いしずえ

第三巻激流の巻

 わたくしはそうした世相を感じとることはできても、それと自分の運命がどうむすばれているかを考えることはできなかった。ましてや、その中に国家の動向をよみとることなど考えても見なかったのである……が、彼は世相の内側にじっと洞察の眼をむけていたのであった。ずっと後日、この時から一ヶ月近くもたったのち、一万五千円の為替をいれた封筒の中に、一つまみの彼の毛髪と爪を発見したとき、わたくしはその覚悟のふかさと心の周到さに胸をしめつけられるような思いを味わったものであった。

 汽車が品川駅にはいると、乗客はいっせいに立ち上って降り仕度をはじめた。

 一年ぶりに汽車の窓から見る東京は、新鮮でエネルギッシュで、それでいて落着いた品格を感じさせる都市であった。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/01(木) 13:17:20|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 うすい雲につつまれた空は、日の光もねむそうに淀んでいたが、地上は活気にみちみちていた。目の前に内伯しているビルディングのむれ、その谷間を自動車や自転車がいそがしそうに往き来している。ごう然たる響音をのこしてすれちがっていく省線電車、駅々のプラットホームを歩く気ぜわしそうな人の群、それらはすべて、生産と活動の息吹きを感じさせた。

 汽車が品川駅から東京駅にむかう間は、まさしく東京の玄関という感じだ。あのスピーディーで爽快な風景の変化、停滞をひきちぎるようなすさまじい車両の擦れ違い、そしてあの黒っぽい赤レンガの東京駅のクラッシックな建物、長い旅ののちのこの五分間は、倦怠と疲労にまひしている心を荒々しくよびさまし、東京の知性と活力を端的におもいしらせてくれる。

 汽車がプラットホームにつくと、わたくしは身一つで外にとび出し、戸松が窓からおろす荷物をうけとった。そして、このやっかいな荷物を小荷物預り所までひきずっていって、ここで必要なものだけをぬきとり、あとは全部あづけてしまった。父母が秋田にかえるとき、ここからチッキにつけてまっすぐに秋田に送るつもりであった。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/02(金) 13:28:56|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 荷物から解放されると、わたくしたちはさっぱりとした気分になった。身一つということは何んという軽快なものであろうか。戸松は急に大股でいそぎ足となり、わたくしも小走りに彼のあとを追って省線電車にのりこんだ。

 秋葉原駅のプラットホームに降りると、彼はここで待っていてくれと云い残したまま、人込みのなかに消えていった。何のために待つのか、理由もあかさずに突然どこかへ行ってしまうのが彼のいつもの癖であった。この旅の間中、荷物の番をしながら何回待たされたかわからない。荷物のない今も、尚そこで待っておれというのである。女というものは、そんなに足手まといになるものなのか。

 わたくしはぼんやりそこにつっ立ったまま、行き交う女の服装をながめていた。都会の女の服装ほど時代に敏感なものはない。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/03(土) 13:40:18|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 彼女らの服装は、その国の文化とか政治とか経済とかを、そのまま反映しているといってもよい。

 さすがに東京には、上海の町や電車の中で見かけたあの真赤な爪や唇をした派手派手しい服装の女は一人もいなかった。地色や地質も健実で、和服の袖はほとんど短く丸められていた。文化の剛健さと国家の緊張と決意とを、まざまざとうつし出しているといえる。個性をおさえたきびしい統制の姿であった。

 なにかしら味気ないような、いたいたしい感じがしないでもなかったが、自由で奔放な社会というものが、華美と放縦にながれやすく、悪と淫蕩の影をともなうものであるということを、つい三日前まで上海で見てきたばかりの眼には、かえってすがすがしく頼もしく写ったのであった。

 まったく自由というものは、内面的未熟な社会には、無制限にあたえるべきではないものかもしれない。

 「おいっ、こっちだ」

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/04(日) 16:42:12|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 とつぜん横から戸松の声がきこえた。ふりむくと、もう彼は見ずにすたすたと向こうに歩き出している。おくれて大変と、小走りになって後をおいかけた。彼の背中から眼をはなさず階段を昇ったりおりたりしてついていくと、人込みのまばらになったところで彼は急に足をとめた。

 ほっと一息しながら見ると、眼の前に遠慮ぶかそうな笑いをうかべて老夫婦が立っていた。戸松の両親であった。

 田舎の両親と都会育ちの嫁は、いたって他人行儀な挨拶をとりかわした。たがいに相手の気持にどのようにして取り入っていいのかわからなかった。そこで只意味もなくにこにこ笑って、善意をしめし合うだけであった。

