いしずえ

第二巻受難の巻

 「もう止めなさいよ。そんな不愉快なことをいつまでも気にしているとお腹の子供に悪いわよ。捨ててある乞食の死骸のことよりも、自分の子供のことの方が大切じゃないの」

 牧谷夫人がいらいらした口調でいった。全くそのとおりだった。わたくしはつとめて忘れねばならないと思った。

 その夜からわたくしは悪寒に襲われた。ぞくぞくと寒さが身にしみて、二枚の掛布団では間に合いそうにもなかった。倉庫まで蒲団を取りにいくのも面倒なので、手あたり次第の着物をひっぱり集めてかけて寝た。

 翌朝になっても悪寒は去らなかった。寝床をはなれると頭痛と寒さが追いかぶさるように加わってきて、軽いめまいを感じた。額に手をあててみると熱かった。八度五分ぐらいの熱だなと思った。

 娘の頃はこのぐらいの熱では一度も寝たことがなかった。風邪は動いている中に直るものだというのが、体験によるわたくしの信条であった。そこで、何時ものように食事の支度や掃除をつづけていたのであるが、その中にどうも今までの風邪とは少し違うようだということに気がついた。

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  1. 2016/09/01(木) 10:09:32|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 腰が痛いのである。めりめりとはずれるように痛いのだ。

 「こんな風邪はじめてだわ。時々歩けないぐらい腰が痛んでくるんだもの」

 夕方には半べそをかいて、台所の土間にしゃがみこんでしまった。

 「そういうたちの風邪もあるのよ。身体の節々がいたんだり、背中や腰のいたくなる風邪があるものなのよ。御飯食べたらすぐ寝なさいよ。その時わたし中将湯をつくってあげるわ。こんな時、虹口だと、お医者さんにすぐ来てもらえるから便利だけどね」

 牧谷夫人は当惑したような顔をしながら、とにかく二階に上って休んでいなさいといって追い立てた。

 座敷にすわったままでいると、台所に立ち通しているよりははるかに楽であった。或時はじわじわと、或時はずきんずきんと、間断なくおそってくる腰の痛みに耐えながら、牧谷や青年達の帰りをまって遅い夕飯を食べた。

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  1. 2016/09/02(金) 10:19:05|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 男達の精力的な雰囲気にまきこまれると、牧谷夫人はわたくしの風邪のことなどすっかり忘れてしまったらしい。いつまでたっても、中将湯をつくってくれそうになかった。わたくしも古めかしい薬湯に、大して期待をもっているわけでもなかったので黙っていた。

 その夜はとくべつ寒かったようだ。みんなが口々に寒い寒いとつぶやいていた。一つの火鉢のわずかな炭火では、冬の夜話もそれほど楽しいものではない。夕食のぬくもりが身体から消えない中にと、みんな寝室にひきあげることにした。

 冷たい蒲団の中にもぐりこむと、骨の髄までぞくっと寒さがしみこんでいくようであった。ネルの寝巻をとおして体温がどんどん蒲団に吸収され、冷えこんだ腰の骨がドライバーで一本一本ねじりはずされていくかのように痛んだ。

 わたくしは横になったり、うつぶせになったり、身もだえするようにぐるぐる身体を動かしながら、蒲団のあたたまるのを待った。

 寝床の中はだんだんにあたたまってきた。しかし、痛みは消えそうにもなかった。それどころかそれは腰椎から下腹部の方へとひろがり移り、やがて腰が痛むのか腹が痛いのか見当もつかないようになってしまった。

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  1. 2016/09/03(土) 15:42:49|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 夕食にたべた物を頭にうかべてみた。これといって食あたりをするような物は一つもない。だが、腸に異状が生じていることはたしかだった。時がたつにつれて、下腹部の痛みはいよいよはげしさをましていった。

 何時たったであろうか。長い不安と焦燥がつづいた後、さらに内臓をえぐりとられるような痛みが波状をなして襲ってきた。その度に、わたくしは毛布をしっかり口にくわえこんで、絶叫をかみつぶした。

