかえに受けとって、ぱくつきながら立去っていく。腹の虫が満足するまで食べたい者は、立ったままで食べつづけるわけである。

 彼らは日本人のように物を食べることや用便をすることに、他人を意識した羞恥心や細かい神経をつかわない。歩きながら物を食べ、人前で平然と便器をつかう。この点、日本人よりはずっと素朴で野性的であった。

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  1. 2016/07/23(土) 21:08:56|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 夏のあいだはこの辺一帯は蠅の集合所でもある。店先の食べ物に、又苦力達がとりまいているテーブルの焼餅に、砂糖に蟻がたかりついたように蠅の群がへばりついている。

 餅をやくにおいが蠅をよぶのか、それとも人間獣的な彼らの体臭がよぶのかはしらないが、食べ物にも彼らの背や肩にも、煮ぶくれた黒豆のようにつやつやとふとった蠅がまといついているのである。

 彼らが動く度に、蠅の群もぱっととび立つ。しかし、けっして遠くへはいかないで、再び元の位置にはりついてくる。それは丁度、彼らの人生に共鳴し彼らに寄生し、彼らに媚びへつらっているかのようであった。

 このように人間を信頼している蠅が、日本のどこにいるであろうか。又、こんなにまで蠅に寛大な人間が、日本にいるであろうか。わたくしは時々立止っては、瞠目してながめいっていたものであった。

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  1. 2016/07/24(日) 13:52:49|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 食うこと、生きることに精魂をかたむけている人間には、善と悪、美と醜、清と濁を見きわめる余裕はない。なぜこういうみじめな生活に耐えてまで、生きつづけていかねばならないかを考える必要もみとめない。彼らは生まれ落ちたときから、生きることのみを教えられてきたのである。

 人間の自由や平等や、義務や権利をおしえられていたならば、彼らはトウモロコシの餅をかじって、じっとしていることは出来なかったであろう。なれなれしくまつわる蠅にまでなめられているかと憤慨したことであろう。

 しかし、彼らは文字を知らないのである。自由も平等も権利も義務も教えられていないのである。彼らには誇りもなければ操もない、虫けらのようにひたすら本能的に生きているのみである。彼らが人間らしく見えるのは今までの体験でなんとなく身につけた社会生活の最小のルールをまもっているからであった。

 このねばりづよく、たくましい生命力をもった彼らが、いつの日にか自我にめざめ、自由と平等とをもとめて立上ったとき、その時こそ、中国自体が世界に雄飛するときであるのかもしれない。

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  1. 2016/07/25(月) 15:40:19|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 滬西はこうした中国の生命力のうずまいているところであったから、中国特有の雰囲気と民族のもつ未知数のようなものをつつんでいた。

 虹口の日本人達は「滬西は気味がわるい、怖いところだ」といっている。たしかに、組織的に洗練された日本の社会からみるとき、はかりしれない不可解さと不気味さがみちみちているといえる。

 しかし、その不気味さは、自己以外にたよるもののない人間が、必死になって生きんとする赤裸々な苦悶そのものにあったといえる。

 であるから、そこに住みついてみると、不気味さよりも不快よりも、それ以前の生きるという人間の永遠の謎を感じさせられるのである。

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  1. 2016/07/26(火) 19:47:51|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 西安寺から先の電車の走っている地域は、ほとんど近代化された市街である。店舗も、町をあるく人間の容姿も、ガラッと変ってくる。ここは前にものべたように、中国ではなくて西洋である。

 婦人達はほとんど毛皮の外套をきていて、まるで獣の群が変装して町をのしあるいているようだ。上海というところは、毛皮を着なければならないほど寒いところではない。おそらく、植民地文化にまひしてしまった彼女らが、北欧人の真似をしているのであろう。真赤にぬった口や指の爪は、アメリカ人のまねである。とにかく、文化がたいはいすると、必ずといっていいくらい、女性は娼婦化してしまうものらしい。



  花野の威力

 あるとき、わたくし達のねんねこ部隊は、中国の西洋の中でもデラックス街ともいうべきキャッセイホテルの前で、とつぜん電車からおろされてしまった。

 上海特色のテロ事件にともなう交通どめである。この交通止めにであったら、まず一時間の立ちんぼうは覚悟してかからねばならない。

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  1. 2016/07/27(水) 14:26:34|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 開納路にひきかえすのも馬鹿馬鹿しいし、南京路をぶらつくほど都会ずれもしていない。網をはった中国兵のそばに立って、わたくし達はホテルに出入りする人間や、近くの商店に出入りする人々をながめていた。

 「奥さんたちは、何をしとるんですか……」

 とつぜん頭上から声をかけられて、振り返ってみると、花野氏がワンポーツ(人力車)の上でふんぞり返って見下ろしていた。

 顎ひげこそつけていないが、両頬にむかって黒々と鼻ひげがはねかえり、一文字の眉毛も猛々しく鐘馗様が背広をきてあらわれたようだ。用便しながらでも威厳をたもつ訓練をしているというだけに、なかなかもってあっぱれな威丈夫ぶりである。

 「交通どめなのよ、花野さん……」

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  1. 2016/07/28(木) 15:47:36|
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