 「病身なもんじゃからあんた達に迷惑をかけるかも知れないと思ったが、とてもじっとしておれんもんだから、思い切って出て来た」

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  1. 2018/03/05(月) 15:09:53|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 父は痩せてとがった顎を前に突き出すようにして、人の好きそうな笑い声をたてた。げっそりと肉の落ちたうすい肩が、不安定にかすかにゆれていた。息子の出征を見送る病父の精いっぱいの姿であった。

 その隣りで母は神妙な面もちで息子の顔を見まもっていた。がっかりとした肉付きのいい身体は牝牛のような逞しさと辛抱づよさを思わせた。じっさいこの母の完璧なまでの健康が、父の今日までの生存を可能ならしめた一つの力であったと云っても、決して云いすぎではなさそうだ。

 母の頭の陰にかくれるようにして、戸松の妹(倫子)が立っていた。小学校の六年生であった。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/06(火) 14:10:01|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 父は若い頃、日露戦争に出征し、乃木大将の第三軍に加わって戦った人である。攻撃中に肋膜をおかされ、野戦病院で生死の岐路をさまよった末、九死に一生を得て内地に送還されたという。満州の野で徹底的に冷えこみ胃腸をわるくしたことが、後年のがんこな持病の原因になったということであった。

 父は戦争体験者として、息子の出征を当然のことのように雄々しくうけとめていた。自分よりは知識をもち、自分よりは有能なこの息子に、父として何もいうことはなかった。ただ顔を見るだけで満足だったのである。

 母も女親らしくちょうちょうと喋るようなことはしなかった。黙って手下げ袋のなかをいじくりまわしていたが、白い天竺木綿でつくった千人針の腹巻とお守り袋をとり出して、

 「これを持って行ってたもれ」

と、おずおずと震れをおびた声でいった。感情を必死になっておさえているようであった。

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  1. 2018/03/07(水) 15:55:47|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 戸松はそれを受けとろうとせず、じっと見つめていた。しかしそれはほんの僅かな間であった。彼はいった。

 「そうかい……」

 母はいくぶん尻上りの口調で、しかも息子の言葉に従順な面持ちでうなずいた。それでも千人針とお守りをしまおうともせず未練がましくいじくっていたが、

 「じゃあ……お守りだけでも、これならポケットに入るだろう」

といった。

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  1. 2018/03/08(木) 13:18:35|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 「いや、かえって粗末になるといけないから止めておこう。それに神様も七百万の出征軍人から武運長久をたのまれていそがしくてたまらんでしょう。頼まれたのを全部まもることも大変だろうから、せめて撲だけでも頼まないことにする。僕は神には従うが、神に自分の命を頼むことはしたくない」

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/09(金) 09:00:52|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 戸松は父と顔を見合わせて笑った。母は父の助言を期待するような眼差しを父の方にちらっとむけたが、息子の言葉に満足したような父の顔にあきらめてしまったのか、今度はわたくしの方にお守りを差出して、

「あんたから持っていくようにすすめてたもれ」

といった。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/10(土) 10:00:36|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 田舎に育った母には、お守りが神の代理者であり、お守りなしに戦場におもむくことは、神に見離されるような思いがしたのである。

 母のうれいがわからないではなかったが、神にしたがって神に頼まずと念じている戸松の旺盛な精神にうたれていたわたくしは、お守りを受けとり、帯の間にはさみながら云った。

 「お母さんの育てた子はこういう人です。神さまに命乞いをするような弱い人ではありません。わたしたちが代って神様に祈ってあげましょう」

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/11(日) 13:00:28|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 戸松は宮本武蔵が一乗寺決闘に臨む道すがら、山中の八幡宮に詣で蛇口を摑んで神の加護あれと念じようとした時、心の弱さを知り蛇口を手放して「神を敬して頼まず」と神に誓った、その心境に達しているのだと私は思った。

 母にも戸松の志がやっとのみこめたのか、笑いながらそそくさと千人針を手提げ袋の中につっこんでしまった。

 「何か食う物はありませんか」

 息子は幼子が菓子でもねだるように、母の手提げ袋を見ながらいった。

 「やきめし(握り飯)でもいいだろうか」

 「ああ、それそれ、それが一番いい」

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/12(月) 14:05:07|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 母はベンチの上においてあった風呂敷包みの中から紙包みを出すと、外の荷物をベンチから下して息子のために席をあけてやった。