 朝になるまで我慢しなければならない。こんな真夜中に中国町の真中では、どうにもならないのだ。夜が明けたら、誰かが虹口まで医者を迎えにいってくれるだろう。朝まで、朝まで……数時間も先におとずれる朝を光明を待ちわびるような思いで切なく待った。

 そのうちに、わたくしは掛蒲団をはねのけた。蒲団の中にくるまってなどいられるものではない。もう寒さなどは微塵も感じなかった。

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  1. 2016/09/04(日) 14:19:47|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 蒲団の上に坐って身をちぢめてみたり、横になって曲ってみたり、苦しみを少しでもやわらげたい一心に、いろいろの動作を繰返すこと数十度、やがて死をねがう気持すら湧き立ちはじめたころ「あ、あっ」とわたくしは思わず悲痛な叫び声をあげた。

 一つの激痛とともに、内臓がどっとしぼり出された感覚があった。何事がおきたのか、考える力すらなく、数瞬、わたくしは虚空に眼をすえ、虚脱したまま動けなかった。もはや、激痛はわすれたように消え去っていた。

 それにしても……あのえぐり取られるような痛みは、一瞬の間にどこへ消え去ったのであろうか。あの苦しみは、一体何んだったというのか。一つの肉体の中で、はげしい苦痛から安楽へと手のひらを返すがごとき急変がどうしておこりえたのであろうか……。

 苦痛の衝撃からさめると、わたくしはそっと寝巻をぬぎ丹前をはおったまま、ぬぎすてた衣類を抱えて洗面所に行った。おぼろげながらも一つの予感があった。

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  1. 2016/09/05(月) 14:47:12|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 電気のスイッチを入れ、まるめた衣類をひろげてみた。瞬間、「あ、あっ」わたくしは思わず両手で顔を覆うてしまった。

 やっぱりそうだった。予感のとおりであった。

 生ぐさい濁水にそまった衣類の中に、赤土色の人形のような肉塊が、投げつけられたようにぐたりとなって横たわっているのであった。細い両手と両足がところてんのように、頼りなげにぶよぶよとのびていた。

 蛸のように、のっぺりとした頭もついていた。それよりいく分細長い胴もととのっていた。

 たしかに人間らしい形態をしていた。しかし、それ以上つぶさに見とどけることは出来なかった。眼鼻がついているのか、指がわかれているのか、性別は何んなのか、そういう細かい部分を見きわめる心の余裕などは全くなかった。

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  1. 2016/09/06(火) 11:00:40|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 それどころか、取り返しようもない痛恨が、波のように全身をのたうちまわり、心は只わなわなとふるえていた。

 意識のそこに昨日の朝の子供の遺棄死体の半身が、にゅうっと浮び上ってきた。あのミイラのように枯れはてた足をしたあの子供も、人の世の情愛にうすい不遇な生命であったが、このしなびた古人参のような手足をもった未熟児も、いまさら愛情をそそごうにも何の手がかりもないほど、人間をはなれた冷たい姿であった。

 とても長く凝視するにしのびない。わたくしはガタガタふるえる手で元どおりに包むと、そっと浴槽の下におしやった。そして、

 「牧谷さんの奥さん……奥さん、奥さん」とよびながら日本間との間の壁をたたいた。

 ほどなく、寝ぼけまなこをした牧谷夫人がにゅっと顔を出した。手短かに話をすると、びっくり仰天して一ぺんに睡気がさめたのか、ばねじかけの人形のように、洗面所と寝台の間を行ったり来たりしながら下着や着物を一、二枚ずつ運んできた。

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  1. 2016/09/07(水) 13:55:16|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 わたくしは冷たい水道の水に、タオルをひたして身体をふいた。不思議なことに冷たさを感じなかった。

 心が一つの衝撃にしばられているときには、感覚はしびれてしまうものであろうか。人間が火の中、氷水の中に、平然と入っていけるのは、このように精神が何物かに凝結している時なのかもしれない。

 やがてベッドにかえって、のびのびと四肢をのばすと、深い沼にずるずるとすいこまれていくようなぐったりとした疲労を感じた。

 しかし、このとろけるような肉体の疲労に反比例して、頭は妙にしいんとさえかえっていた。そして健全に立ちかえった意識は、なぜこんな事がおきたのか……なぜ、なぜ……と、自分の胸の奥深くぎりぎりと攻め立てていった。

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  1. 2016/09/08(木) 13:40:58|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 だいたいわたくしは、妊娠ということについてはあまり知識をもっていなかった。母も姉達も素知らぬ風に十ヶ月をすごし、わたくしの知らぬ間に出産して、けろりとして子供を育てていたから赤ん坊を生むということは雑作ないことだと思っていた。いやむしろ、わたくし自身が妊娠とか出産とかいうことにたいして、全く無関心であったという方が正直かもしれない。

 娘の頃わたくしは性愛に関する話がきらいであった。男女の結合のすべては、純粋に愛情にのみよらねばならないと信じていた。そのため、兄達がうっかり性慾に関する話題にふれるような場合には、憤然として抵抗をしめし彼らを軽蔑したものであった。であるから、わたくしが妊娠した事を戸松が実家にいって報ずると、兄は吹出して、

 「登志子が妊娠するとは奇蹟のようなものだなあ」といったというのである。

 こういう娘の心理に気圧されてか、母も姉も何一つ自分達の妻となる日、母となる日の体験を語ってくれたことがなかった。そのため、なぜ胎児が六ヶ月で死産してしまったのか、はっきりとした原因をつかむことが出来なかった。

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  1. 2016/09/09(金) 13:32:12|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 翌朝、堀下夫人から「あの時ころんだのが原因よ」と断定され、牧谷夫人から「風邪をひいて高い熱があったからよ」と判断されて、なるほどそんなデリケートなものかと、やっと納得できたぐらいのものであった。

 とにかくその夜は、なぜ、なぜ……でおしまくっていった。

 そして遂に生理的原因がつかめないまま、行きついたところは昨日の朝の悔恨であった。死したる者にたいするあの冷酷さが、自分の中の生命をも育てえなかったのではないか。わたくしは生命を生み出す資格がないのではなか……と、思われてきたのである。

 冷たい、たしかにわたくしは冷たい女だ……ただ一人の夫にたいしてすらも、又夫をとりまく人々にたいしても、積極的に愛情と好意をささげていくことの出来ない冷酷さがある。新たな生命を満足に生み出すことが、出来ないのは当然のことだ。天罰だ。なんという恥多い女であろうか。

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  1. 2016/09/11(日) 21:39:28|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 さっきは苦痛でかみしめた毛布を、今度は慚愧の思いで両手にしっかり握りこみ、自分自身をさいなみつづけたのであった。

 そして生命をもつものの宿命を思った。花に宿る命、鳥に宿る命、なかでも人間の宿命ほど神秘で微妙なものはない。

 人生には運命の種子ともいうべき自己の力の及ばない次元がある。路頭にさまよう乞食を親にもったがゆえに、石ころのように死体を捨てられてしまう少年の命、また、冷たい女の胎内にやどったがゆえに、人間の子としての産声もあげずして闇の中に消えていく命、自分の意志で選択することも、打開することも出来ない絆でむすばれ合っている根元的な運命……これが宿命というものであろうか。

 宿命のままで終る命、宿命をになってあえぐ命、宿命に立って運命を開拓し、人生を完うする命……人間の人生とは、宿蟹のように宿命をひきずって歩きつづけていくものなのかも知れない。

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  1. 2016/09/12(月) 15:34:47|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 わたくしの冷たい胎内にやどった未熟児は、たしかに薄幸な宿命をになった者であった。だが、その子の宿命は、わたくし自身の心次第では、あるいは変えられたのではあるまいか。わたくしに生命をはぐくむ温かい愛の心があったならば、たしかに変えることが出来たはずだ。わたくしには、自分の子の宿命をつくる責任と義務がさずけられていたのだ。自らの心を養い運命を切り開くことによって、子孫の宿命をきずき、同時に又人間の永遠の進化に参与する栄光をあたえられていたのだ。