 「これは貰っていって電車の中で食べることにする」

戸松は別の風呂敷に握り飯を包みなおすと、小脇にかかえこんで、

 「それじゃ」

 わたくしの顔をまっすぐに凝視していった。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/13(火) 15:55:00|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 「ぼくはここで別れるよ。このまま入隊する。父と母を大泉に連れていって、二、三日休ませてから秋田へ帰してくれ。上野駅まで送ったら三人で帰れるだろう。それとも、あんたもいっしょに秋田へ行くかね」

 「いえ、わたしは、あなたが部隊にいらっしゃる間東京におりますわ」

 「うん、その方がいいだろう」

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/14(水) 13:16:28|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 それから彼は父母や妹と別れの言葉をかわし、階段の方へと歩いていった。グレーの背広の肩がそびえるように力強くもり上って見えた。

 神をしんじて、神にもとめず……前途を切り開いていくような威勢のいい彼の歩みは、間もなく人込みの中にかくれ、こちらを振返った時には、人の肩越しに笑顔がみえただけであった。

 絶え間なく出たり入ったりする電車の轟音は、荒磯の波が砂文字をようしゃなくかき消してしまうように、人間の別離の情をあわただしく引き攫ってしまう。父子の対面はこれが最後であった。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/15(木) 11:40:33|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 わたくし達は長く感傷にひたっていることはできなかった。夜行列車に疲れているうえに、都会の空気になじめないでまごまごしている両親と妹をいたわりながら、山手線を池袋へとむかったのである。

 秋田の父母は、大泉のわたくしの兄の家に二晩泊ってかえっていった。

 命がけで上京してきたといったのも誇張ではなく、父は最初の夜は一晩中腹痛にくるしみ、母はわたくし達に遠慮してそっと薬をのませ、夜どおし腹をもみつづけたようであった。

 秋田へ帰った父から、無事帰郷したという電報をうけとると、報告がてらわたくしは近衛聯隊に面会にいった。

 新人隊者は一時的に小学校の一部を借りているらしく、面会所は学校の裏門ちかくの民家であった。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/16(金) 15:40:29|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 新入隊者は一時的に小学校の一部を借りているらしく、面会所は学校の裏門ちかくの民家であった。裏門にたむろしていた下士官らしい兵隊に名前をつげて面会所にいってみると、明けはなされた二間つづきの部屋は、すでに兵隊をとりかこんだ家族や縁者の群でうずまっていた。

 一番奥の方に空席をみつけ、人の背中と背中のあいだを分けるようにして入りこんでいった。

 すぐ隣りのグループでも少し前にそこに陣どったばかりらしく、母親らしい女が気ぜわしそうに風呂敷づつみをほどき、黒いうるしぬりの重箱の蓋をとって息子にすすめていた。三十二、三とおもわれるその兵隊は、若い妻と低い声でなにやら話し合いながら、きょろきょろとしきりに庭の方をうかがっていたが、いきなり重箱の上に上体をかぶせるようにして中の物を食べはじめた。実に早い食べぶりであった。江戸前のにぎり鮨のように、飯を小さな俵型ににぎってその上に照のついた大きな椎茸をのせたのや、厚めの卵焼をかぶせたのもあった。こういう寿司をつくるのは、いったい何処の地方の人達であろうか、それともこの母親の創作か……わたくしは珍しい思いでちらちらと盗み見ていた。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/17(土) 13:16:23|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 それにしても、この兵隊のものの食べ方はまるで泥棒猫のようだと思った。

 「やあ……」

 ききなれた声に、ふと振り仰ぐと、戸松がにこにことしながら人をかき分けて近づいてくるところであった。

 これは又、何んという変りようであろうか。おそらく一時的間に合わせに支給されたものであろう。白っぽく色褪せただぶだぶの軍服をきて、頭巾のようにぐったりとつぶれた軍帽をかぶっている。肩にはこれもくたびれたような肩章に星が一つぽつんとついていた。将校服をきちんと着こなしていた上海時代の彼にくらべたら、まるで敗走中の乞食兵のようだ。

 彼はやっと安息の地を見出したかのように、全身の緊張をといてどっかと胡坐をかいた。右手で帽子をむしりとった。中学生のようにぐるぐるの丸坊主であった。頭のてっぺんがふっくらと盛り上り、顔がいやに子供っぽく円く感ぜられた。わたくしは、彼の年齢がとつぜん十年も後退してしまったような戸惑いをおぼえた。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/18(日) 10:30:16|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

「この年になって、急に二等兵の訓練をうけるのはつらいよ」

 彼は腰の手拭をはずして、額の汗をふきながらいった。なにか作業をしていたのか、帽子の下はじっとりと汗がにじんでいた。わずか五、六日の間に皮膚の色がいくらか渋茶色にかわってきたようだ。部屋の隅でそとを背にしているせいばかりではない、終日戸外で汗をながしている者にそまりつく、あの執拗な色がしみはじめていた。彼がひどくみじめな生活に陥っているような哀感がどっとつきあげてきた。

「あなたの召集は、やっぱり間違いじゃなかったんですのね」

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/19(月) 15:55:15|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 彼の姿が、なにかのっぴきならない宿命的なものを感じさせ、上海出立いらい、はじめて召集が実感となって胸にせまってきたのである。

「うん、そうだよ。僕は事故召集だった」

「え? じこ召集? いったい、それは何ですの」

「つまりね、反戦的な人間を自由な行動をとらせないように、戦場にひっぱり出してしまうのだよ」

「そうだったの、事故召集なの……あなたはここに来てはじめてそれがわかったんですの?」

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/20(火) 15:08:05|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 「いや、上海にいた時から、そうじゃないかなという気持もあった。しかしまあ、現に軍に勤務しているんだから、日本に帰ってよくわけを話したら解除になるだろうという気持もあった。

 去年の秋、内地で和平運動はやったけど、まっこうから反戦論をかざしたわけでもないしね。今が和平の好機だということを、堂々と政府と軍に意見具申したんだから、そう何時までも神経質ににらまれることもないだろうという解釈もあったわけだ。

 だがね、長崎についたとたん、何となくぴーんときた。この召集の背後には、憲兵の手がうごいているなあと思ったのだ。

 そのとおりだった。上官から、お前は注意人物になっているんだぞ、と云われた。仕方がないさ。憲兵政治の悲劇というところだ」

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/21(水) 21:39:40|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 彼は苦笑した。

 国論とはいったい何だろう。国民には和平の時機を提唱することもできないのか、政府や軍に意見具申するものは国賊なのか……ああ何ということだ。ひどい、二等兵でひっぱるなんて、ひどい。

 国家というあつい岩壁がいきなりわたくしたちの鼻先に威嚇的にそびえ立ったように思われた。その壁の前では、いかなる人間も膝を屈して従順にならなければならない。秩序が従順を要求するのだ。今戸松は、中国の仕事をなげすてて、二等兵として南方にいくことを国家に命じられたのだ。従順にしたがうべきであった。だが、その国家の命とは、一握りの権力者の偏見と意志に発しているのだ。ああ何ということだ。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/22(木) 13:21:02|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 なにか割り切れない気持であった。わたくしは黙ったまま持ってきた重箱のふたをあけた。母が駈けずりまわって集めてきた小豆や砂糖でつくったお萩であった。

「外から持ちこんだものは、食べてはいけないことになっているんだよ」

 彼は口ではそう云いながら、手はお萩をつまみあげて、二口でぺろりと食べてしまった。

「食べているところを見られたら、ひどい目にあうんだよ」

 同じようなことを繰返しながら、またもつまみあげた。四つ、五つ、たてつづけにぱくついたのち、

「もういい、早くしまってくれ」

 わたくしは素早く風呂敷につつみこんでしまった。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/23(金) 10:53:05|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 「道理で、さっきから兵隊さんたちがきょろきょろしながら、こそこそと食べていたわ。しかし、家族がもってきたものぐらい食べさせたらいいでしょうにね。厳格なもんだわね」

 「軍隊というところはそういうところだ。軍規のまえには人情も身分も立場も、個性すらもみとめられない。そういう点では非情だよ。忠君愛国の機械をつくっているようなものだ。ここでは人間的価値などは、てんでみとめられないんだ。

 古参の下士官に意地のわるい奴がいてね。お前のようなインテリ―は虫がすかないとか云って、小さな事でどなるんだ。めしの持って来方がおそいとか、返事の仕方が悪いとか云っては片っ端からぶんなぐるんだ。応召兵というのは動作が機敏でない奴が多いんだよ。それが現役の下士官には目だるいんだな、昨日もめしを入れるバケツを、頭からがっぽりかぶせられて突き倒された奴がいたよ。