 わたくしは人間の親としての愛情をたかめる努力をはらわなかったことを悔いた。そして自分の心の深部に、人間としての重要な条件が一つ欠けていたことをはっきりと知ったのであった。

 表面は大人しそうで、おだやかで、やさしい口もきく……だがそんなものは仮面にすぎない。世渡りの看板だった。人間として無くてはならぬ本質的なものが欠けていたのだ。

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  1. 2016/09/14(水) 10:45:51|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 足蹴にした死体に、なぜ家から古着でももってきてかけてやらなかったのか。「気にすることはないわね」とは何事だ。自分の胎内にやどった生命が苦悶苦闘していることも知らずにいるその迂闊さは何ということだ。土気色にぐったりとなっている自分の分身に、涙一つこぼさなかったことは一体どうしたことだというのだ。

 わたくしは自分の心にずたずたにメスをいれて自分自身に不快と不満を与えている心のガンにメスを入れてずたずたに切りさいてやりたいと思った。

 やがてのこと、むっくりと起き上ると、寝台の下のトランクをひっぱり出し、ベージュの地色にうすい焦茶色のばらの模様をおいたメリンスの着物をひっぱり出した。これはわたくしが学校を卒業したとき、母がつくってくれたものである。

 気に入りの着物であったから一寸惜しい気もしたが、それを持って洗面所にいき、さっきの寝巻の包みをひっぱり出して上からていねいにつつんだ。消え去った生命にたいする無情のつぐないのつもりであった。

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  1. 2016/09/15(木) 13:18:31|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

  誠実な篠原

 泥沼にしずんだような深い深い眠りののち、耳なれた声に大脳の一角が刺戟されて、やがてすべての神経がはっきりとめざめた。

 牧谷夫人と篠原が枕元に立っていた。

 「ごめんなさい。起こしちゃって……今ね、みんなで医者をよぼうか、病院に連れていこうかって相談していたところなのよ」

 牧谷夫人が金の入れ歯に愛嬌をほころばせながら云った。

 虹口からここまで、わざわざ医者に来てもらうのも厄介なことだ。苦しみの去った今、それほどの必要も感じない……といって、こちらから出掛けていく気力もない。

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  1. 2016/09/16(金) 10:12:10|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「いいわ、もうどこも苦しいところが無いから、今日一日ゆっくり休んでいたら元気になるでしょう」

 わたくしは無雑作に答えた。この早産の後の不注意が八年間の長い病弱生活につながることになろうとは、この時は夢にも考えられないことであった。牧谷夫人も早産や死産の経験はない人であるから、簡単にかんがえていた。

 「そう……思ったより元気になってよかったわ。休養していたらすぐ元どおりになるわよ」

と、あっさり云った。

 すると篠原が真面目な顔をして、

 「とにかく、奥さん、僕はそれを病院にもっていって調べてもらって来ます。男の子だったのか女の子だったのか。はっきりさせておいた方がいいですし、それに何で死産したのか、その原因もつきとめておく必要もありますからね」

と、夫の云うようなことを云った。

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  1. 2016/09/17(土) 14:21:50|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 これが恋愛の経験もない二十歳の青年の云うことであろうか……わたくしはふと妙な気持がした。遠くにいると思っていた人が、いきなり側にきて、お前のかくしている物を出して見せろと強要しているかのように感じた。

 わたくしは彼の顔をまじまじと見ていった。

 「あなたがそんな事をしたらおかしいわ。まあ、待って頂戴、明日になったら、わたし自分で行ってきます」

 彼はきかなかった。

 「奥さんは無理をしては駄目ですよ。そのくらいの事は僕がしますよ。僕は留守をあづかっている責任がありますから」

 彼の眼は黒々と純粋に光っていた。素直に引きこまれていく透明さがあった。

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  1. 2016/09/18(日) 13:49:32|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「では、お願いします。浴槽の下においてあります」

 わたくしは上半身を起こして頭を下げた。やがてのこと、風呂敷包みを下げた彼が再び近寄ってきた。

 「後で火葬にしようと思いますが、外側につつんである着物はどうしますか」

 「そのまま焼いて下さい。人間らしく着物を着ずに終った命ですから……」

 「……」

 青年は黙ったままうなずくと、行ってきますと云って出ていってしまった。

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  1. 2016/09/19(月) 09:58:02|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 みじかい冬の日が落ちはじめる頃、彼は生々とした笑いをうかべながら帰ってきた。