 とにかく個性も人格も理想もあったものではない。兵隊はまるで牛馬のように扱っているんだ。兵隊一人一人を思いやり励ましてやるような道義にたった軍隊でないと、長期の戦争には勝てないね。僕はそんな気がしてきたよ」

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/24(土) 11:00:25|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 彼は隣のグループに憚りながら小さい声でいった。

 わたくしは黙ったまま彼を見つめていた。兵営の中にとじこめられてしまった彼は、以前の彼とはちがっていた。以前の彼は自分の考えを堂々と論じ、すぐに行動にうつす人であった。しかし今は、声をおさえ、言葉少なに語っている。そしてその言葉は、単なる不満、批判としておわってしまうのだ。行動と化して対抗できない無力なものとなっていた。

 二等兵という兵隊の階級は内面の一切を否定してしまったのであった。

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  1. 2018/03/25(日) 10:55:10|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

  前田将軍と鈴木二郎

 とつぜん能代の鈴木二郎氏がたずねてきた。武骨で素朴なかおをした大男が、にこにこして玄関にたっているのを見たとき、わたくしはとっさに彼が誰であるかを思い出すことができなかった。

「昨日、能代をたって、今朝はやく上野についたもんですから、まっすぐ部隊にいって戸松さんに会ってきました」

 おもおもしいなまりをふくんだ彼の言葉に、

「あっ、この人は能代の鈴木二郎さんだった」

と、はじめて思いあたったのである。

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  1. 2018/03/26(月) 14:45:54|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 一年まえ結婚したばかりのとき、鈴木二郎氏の家にも招待されていったことがあった。なにしろ、見知らぬ東北の町から異国の都会へと、あわただしくひっぱりまわされ、毎日のようにつぎつぎと色々の人に紹介され、あるいは招待されているうちに、一人一人の映像がいつの間にかぼやけてしまって、名前と風貌がすっかりばらばらになってしまっていたのである。

 客間に案内して、テーブルをはさんで相対した。

 鈴木氏は純粋な少年のように、かたくなってかしこまっていた。大きな図体を悪びれるかのようにすくめて、身体中ではにかんでいるように見えた。

 噂にきいていた鈴木二郎氏は、柔道高段の猛者で、満州では建築業にたづさわり、大陸の荒くれ男をつかいまくってきた壮漢のはずであった。

 「これ、戸松さんからです。読んで下さい」

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/27(火) 17:15:22|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 鈴木氏は四つにたたんだ小さな紙片を、ポケットからとり出してテーブルの上においた。

 戸松という存在をのぞいては、わたくしたちは体験的に共通なものは何一つなかった。近況を問いあうことも、健康をたづね合うことも空々しかった。ひどく窮屈そうにしている無口な鈴木氏を、あつかいかねていたわたくしは、話題のきっかけでも得たように、さっそくその紙片を開いてみた。

 ~鈴木氏がわざわざ能代から出てきてくれた。ぼくのために、暫らく東京にいることになった。ふたたび紙片に眼をおとした。

 ~鈴木がわざわざ能代から出てきてくれた。ぼくのために……

 わたくしは詩を朗読するように、頭の中で抑揚をつけながら繰り返し繰り返し黙読した。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/28(水) 10:20:35|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 男の友情というものは、わたくしには未知数だ。しかし、この戸松の何気ないみじかい走り書ににじみ出ている男同志の交情は、家庭をもった女には、とうてい手のとどきそうにもない深いもののように思われた。

「奥さん、わたしはね、今日、戸松さんを怒ったんですよ。わたしが戸松さんを怒るのは、こういう時にしか怒れませんからね」

 とつぜん感情がつきあげてきたのか、鈴木氏はつっかかるような激した早口でいった。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/29(木) 10:06:27|
  2. 永遠の道 戸松登志子著

第三巻激流の巻

 もう、にこにこ笑ってはいなかった。ひどく思いつめたような、又嘆きに打ちのめされたような、複雑な表情をしていた。心もち顔を右の方にかたむけ、もり上った部厚い肩に右顎をすえつけるようにして、彼は無念そうに眉をよせていた。

   (43 43' 23)

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  1. 2018/03/30(金) 00:00:00|
  2. 永遠の道 戸松登志子著
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國 乃 礎

Author:國 乃 礎
   綱 領
政官財・癒着根絶
マスコミ横暴撲滅
国賊売国奴殱滅
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