 「どうですか、気分は……」

と云いながら、風呂敷包みを左手でささえ、右手でほどきながら云った。

 包みの中から出てきたのは、白布でつつんだ五寸角ほどの木箱であった。

 「骨らしいものはありませんでしたよ。ほとんど灰です……あ、そうそう男の子でしたよ。惜しかったですねえ」

 彼は同情するような眼をじっと投げかけた。心から惜しんでいるような眼であった。わたくしは黙ったままうなずいた。

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  1. 2016/09/20(火) 08:50:05|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 「それから、全部出ているから後は心配ないだろうと云っていましたよ。多分、身体に無理をしたか、ひどく神経をつかったか、どちらかが原因だろうといっていました」

 彼は箱をマントルピースの上におくと、軽く頭を下げて出て行った。

 彼はどんな気持で頭を下げたのであろうか……蒲圃ごしに壁にはめこまれたマントルピースの上を見ながら、わたくしは考えた。

 あの肉塊は、わたくしの胎内で、人間の何十万年間の進化の過程をへて、やっと猿に達したところであったかもしれない。おそらくまだ人間の子にはなっていなかったであろう。精神的価値はもちろんのこと、肉体的価値すらもない。只、人間となるべき生命を宿していたにすぎない。年若い青年の感傷の対象になるはずのものではない。それが、戸松の子としての宿命をもっていたがゆえに、彼は大切にとりあつかったものであろう。

 「ありがとう、篠原さん」

 わたくしは心の中でつぶやいた。

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  1. 2016/09/21(水) 21:23:15|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

  理 解

 夕食後、牧谷と本田が西の窓ぎわで何やらごそごそ動きまわっていた。机や椅子を動かす音がきこえる。

 牧谷夫人や堀下夫人が出たり入ったり、ばたばたと動きまわっている。篠原もなにか買ってきて、ごそごそ包み紙をひらいていた。

 やがてのこと、ぷーんと、線香の匂がただよいはじめた。

 「奥さん起きてきませんか」

 本田がベッドにちかよって、やさしく云った。にっこりほほえんでいる顔は、青年詩人のように新鮮な情感をたたえていた。いつもの皮肉にみちた青白さは染ほども残っていなかった。

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  1. 2016/09/22(木) 13:24:06|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 わたくしはベッドから降りて身じまいをした。見ると、向こうの窓ぎわに、テーブルをおいて白布をかけ、小さな祭壇がつくってあった。茶碗にもった飯の真中に箸を二本つったてて供えてある。おそらく牧谷夫人か堀下夫人の家の宗派の流儀なのであろう。

 果物も菓子もそなえてある。これは彼らの小遣で買ったものであろう。それらの上を、線香の煙がゆらゆらと流れていた。

 「奥さん、これからお通夜をしますよ。あなたが一番先に焼香しなさい。」

 牧谷が神妙な顔をしていった。

 何んだってこんな大袈裟なことをするのだろう。又どうして今日はみんなやさしいのだろう……わたくしは不思議に思った。

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  1. 2016/09/23(金) 13:52:07|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 椅子やサイドテーブルを全部かたづけて彼らは絨氈の上にすわっていた。

 わたくしは彼らの前を通りぬけ、祭壇の前にすわった。その時、牧谷がうしろから声をかけた。

 「戸松氏の分を先にやって下さい」

 彼は二つ、三つ咳払いをしたのち、さらにしんみりと云った。

 「なんと云っても彼の長男にちがいないからなあ」

 「子供の好きな人だから、きっとがっかりするわよ」

 これは牧谷夫人だ。

 篠原の提案か、牧谷夫人の発意かはわからない。しかし、戸松につらなる生命の消失が、彼らの感情を浄化し高揚させていることは確かであった。そこには愛情があり、悔悟があり、調和があった。

 それは、我にみちた人間社会にありがちな、ぎせいと不幸の上に立った調和であった。

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  1. 2016/09/25(日) 08:05:12|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

  政治の貧困と濁流

   屍を超えて行け

 中国の恩人であり、アジアの父ともいうべき頭山満翁も萱野長知先生も、支那事変解決法案そのものには賛成であった。

 だが、二人とも、この戦いをくいとめるべく立上ろうという意志と情熱はもっていなかった。

 頭山翁はすでに時流の外にたって、人間群のさまざまの生態と動態を、変転きわまりない自然現象の一つとして達観しているもののようであった。

 萱野先生も又、あれほど愛した日本と中国に見限りをつけ、その心は東海の波浪のままに、はるけき旅路をたどっているにひとしかった。日中の和平のために命をかけてきた数年の努力も、軍部の異常な感情にふみにじられ、強圧され、先生のなすべきことはすべておわっていたのである。

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  1. 2016/09/26(月) 13:43:20|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 この二人の偉大なる先輩の胸の扉は、戸松の手により簡単にひらかれ、自在に内部に入りこむことはできたけれども、今の時流の中にひきだして、状勢を反転せしめるだけの情熱はほとんど内在していなかった。

 期待がはずれてとまどっている戸松を、彼らは励まし、反対に戸松に期待をかけたのである。自分らの志をつぐ者として、日本を托すべき者として、期待し尊重したのであった。

 これらのすぐれた先輩の期待の表現は「才能がすぐれている」とか、「行動が立派である」とかを挙げならべて激励するというような凡庸なものではない。

 安部先生が、徳富蘇峰翁や永井柳太郎氏等に紹介するとき、「わたしの一番若い友人で、戸松さんといいます」と、人格的に対等にあつかってくれたように、その言葉のうらに期待と愛情が、そくそくと感ぜられるという種類のものであった。

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  1. 2016/09/27(火) 20:54:01|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 戸松の言動を長時間だまったまま見詰めていたあげく、「今日からは、あなたが日本における最高の指導者になりなさい」と、自信をあたえた頭山満。

 「負けてからあとのことを考えようではないか。君達といっしょに行動するのなら、顧問どころか給仕でいいよ」と、はげました萱野先生。

 偉大なる人の言葉には「私」がない。道を知る者は、道をもとめて止まぬ者を年齢をこえて尊ぶ。

 今までの戸松は、先輩の後を謙虚にあゆみつづけてきた。はるかなる彼方を颯爽と、あるいは悠然とあるいて行く先輩の後姿を、巨大な巌のごとく望見し、彼らに近づき彼らに追いつかんものと懸命であった。

 彼らの生存中にはとうてい追い着くことはできないであろう。しかし、やがて死が彼らの魂の伸展を停止させ、又そのいく年かの後に、同じ死が戸松の生命の火を封じたとき、あとにのこされた魂と行動の記録は、先輩にくらべて見劣りしないものでありたい。いや、彼らの為し得なかったことを為しとげ、もっとも個性的な開拓者となり、創健社とならねばならない……と、戸松はかんがえつづけてきた。

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  1. 2016/09/29(木) 08:51:13|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第二巻受難の巻

 ところが、今―――思いもかけず、これらの先輩の前面へとおし出されてしまったのである。

 さあ、行け、われを追い越して全身せよ。

 わが歩調にあわせることなく、汝の速力で進めよ……と、彼らはいうのであった。

 彼らは若者が、老いた自己に追従することを好まない。むしろ自分をふみこえて行かんとする若き気概を尊しとする。彼らが戸松を愛し、戸松に期待するのは、道をもって立つ同志であるというばかりでなく、彼らの心をゆさぶるその気骨であり、熱情と見識であった。

 戸松は今あらたなる思いで、この先輩の自己にたいする期待と祈念を、胸ふかく克明にきざみこんだ。それはいかなる名門校の賞状にもまさる、彼の人間性を高く証認した貴重な金字塔であったといえよう。

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  1. 2016/09/30(金) 14:21:14|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

プロフィール

國 乃 礎

Author:國 乃 礎
   綱 領
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